檸檬
ハナビシトモエ
檸檬
打ち上げ終わりに飲む濃い檸檬チューハイが僕の深呼吸だ。
続々増えるサポートメンバー、どんどん消えるメインメンバー。今日、ボーカルのアイツが辞めた。お見合いで相手が決まったって、山形のご令嬢だそうだ。なんだよ。今更、お見合いって、ぜってーご令嬢に騙されているだろう。ふざけんな。
今も打ち上げで、送別会でたらふく檸檬チューハイを飲んだ。残りのメインメンバーであるベースの僕とドラムの山辺はいくら飲んでもその場では酔わなかったはずだ。
結婚はいいよな、僕もいつかしてみてー、どっかに出会い落ちてないかな。ちょっとトイレに行って来るわ。と言って座敷を立った。
ここで頭打って、お見合いに泥がつくと面白いのに悪魔の様な考えが脳裏をよぎった。
年季の入った檸檬チューハイのポスターを見ながら小用をする。来週からどうしよう。ボーカルしたい奴は山ほどいるのにアイツくらい上手いやつ他にいないもんな。ギターは山辺がかろうじて弾けるけど、高校生に毛が生えた程度だから、しばらくは山辺のバイト先頼みかな。山辺いつ寝てるのか分からないくらいバイトしてるんだよな。
すぐに小用トイレに人が入ったので、外へ出て、あの幸せそうなアイツを目に入れたくなくて、僕はポケットの小銭入れを頼りに店の外に出た。外は雨が降っていたので、コンビニまで少し走って、メンソールと濃厚檸檬サワーのロング缶を買った。メンソールは店の傘の隅でかんだ。
メンソールを吸いながら一回生の頃に、八百屋で臨時アルバイトをしたことを思い出した。涼しくなってから色んな地方の檸檬を取り寄せて売るってバイト。給料が良かったことと、交通費が出たからバンドメンバー全員で参加した。
ユーレカ種とかリスボン種の違いが分かるまでにそのバイトは終わった。八百屋たちがやっていた檸檬フェスタは会場のみかじめ料すなわち使用費を払わずにいたことをお巡りさんに指摘されたからだ。何も知らなかった僕たちは給料も交通費も貰えずに身分証だけチェックされて返された。
誰かがレモネードを飲もうといいだしたのはその帰り道だった。どこのコンビニに行ってもレモネードなんて売っていない。檸檬ジュースは近くのスーパーに行けば、しぼりたてを飲めるだろうが、男の手で握った檸檬ジュースは飲みたくなかった。
「お前ら、これ打ち上げ」
ニヤニヤしながらちょっとアルコールの入った檸檬ジュースをアイツは差し出した。自販機から買ってきたと記憶している。
みんな浪人生で成人に達していた。僕だけがまだ十八だった。余った一本、メンバーから弟分扱いされていて、それがどこか気に食わなかったのもあってアイツから缶をひったくりプルタブを開けて一気に檸檬ジュースを飲みほした。
いつの間にか雨は止んでいた。
「おい。ちょっと席外しすぎ」
「山辺、ごめん」
山辺は僕の隣にガードレールに腰かけた。
「それ」
「煙草の禁煙中止」
何をと山辺は鼻を鳴らした。
「酔ったか」
「別に」
「嘘をつけ、トイレに行くお前を見てみんな心配してたぞ。外でぶっ倒れているから見てこいって、もうこんなに度数高いやつ飲んじゃって」
「僕、辞める」
僕はよろめき四つん這いになって、地面と相対した。
口から何か出たかもしれない。アイツが学生の時に僕と会わんかったら、僕にバンドしよって言わんかったら、もし檸檬チューハイを差し出さんかったら。
「ごめん、山辺。本当にごめん」
口の周りは吐しゃ物でいっぱい、アルコール臭いそれと胸の痛み。
「知っていたよ。荷物持ってきたる。二万円くらい抜くからな」
「それはやりすぎ。電話番号メモれる?」
僕達はラインがあったから、電話番号が必要なかった。こういう終わって欲しくない別れをする時にしか使わない。アプリは消せば終わるから、アプリみたいに簡単に消えない証が欲しい。
「あとで聞く。アイツには?」
「奥さんとよろしくな。僕は」
僕はお前に会えて良かった。檸檬祭りのしたたる汗も檸檬チューハイを差し出したごつごつした腕も本当に好きだった。
「元気でやるから心配するなって」
「分かった」
すぐに帰ってきた山辺は僕を引きずり、近くにある山辺のアルバイト先の一つであるコンビニの駐車場で僕を丸洗いして、新しいシャツに着替えさせた。一通りきれいにされ、女子大生アルバイトの置き土産のドライヤーで髪を乾かしている時に、山辺はそう言えばと口にした。
「アイツ」
「もうええよ」
「まぁ、聞け」
「ええって」
「お前がメンバーで良かった。だから、来世でもバンドする」
なんだよそれ、今世でずっとすればいいじゃん。
「山辺、檸檬チューハイ」
手を山辺に差し出した。
「お前、何言うてるか分かってるか?」
山辺は呆れてそういうだろう。
「打ち上げ終わりに飲む濃い檸檬チューハイが僕の深呼吸だ」
「髪の毛乾かしたら帰れ」
檸檬 ハナビシトモエ @sikasann
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