十二歳の誕生日

 七月三十一日。本日がかがみ文月ふづきの誕生日にあたるが、現在の文月の頭にはが生えていた。もふもふさんが文月の肉体を間借りするとこの姿に変わり、代わっている間の文月の記憶はない。文月もふもふさんは寝間着から普段着へと着替え、文月の母親が用意した朝食を食べている。

「あっ」

「おはよう、環菜かんな

 このオオカミの耳はもふもふさんの姿の一部分であるので、大人には見えていない。文月の三学年下の妹である環菜には見えている。環菜は文月から朝のあいさつをされて、その頭のを二度見してから、ちらりと母親を見た。

「おはよう、ママ、おねえ」

 それから、母親と文月にあいさつする。環菜は母親の普段と変わらない様子から、母親が姉の頭上の変化に気付いていないと理解して、台所に入り、自分の茶碗に白飯を盛った。わかめと油揚げのみそ汁もよそう。

「レッスン、おやすみ?」

 環菜がいつも自分の座っている席に茶碗と汁椀を運び、メインのあじの開きにかかっているラップを外したところで、文月は確認するように訊ねた。鏡家のリビングにあるカレンダーには、家族の予定が書き込まれている。ダンスクラブを辞めて、水泳教室に戻ってきた環菜の夏休みの予定は、水泳教室でのレッスンで埋め尽くされていた。しかし、今日は何も書かれていない。

「毎週火曜日はお休みだからね?」

「そうかそうか。大好きなのために、わざわざお休みしたわけではないと」

 環菜はカレンダーを見た。文月の欄には『十二歳の誕生日』とある。姉の誕生日。

「おねえの誕生日か」

「だからさ、環菜。買い物に付き合ってよ」

 文月から環菜への申し出に、母親が「あら?」と動揺した。基本的に出不精でぶしょうな文月が外出するのも珍しいが、さらに『妹を誘う』というのは見ない光景である。

「まあ、のためならいいけど」

 環菜は『おねえ』に含みを持たせた。隣に座っている文月は、環菜の姉ではあるが、中身が姉ではない。

「食べ終わったら、準備して出かけようね」

 というわけで、鏡姉妹は揃って出かける運びとなった。母親からの「夕方までには帰るのよ?」に対しては、文月が「区からは出ないから」と返している。

「どこまで行くつもり?」

 マンションの敷地を離れるなり、環菜はもふもふさんに向けての話し方になった。鏡家から出発し、廊下を歩き、エレベーターの中でふたりきりとなっても、無言を貫いていたので、ようやくだ。

「タコさん公園の先のショッピングセンターすかね」

 事情を知っている環菜に対しては文月のをしなくてもいい。もふもふさんはもふもふさんの口調に戻っている。文月の身体を借りているぶん、声は文月の声だ。

「ああ、まあ、あそこなら区内か。何をしに行くのよ?」

 まったく知らない場所ではない。何かあれば母親もすぐに駆けつけられる距離である。

「ところで鏡家って、誕生日会はしないんすか?」

 サプライズバースデープレゼントを用意したい。が、もふもふさんが買い物をするとなると、文月の財布から支払わないといけなくなり、別の意味でもサプライズになってしまう。なので、環菜を付き合わせた。

「パパが仕事だから、毎年誕生日のある週の土曜とか、日曜とか、パパの仕事がお休みの日に誕生日プレゼントを買いに行って、夕飯にケーキを食べるわよ」

「それだけ?」

 小学生の誕生日。もふもふさんは『学校の友人を自宅に招いてのホームパーティー』をイメージしている。しかし、鏡家は昔から家に友人を上がらせていない。桐生きりゅう貴虎きとらは例外中の例外である。母親の中では我が子長女の友人、ではなく、初めての彼氏という得てしまっているからだ。

「誕生日の当日はママがハンバーグを作ってくれる」

「じゃあ、今日の夕飯はハンバーグで確定なんすね」

「ママのてごねハンバーグは美味しいから、おねえに食べさせてあげてよ?」

 もふもふさんと切り替わっている間に食事をしても、食事をした記憶は残らない。文月は“食べた記憶がないのにおなかがいっぱいになっている”という不思議な状態になってしまう。一年に一度のお祝いの日の食事がなかったことになってしまうのは可哀想だと、環菜は語気を強めた。

「オレもハンバーグは得意すよ。環菜の誕生日に作ってあげようか?」

 もふもふさんの料理の腕前は、料理好きである鏡家の台所の主ママに匹敵するレベルだ。母親には姿が見えないことをいいことに、台所に立って文月に料理を教えている。白くてもふもふの大きな犬(オオカミ)なので、もし母親に見えていたら衛生面を考慮して追い払われているだろう。調理中に毛が入ったら問題だ。

「作ってあげようかって、おねえの姿で?」

「でもいいし、オレがマンツーマンで文月に作り方を教えてもいい。成功率で考えるなら、オレが作っちゃったほうがいいんすけど、どっちがいいすか?」

「おねえの作ったハンバーグがいい」

「なるほどなるほど。文月と相談しておこう」

「やったー!」

 鏡文月と環菜は、人付き合いと運動が苦手な姉文月と、明るい性格で身体を動かすのが大好きな妹環菜とで、うまく折り合えずにいた。もふもふさんとの出会いで、日々の特訓を経て、文月の身体能力が向上したことと、もふもふさんをキッカケにして文月の同級生である『桐生くん』との関係性が発展しそうなこと。この二点により、姉妹仲は改善している。

「そういや、もふもふさんはこの間のプールのことは何か聞いている?」

「この間の、っていうと、貴虎との?」

「それそれ! おねえってば、聞いても『楽しかったあ』としか言わないのよ!」

 容易に想像がつく。えへへ、とだらしなく笑っている姿まで目に浮かんだ。環菜が聞きたいのは、プールの感想ではない。貴虎との関係性がどう変わったかである。

「オレが聞いても大して変わらないすよ。お目当ての『ウォータースライダーが面白すぎて二人で十回以上滑ったあ』みたいな話しか言ってこない」

「おねえ……」

「あとは、仮面バトラーフォワードのロケ地らしくて『ソフトクリームが美味しかったあ』と」

 環菜は天を仰いだ。違う、そうじゃない。気になっている男の子と出かけて、手をつないだとか、キスをしたとか、そういう恋の話を聞きたいのであって、プールや併設されている遊園地で遊んだ話を聞きたいのではない。

「妹としては、どうすればいいと思う?」

「貴虎、アイツもアイツでにぶいんすよね。うまいことこう、オレとしても二人をくっつけたいんすけど」

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