第19話

 文月は、口をぽかんと開けて立ち止まる。あのママが?

「主演の男の人がうちの親戚らしいよ?」

「魁泰斗!」

 食い気味に反応する姉に一歩引く妹。一昨年の六月に母親の兄の息子(すなわち、文月と環菜から見た従兄にあたる人)の結婚式があり、母親のみではなくふたりも出席した。そのときに、この魁泰斗も出席しており、テーブルが近かったので挨拶はしている。

 しかしながら、文月は昔から芸能人にまったく興味がなく、当時の環菜は小学校一年生。他とは違うオーラを身にまとった眉目秀麗な年上の男性だとしても、二言三言会話したぐらいでは印象に残っていなかった。

「第一話は録画していて、周りからの評判がいいからって、第二話からは起きて見ることにしたんだって。ママが言っていたよ」

「そんな話、わたしは聞いていない」

「おねえがテレビを見ないからじゃん?」

 ぐうの音も出ない。家に帰れば食事の時間まで自分の部屋にこもっている。自分の部屋にはテレビは置かれていない。

「まあ、でも、ママが見ているなら、帰ってから話してみようかな」

 そういうことならば、フォワードソーセージを購入したレシートを隠さなくてもいい。学習机にしまったままのポスターだって、部屋に飾れる。

「うん。それがいいと思う。いちいちおばあちゃん家に行かなくてもいいじゃん。で見ようよ」

「環菜も見ているの?」

 文月が日曜の朝から出かけるようになったのは、環菜の『男の子向けの番組』という発言がきっかけである。なので、の部分に引っかかった。ママと、自分と。

「……笑わない?」

「何を?」

「おねえなら、気にしないか。あの犬のほうはいじってきそうだけど、今日はいないものね」

「うん。学校には連れて行かない」

 更衣室からプールサイドまで歩く。オリンピックの会場としても選ばれたこの水泳場には、メインプールと、飛込とびこみ競技用の飛板が設置されているダイビングプール、さらにサブプールの三種類のプールがある。姉妹が通っていた水泳教室はサブプールを使用していた。メインプールは通常時の水深が1.5メートルあるため、子どもの水泳教室には向いていない。

 ちなみに、月曜日の今日は、水泳教室の全クラスがお休みの日となっている。文月は知り合いに会いたがらないし環菜もまた将来有望視されていたところを辞めてしまったので気まずい。結果として、知り合いとのと思われる月曜日が選ばれたのであった。

「あたし、アイドルになりたいの」

「そうなの?」

 初めて聞いた。文月の最近は、初めて聞くことばかりだ。

「フォワードのさ、お嬢様、いるじゃない?」

「うん」

 仮面フォワード。バトラー、つまり、執事である。不思議な力を持つお嬢様を、その不思議な力を目当てに襲ってくる敵怪人から護衛しなくてはならない。フォワードの第一話は、主人公の望月勝利が仮面バトラーとして選定されるシーンから始まる。

「実はあたしの推しでね」

「うん。かわいいよね」

「特撮番組に出るっていうのは事前に知っていたけど、毎週出るような役とまでは知らなかった。第一話はママが録画しているっていうから、あとで最初から見るつもりだったし。だから、おねえがあのとき見てて、ちょっとびっくりしちゃった。あのときはおねえにも『女の子が女の子のアイドルを推している』って話したくなくて、つい消しちゃって」

「わたしが見ていたのは、たまたまつけたらやっていたからだけど……」

 フォワードのお嬢様役を演じているのは新進気鋭の三人組アイドルグループ『みすてぃーず』のセンター、雨量うりょうカノン。アイドルとしての活動は休止していない。

「あたし、かのしぃみたいなアイドルになりたくて、水泳は辞めて、ダンスを始めたの」

「うん?」

 文月は、環菜がダンスクラブに入る経緯を『友人に誘われたから』だと聞いている。姉が苦手な友だち付き合いを、上手くやっているので、その『友人に誘われたから』という理由で納得していた。

「水泳大会に行くとき、あの『みすず』のみんなが――かのしぃが駅前でチラシを配っててね。コーチはせかしてきたけれども、かのしぃは『頑張ってね』って言ってくれて、そこから、もう、ファン!」

「そうなんだ」

「かのしぃが応援してくれたから、あたしは頑張れたし、かのしぃのようにいろんな人を応援できるようになりたいな、って思って、深川のスポセンでダンスクラブをやっているって聞いて、美希ちゃんや千早ちゃんもいるから、始めたんだけども……」

 プールサイドで準備体操をしながら、環菜は語ってくれている。妹が姉に自分の話を打ち明けてくれる機会がこれまでになかったので、文月は真剣な表情を浮かべて相づちを打つ聞き手にまわった。

「なんか、ダンスが思っていたのと違うんだよね。入る前に見学してから入ればよかった。あそこでやっているのって、アイドルのダンスとは違って、もっと、芸術方面みたいな?」

「そうなのね」

「うちの小学校の運動会の次の週に、クラブで出場するダンス発表会があるんだけど、あたし、そのあとで辞めようかを悩んでいる。踊りはとっても楽しいのに、ずっと、頭の中で『なんだか違う』と思っちゃっているの。おねえは、どう?」

「わたし?」

「今の話を聞いていて、続けたほうがいいか辞めたほうがいいか、どちらがいいと思う?」

「わたしは……」

 環菜が水泳に打ち込んでいて、水泳教室でも期待されていた話は母親から何度も聞いている。学校でも、一時期は『環菜ちゃんの姉』という扱いをされてしまっていた。自慢の妹であるから、その妹の評判を傷つけないように、背筋を伸ばして過ごしていた節はある。

 ダンスを始めてからの環菜は、なんだか怒りっぽくなったような気がしていた。すべてをダンスのせいにするのはよくないが、タイミングとしてはだいたいその辺り。

「環菜がやりたいようにやるといいんじゃないかな。環菜は昔からいろいろできてすごいから、応援する側のアイドルに、なろうとすればなれると思うよ。環菜がつらいなら、今のところは続けなくてもいい」

「じゃ、あたしも、帰ったらママに言わないとね」

「うん!」


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