第17話

 翌日の朝。文月は目覚まし時計によりきっちりと起床した。

「うっ!」

 大袈裟にのけぞる。筋肉痛である。だが、本日の文月には行かねばならぬ場所があった。この程度の痛みに負けていてはいけない。右足、左足と順序よく、ベッドから降ろしていく。

『自力で起きたのか』

 起こさねば起きず、諭さなければ二度寝の休日スタイル――にはならないようだ。平日も目覚めてからまともに動き出すまでに時間がかかっていた。

「フォワードを見なきゃ」

 今日は日曜日。待ちに待った『仮面バトラーフォワード』の第五話が放送される。枕元に準備しておいた洋服に着替えて、財布とハンカチの入ったウエストバッグを腰に巻き付けた。

『出かけるのか?』

「うん」

『朝ご飯は?』

「着いてから食べるから平気」

『着いてから?』

「もふもふさんも行こうよ。みんなで第五話を見よう」

『みんな? ……まあ、行けばわかるか』

「うん!」

 文月の部屋にはテレビがない。鏡家のテレビはリビングに置いてある一台のみ。もふもふさんとしても不思議に思ってはいたのだ。

『わざわざ出かけなくとも、家のテレビで見ればいいんじゃない?』

 文月は仮面バトラーのファンであることを隠そうとしている。ポスターを持っていて、自分の部屋なのだから堂々と壁に貼ればいいものを、学習机の引き出しの中に入れているぐらいだ。

「ママに、なんて言われるかわからないもの」

『娘の見ている番組にケチ付けてくるかな?』

「たまたま日曜日に早起きしちゃって、テレビをつけたら第一話をやっていたから見ていたんだけど、起きてきた環菜から『男の子向けの番組じゃん』って言われて、テレビを消されちゃって。環菜がそう言うなら、ママはもっと言ってくるだろうなって想像つく」

『なるほどなるほど。変身ヒーローは男の子向け、か』

「もふもふさんはどう思う?」

『オレは見ていなかったから』

 このようなやりとりをしながら文月は地下鉄の駅まで歩く。休日の駅のこの時間は、遠方へ出かけようとしている乗客が多い。あるいはカレンダーが休日だろうと関係のない職種の方々。

「あ」

 本来ならば、犬を電車に持ち込むには完全に身体が隠れるケージに入れなくてはならない。文月は改札の前で立ち止まった。

『大人からは見えないんで平気じゃないすか?』

「う、うん」

『どうしても気になるのなら、オレはここで文月を見送って帰るんすけど』

「もふもふさんもフォワード見たい……でしょ……?」

『文月と貴虎があれだけ語っているのを聞いていたから、まあ、そうね』

「なら、行こう。次の電車に乗らないと、間に合わない」

『ギリギリのスケジュールなんすね。公共交通機関は頻繁に遅延したり時間調整したりするから、余裕を持たせたほうがいい』

「う、うん、わかった」

 電車に揺られて五駅。そこから乗り換えて、さらに三十分。準急は通過してしまうので次に来る各駅停車をホームで待ち、三駅。

『もう少し早めに起きたほうがいいな』

「来週からはそうする」

 もふもふさんのお小言を受け流しつつ、改札を通る。目的地は駅から徒歩五分。

『で、ここは?』

「わたしのおじいちゃんの家!」

『へえ……アイスクリーム屋か……』

 一階部分はシャッターが閉まっている。そのシャッターの表面おもてめんにはファンシーなイラストと『シックスティーンアイス』の文字があった。

「もふもふさん、アイスは嫌い?」

『いいや?』

「なら、あとでおじいちゃんに食べさせてもらおう」

『どうやって?』

「わたしと入れ替わればもふもふさんも食べられるでしょう?」

『文月は食べられなくていいんすか?』

「なんで? わたしも食べたい」

『文月の身体にアイスクリーム二倍はちょっと』

「な、なら、二倍頑張る!」

『言ったな』

「……もふもふさん、そういうところはイジワルだよね」

『オレは文月のために言っているんで、誤解しないでほしい。今日を二倍にしなくとも、平日の朝の練習で分割していけばいい』

「うん。わかった」

 エレベーターに乗って、七階まで上がった。一階は祖父の経営しているアイスクリーム屋で、二階は倉庫、三階から六階は賃貸物件。七階が大家である母方の祖父母の自宅となっている。

「おじゃましまーす」

『おじゃまします』

 カギはかかっていない。文月がフォワードをこちらの家で見るようになったのは、第二話からになる。この時間に孫がやってくるのを見越して、祖母はカギを開けておいてくれていた。

「いらっしゃい」

 テーブルには朝食が並べられており、あとは白米とみそ汁が用意されたら完成。こちらも文月の到着に間に合うように準備されている。

「わあ……」

 起きてからここまで飲まず食わずで移動してきている文月は、好物ばかりの食卓に感動していた。すべてはフォワードのためではあるが、おなかは空く。

「文月や。カニも食べるか?」

 祖父が冷蔵庫からカニを取り出して、見せてきた。つい昨日、田舎からクール宅急便で届いたものである。

「食べる!」

『え、これにアイスも食べる? 朝食にしては多くない?』

 もふもふさんのツッコミは無視し、文月は手を洗う。テレビの見える位置の席に着いた。祖父母、孫を可愛がりがち。食べきれないような量を用意した上で、さらにお土産を持たせようとする。

『……こちらのおじいさんにはオレは見えていないみたいだな』

 文月がカニに食らいついているので、もふもふさんはラグの上に横たわる。貴虎の祖父は、はっきりと明言はしていないものの、もふもふさんの存在を感知しているようだった。しかし、こちらの祖父母は孫が犬を連れて入ってきてもお構いなしだ。孫しか見えていない。

『貴虎のじいちゃんが特別なだけか』

 あちらのじいちゃんはタコさん公園の不審者と戦うべく、テニスラケットサイズのハエ叩きを用意していた。貴虎からは『おれのじいちゃんのすげー発明品』について熱く語られている。やはり常人とは違うがあるようだ。

「テレビ付けなきゃ!」

 午前八時。フォワードの第五話が始まる。

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