この物語が始まる前の話

かつて存在し、今となっては消失した世界の果て【前編】

 人間の声が聞こえなくなって、何時間経っただろう。暇つぶしに、オレ自身の鼓動を頼りにして、時間の経過を数えていたが、途中でだるくなってやめてしまった。

「あー」

 気まぐれに声を出してみる。こうやって声を出しておかないと、声の出し方を忘れてしまう気がした。もしココにまた人間が現れたときに、会話ができなかったら困る。日本語の話者であるとは限らないから、他の言語でも練習しておかないといけない。

 とはいえ、思い出せる限りで、返事が返ってきた試しはなかった。ココに人間がいたときも、オレの言葉に反応するようなヤツはいなかったな。オレは人間の言葉をしゃべっているつもりだったんだが、ココで働いているような人間の皆様は、耳にみっちりと耳垢が詰まっていたらしい。

「こんにちは。オレは香春かわら隆文たかふみといいます」

 空間に向かって自己紹介をする。何もない場所に話しかける行為には、抵抗感があった。けれども、そんなものは、自分が何者だったのかを見失う恐ろしさに比べれば些細なもの。オレはオレが今どんな顔をしているのかも知り得ない。

「オレには不思議な力があって、ココで、その力を研究されていました」

 どんなヤツがオレを発見してくれるかわからないから、なるべく伝わりやすい言葉を選ぶ。別の言語に翻訳しないといけなくても、元は簡素な文章のほうがいい。

「どのようなケガをしても瞬く間に治り、いかなる病気にもかからない肉体を持つ。オレは“不死身”らしい」

 だからココで、さまざまな試験をしていた。人間って、途方もなく残酷になれるのだな。オレの“不死身”を怪しむ一派が、毎日のようにオレをいじめてきた。本当に死んだら大損失なのに、途中から楽しくなってきちゃったんだろう。もうやめてくれと懇願するオレを見て、みんな笑うんだ。助けてくれも、通じていなかった。規定の回数、時間が過ぎるまで、オレは耐えるしかない。治るとはいえ、痛いのは変わらないのに。

 正しくココで働いていたヤツらは、オレが持つ治癒能力のほうを複製して、難病に苦しむ人々を救おうと考えていた。全員が“不死身”になるのではなく、美味しいところだけをピンポイントにひょいとつまんでもらっていこうっていう魂胆だ。

 いずれにせよ、実験体オレがココから逃げ出したら元も子もないから、こうやって、手足を拘束されている。

 どうせ治るんだからと腕をちぎり、手が蘇生したら足首を外して逃げたことはあった。

 結果は見ての通り。身体をバラバラにされて捕まって、元の位置に戻された。逃げ出す前との変化は、交代しながら二十四時間体制でオレの一挙一動を監視する部門が作られたことと、一日五回、オレの世話をしてくれるヤツが現れるようになったこと。これまでは垂れ流すしかなかったものを、キレイにしてくれるようになった。

「ところで、人類はどうなった?」

 数えるのをやめてしまったから、何時間前の話になるのかがはっきりとしない。その一日五回がなくなって、オレは放置されている。ココは地下にあって、日の光がない。


 寂しくはないが、悲しくはある。

 オレは死ねないので、誰かが来るまでは、ずっとこのままだ。

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