第12話

 貴虎の手は、もふもふさんの頭にはれられない。文月の手でならさわれる。文月以外の子どもに対しては、プロジェクターで投影された映像のように、そこにあるのに実体がなかった。

『環菜もこうだったな』

「そうなんだ。もふもふさん、こんなにもふもふしているのに、みんなが触れないなんてもったいないよ」

『オレは、文月以外からベタベタ触られたくないすね』

「そうなの?」

 もふもふさんはこれ見よがしに鼻先を擦り付ける。昨日、区民スポーツセンター前で男子三人組に絡まれそうになったが、その三人組は揃ってスポーツ刈りの髪型だった。したがって、このツンツン頭の少年は文月に声をかけようとしていた三人組のうちの一人ではない。

「もしかして、もふもふさんと仲良くなれば、触れるようになるってこと?」

『オレをこの姿にした女神サマ曰く、オレが“善行”を積んでいけばできるようになることが増えていくらしい。そのうち、触れるようになるかもだ。だが、仮に触れるようになったとしても、オレに名前を名乗らないようなヤツには触らせたくないな?』

 さきほど、文月は貴虎を“桐生くん”と呼んでいた。なので、名字は判明している。

「なるほどね。――おれは桐生貴虎。六年一組のクラス委員長。鏡とは、席が近いからよく話す。今日は“しゃべる犬”がいると聞いて、来たぜ」

 もふもふさんに意地悪っぽく言われて、貴虎はあぐらをかいている状態から正座に座り直す。背筋をぴんと伸ばし、名前と役職、文月との関係性、家に上がった目的を答えた。

『そうかそうか。ひとつ、確かめたいことがあるから、そこを動くなよ』

「わお!」

 動くなよ、と言われても、正座の体勢からそう易々とは動けない。もふもふさんは文月と入れ替わるときのように貴虎の身体に向かって正面から飛び込んで、。目の前にいきなり壁が現れて、もふもふさんはすんでのところで踏ん張る。激突は免れた。

「できないんだね」

 反射的に両腕をクロスさせて自分の身体を守るようなポーズを取りながら両目を閉じている貴虎に代わり、そばで見ていた文月が言った。母親の身体がすり抜けたのと同じ現象が起こっている。入れ替われない。

『なら、文月。少し借りるぞ』

「うん?」

 確認が終わったので、もふもふさんは入れ替われるのがわかっている文月の身体に入った。はっきりとさせておきたいことがある。

「わっ」

 貴虎がおそるおそるまぶたを開ければ、文月の頭に白いオオカミの耳が生えていた。目を離したすきにアクセサリーが装着されていて、貴虎は驚き、今度は目を丸くする。

 文月から“桐生くん”と呼ばれていることを把握している上で、文月もふもふさんはあえて“貴虎くん”と呼びかけた。このときの声は、文月のものだ。発声器官は文月のものであるから、文月の肉体を借りている間は文月の声になる。なので、普段の入れ替わり中は一人称を“わたし”にしたり、文月の語彙力に合わせたりするのだが、今はその必要がない。

「入れ替わっている間の記憶は、文月にはないらしいすよ。だから、今、オマエがオレに何を話したとしても、オレとオマエのふたりだけの秘密になる」

 文月は右手人差し指を立てて、自分のくちびるにくっつけた。貴虎と目を合わせて、ウインクする。

「もし、オマエが文月のことを好きなら、このオレがアシストしてやってもいい」

「えぇ!?」

 その人差し指の先端を貴虎に向ける。突然の申し出に、状況がうまく飲み込めていない貴虎はすっとんきょうな声を上げた。少々パニック気味になって、文月の部屋をきょろきょろと探している。

「さっきまでいた犬は!」

 入れ替わりを人前で披露するのは初だった。白くてもふもふとした大きな犬が部屋の中から忽然と消えれば、まあ混乱する。区民スポーツセンターに行く際には配慮していたのに、すっかり忘れていた。そこから説明しなくてはならない。

「貴虎くん。今、オレは――さっきまでいた犬の魂は、この文月の肉体に入っている。入っている間は、こうやって頭に耳が」

 オオカミの耳のほうを動かしてみせる。

「入れ替わっている間は、文月は寝ているような状態になる。こうやって話していても、何を話していたか覚えていない」

「お、おう」

 高速でうなずく貴虎。よく話す、の言葉に偽りはなく、様子の違いから、文月であって文月ではないとなんとなく理解している。

「で。オレは、オマエが文月をどう思っているのか気になっている。文月の恋人になりたいのなら、協力してやる」

「こっこっこここ!」

 ニワトリになってしまった。それから、顔を赤くする。

「い、いや、その、鏡とは」

「あのなあ貴虎くん」

「な、何?」

 文月から徐々に距離を詰められている貴虎は、後ずさりしていたら背中が壁についてしまった。逃げられない。

「オレは文月には幸せになってほしい。貴虎くんが文月を本気で愛してくれるのなら、オレはいくらでも手助けすると言ってやっているのにオマエはどっちなんだ?」

「もふもふさんは、鏡のこと、その、……好きじゃない……?」

「それは何。オレへの気遣い?」

「もふもふさんが鏡のことを好きなら、おれは横取りしようとしているのだぜ?」

 文月は、手を壁から離す。貴虎が何を言わんとしているのかわからないので、眉をひそめた。

「だって、幸せになってほしいなら、別におれを応援しなくてもよくないか。もふもふさんではいけない理由がある?」

 ここまで言われて、納得した。もふもふさんは、言わなくてもいいことは言わない方針でいる。すべてを打ち明けることだけが誠実さではない。文月との関係に不都合な真実ならば隠し通す。これまでも、これからも。

「将来的に、オレは文月と離れないといけない。オレがずっとそばにいてやることはできないから、可能な限りやれることをやっておきたい。文月が幸せになれるように」

 そう言ってと、文月の学習机の引き出しを開ける。中に入っているのは、仮面バトラーフォワードのポスターである。そのポスターを取り出した。

「それで、文月はこの番組が好きらしいすけど」

「フォワード! フォワードだ!」

 文月が貴虎にこのポスターを見せる。すると、貴虎が犬を見たときと同じような反応を示した。

「鏡も見ているのか!」

 小学校六年生の間では流行っているのかもしれない。もふもふさんは距離を縮めるには共通の話題から、と思い、文月の好きなものを紹介したのだが。

「――な、なんでわたしフォワードのポスターを!?」

「わっ! 耳がなくなった!」

『あとは若い二人で存分に話してくれ』

「犬、戻ってきた!」

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