第21話

「宣誓! ぼくたち!」

「わたしたちは!」

「スポーツマンシップにのっとり!」

「正々堂々、戦い抜くことを誓います!」

「六年一組、赤組代表、桐生貴虎!」

「六年二組、白組代表、新堂しんどう昇子しょうこ!」

 天助小学校は、一年生から六年生まで二クラスずつ。一組が赤組で、二組が白組となる。文月は紅白帽の赤いほうを上にしてかぶり、背の順の列に並んで選手宣誓を眺めていた。

(……かっこいいのかも?)

 最後まで一音ずつハキハキと、マイクがなくとも全員に聞こえるような声量で言い切った貴虎を見て、文月はぼんやりとそんなことを考えていた。開会式が始まる直前まで、いつも通りのおしゃべりをしていた相手なのに、その人とは別の人のように見える。身長も、おそらく体重も同じぐらいなのに、なんだか一回り大きいように思えた。

(わたしには、わかんないや)

 運動会の始まりの合図である選手宣誓の大役を任されるのは、最高学年の六年生の児童。文月は希望者に手を挙げなかった。こういう大勢の目の前に出て、目立つような役回りはしたくない。クラス委員長である貴虎と、体育委員の藤森――ミニバスケットボールクラブの主将キャプテン――が手を挙げて、ふたりが黒板の前でじゃんけんをし、勝ったのが貴虎だった。

『以上をもちまして、開会式を終わります。続いて、プログラム1番。全校生徒によるラジオ体操です』

 放送委員の声を聞いて我に返る。ぼーっとしている場合ではない。

『一年一組、佐々木くん基準! 体操の隊形に、開け!』

 選手宣誓を終えた貴虎と昇子がそれぞれのクラスの列に戻っていく。貴虎が昇子に何やら話しかけ、昇子が貴虎の肩を叩く姿が視界の端に見えた。

 文月と貴虎とは、六年間同じクラスである。天助小学校では奇数学年のときにクラス替えがあり、昇子とは四年生までは同じクラスだった。あちらは五年生で二組になってしまって、離れている。

(クラスは違うけれど、新堂さんとは仲良しなのかな)

 文月よりコミュニケーション能力の高い貴虎のことだ。クラス外に異性の友人がいてもさほどおかしくはない。けれども今の文月には、形容しがたい、なんとももやもやとした気持ちがわき上がってきている。そばにもふもふさんがいたならば、すぐにこの気持ちの正体についてを相談したいが、もふもふさんは学校に来ない。徒競走の結果を、家で待っている。

(まあ、いいか)

 ラジオ体操の音楽に合わせて身体を動かしていたら、だんだんどうでもよくなってきった。前に体育委員の児童たちが並んでお手本を見せているが、朝練習でも土曜日の特訓でも準備運動としてラジオ体操をしてきた文月は、目をつぶっていても身体を動かせる。

 考えてみれば、貴虎と昇子が仲良しであろうとなかろうと、文月には無関係の話である。文月は貴虎と『仮面バトラーフォワード』の話ができればいい。昇子は隣のクラスだから、会話に割り込んでくることも邪魔してくることもない。

『一年一組、佐々木くん基準! 元の隊形に、戻れ!』

 プログラム1番のラジオ体操が終わると、次は学年順の徒競走になる。一年生からの順番なので、六年生の出番はまだ先だ。他の学年の出番のときは、自分の席で応援していてもいいし、家族席に行ってもいい。

 文月は家族席に行くことにした。朝から家族席が大盛況で、児童の待機席からは両親の姿が見えなかったからだ。それと、母親があとから作って持ってきてくれる予定だったお弁当を受け取らねばならない。

 環菜は三年二組なので、白組になる。姉妹が別々のチームとなってしまい、昨晩の父親は「困っちゃったなあ」と言って頭をかいていた。今日は仕事も休みで、朝から来ているはずだ。児童の登校時間と家族席への入場開始時刻は違う。

「今日は耳を付けていないんじゃな?」

 家族席のエリアに入るなり、見知らぬおじいさんに声をかけられた。オールバックの白髪に、赤い瞳。文月の祖父よりは若く見える。

「いぬみみ……?」

 犬耳、ということは、もふもふさんと代わっている時の文月に会っている、のだろう。けれども、犬耳もまた大人には見えないはずである。とはいえ、もふもふさんと交代しているときの記憶が文月にはないので、犬耳が大人に見えているのかいないのか問題はどちらが正しいのかわからない。

「おぬしは、文月ちゃんじゃろ。ワシは、キー坊――桐生貴虎の祖父じゃ。この前会ったのじゃが、忘れられてしもうたかの?」

「あっ! 桐生くんのおじいさん! すいません! タコさん公園の、不審者を退治しようとしてたと、聞いてます!」

「ああ、あれか。あれは、キー坊とワシとで懲らしめたから、もう大丈夫じゃよ」

「わあ、そうなんですね。よかったです!」

 もふもふさんも気にしていたから、帰ったら伝えよう。そう思う文月に、貴虎の祖父の疑念が降りかかってきた。

「……ほんとうのおぬしは、なのじゃな。やはり悪しきものが憑いておるときとは違うのう」

「? 悪しきものって、なんですか?」

「前回会ったときのおぬしには、よからぬオーラを感じたものよ」

「もふもふさんのこと、ですか?」

「ふむ。もふもふさん、というのか……」

 悪しきもの、よからぬオーラ。不穏な単語をもふもふさんと結びつけられて、文月はムッとした。

「もふもふさんは、悪い人じゃないです。わたしにお料理とか、走り方とか、教えてくれました。もふもふさんになる前の、香春隆文とかいう名前の人だった頃がどうだったのかは知りませんけれど、今のもふもふさんは、とってもいい人です!」

 文月にとっては、自分を変えてくれた存在だ。恩人ともいえるだろう。出会う前より、出会った後のほうが、人生が楽しくなっている。それなのに、この老人は一方的に悪者扱いしてきた。ムキになって反論してしまっても致し方ない。

「何も知らぬ女の子に近づいてくる血縁でもないオトナの男が、まともなはずなかろう。ましてや、人間から獣に姿を変えられているなど……よほどろくでもない男だったんじゃろうな」

「それ、ですわよ」

 ここまで言われるとは思っていなくて、少し泣き出しそうになっていた文月を見かねてか、一人の老婆が貴虎の祖父を諫めた。ブーメランとは『何も知らぬ女の子に近づいてくる血縁でもないオトナの男』の部分を指している。

「早苗、ワシは」

「うちの悟朗さんがごめんなさいね。悟朗さんなりのお節介なんでしょうけど、怖がらせちゃったじゃないよのさ」

「……そうじゃな。ワシはその、もふもふさんとやらに直接会ったことはないでの。会ってみれば、考えも変わるやもしれぬ」

「百聞は一見にしかずって言うじゃない。決めつけちゃダメよ、ダメダメ」

「はい! もふもふさんは、優しくて、頭がよくて、すごく頼りになるんです!」

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