クロユリ

@Allan_kimagure

(短編)クロユリ

 「クソ暑い」


 太陽が真上を昇る頃、私はある場所に向かっていた。


 「暑い。夏なんて来なければいいのに」


 真上のギラギラした太陽が私を照らす。そのせいで、汗がダラダラと体中から出て、先ほどまで歩いていた道には、一本の湿った線が描かれていた。もし、私を追っている人がいたら、丸わかりだろうな。私はそんな寒い冗談を言ってみるが、すぐにこの暑さでそんな冗談も言えなくなった。


 太陽は相変わらず照らし続け、暑さのせいで向こうの道路にゆらゆらと陽炎が見える。さらに、蝉がミーンミーンと鳴き続け、この暑さをより鬱陶しくさせている。


 季節は真夏を迎えていた。


 誰だよ、蝉が風情だって言ったやつ。私はこのどうしようもない暑さへの怒りを、よく知りもしない昔の偉人にぶつける。


 出不精の私には、この熱い日差しがきつかった。普段出かけることもないため、学校以外で久しぶりに外に出てみたら、この有様だ。


 しかし、こんな暑さへの文句を言う私だったが、今日だけはある場所に行かなければならなかった。私はある人のお墓参りに来ていた。


 しばらく歩いていると、ようやく目的のお寺が見えてきた。よし、あともう少しだ。向こうに見えるお寺が、暑さで意気消沈していた私にやる気を与える。あともう少し、あともう少しと呟きながら速足で進むと、目的地のお寺に到着する。


 「よーし、着いたー」


 私は目的地に着いた安堵からか、ぐーっと背伸びをする。背伸びをした後、お墓参りをするのに、最初にお寺の本堂にお参りする。本堂の中で輝いている仏像に合掌し、とりあえず祈るようなふりをする。正直、お墓参りに来ているのであって、お寺が目的ではないので、仏教の祈りとかはよくわからない。でも、マナーとして本堂に参るので、しぶしぶ本堂でお参りをしている。


 私は本堂でお参りした後、ある人のお墓に向かう。本堂を出て、お墓が密集している場所に行くと、私は手で目を覆い隠す。いくつもある墓石が太陽光を反射し、余計に眩しくさせていた。


 「まだここにも太陽の残りがあったか」


 私は片手を目の上に広げ、目元付近に日陰を作る。そうして、日陰で見えやすくしながら、目的のお墓を探す。


 「確か、この辺に……。あった!」


 私は目的のお墓を見つけ、お墓の前にしゃがむ。お墓は誰かが来ているのか、掃除が行き届いていた。なので、私はお墓の掃除をする必要が無く、持参した線香とクロユリの花のお供えだけをした。


 私はお墓の前で、目を瞑り、手を合わせて合掌する。私は合掌している間、お墓に眠っている人物を思い浮かべる。


 ポニーテールで明るい笑顔が素敵な彼女。私は彼女が好きだった。



 でも、彼女は私に呪いをかけた。一生消えない呪いを。



 早朝、自分の部屋の窓から、眩しい光が入ってくる。


 ―眩しい……。

 私は眩しさから、ギュッと目を瞑り、必死に瞼の中に光が入らないようにする。


 だが、必死に起きまいと抵抗している私に、追い打ちをかけるように、携帯のアラームがピピピと騒がしく鳴る。


 私はアラーム音と太陽光を防ぐため、枕を顔の上に被せて、両耳と両目を塞ぐ。このままアラームが聞こえなかったということにして、学校を休めればいいのに。しかし、そんな私の願いを阻む者がいた。


 「桜子!早く起きなさい!」


 母の声が枕を突き抜け、私の鼓膜に響く。こうなったら起きなければならない。私は眠い目を擦り、むくりとベッドから起き上がる。


 「ほら!早く!」


 「わかった!今行くってば!」


 母の追撃に反抗するように、大声で返す。

 私は下に降り、リビングに向かうと、もう朝食が用意されていた。私は顔を洗い、着替えを済ませ、ある程度身支度を済ませると、リビングの椅子に座る。


 そして、ジャムを塗ったパンを口に運ぶと、

 「学校は上手くやれている?」

と母がいつもの常套句を言ってくる。母は私の性格を案じてか、学校生活のことをやたらと心配してくる。


 「うん、大丈夫」


 しかし、私はいつもと変わらぬ返事をする。


 「そう」


 母は私が学校で上手くいっていないことに勘づいているのか、「そう」とだけ呟く。だが、深追いはしてこない。それが嫌がられることが目に見えているからだろう。


 「行ってきます」


 私は学校の準備を終え、玄関の扉を開ける。すると、まず視界に入ってきたのは、太陽の眩しい光だった。


 ―そういえば、天気予報で今日は気温が熱く、まさに真夏日と言っていたな。


 私は眩しい光を避けるように、視線を下に向ける。そして、下を俯いたまま、トボトボとゆっくり歩いて登校する。


 他の子は友達と約束をして登校しているのか、友達と話しながら学校に向かっていた。そのせいで、周りがやけにザワザワと騒がしい。


 ちぇっ。私はつまらなそうに道に落ちている小石をコツンと蹴った。



 私は友達が少ない。いや、ほとんどいないの方が正しい。私は元々かなりの口下手で、人と話しているとどもってしまう。終いには、笑顔を作るのも苦手で、自分ではニコリと笑った顔も魔女が不気味に笑うような顔になってしまう。


 だって、仕方ないでしょ。元々、こういう顔のつくりなんだから。一応、何度も鏡の前で笑顔の練習をしたけど、全部同じ顔になるんだから、もう諦めてしまったのよ。



 私はそのまま誰とも話さないまま、学校に着き、階段を上がって、自身の教室に入る。そして、自分の席に着くなり、鞄を机の脇に掛け、机にうつ伏せで寝たふりをする。両腕を交差させるようにして、まるで関わらないでくれ、というような腕の壁を作る。


 周りもその様子を見てか、私のそばには誰も近づかない。ただ一人を除いて。


 私が机に突っ伏していると、頭上から声が聞こえてくる。


 「あれー、また桜子、お昼寝ですか?」


 いつもの聞きなれた声で、その声の主が百合だということに気づく。


 「……何?」


 私は恥ずかしさを隠すように、つっけんどんな言い方で返事をしてしまう。私はうつ伏せのまま顔を若干右にずらし、腕の隙間から百合の顔を覗き見る。


 「おはよ」


 彼女がニコッと微笑み、私は胸がドクドクと高鳴る。私は自分の気持ち悪いにやけ顔を見せたくないため、再び顔を隠すようにうつ伏せになる。


 その私の愛想のない態度を見て、話しかけてほしくないと思ったのか、百合は私に話しかけるのを止めてしまう。


 「クロユリ、もうほっときなよ。桜子さん、眠いんだよ」


 クロユリとは、百合のあだ名だ。百合の本名は黒瀬百合。だが、クラスには百合という名前の子がもう一人いるため、区別するために、クロユリと呼ばれている。


 百合の名前が女子の間で決まった時、百合は、「えー、なんかクロユリって不吉っぽいなぁー」と冗談交えながら言っていた。周りは彼女の冗談に笑い、ノリで「じゃ、それで決定ね」と決めてしまう。


 だが、私は百合のあだ名がクロユリは相応しくないと思っている。彼女の明るさはまさに白ユリだろう。クロユリのような闇を持っているはずがない。だから、私はあえて、百合を「百合」と呼んでいる。


 私はいつも笑っている彼女が好きだ。人を笑わせようと冗談を言う彼女が好きだ。遊んで子どものように怪我をしてくる無邪気な彼女が好きだ。しかし、この気持ちを伝えれば、この関係は終わってしまう。きっと彼女は気持ち悪がるかもしれない。私はこのおぞましい気持ちをすっと胸にしまいこんだ。


 そして、その日は何事もなく学校が終わり、私は帰宅した。翌日も朝が来て、いつもと同じように学校に登校して、また同じように授業を受ける。そう思っていた。だが、違った。その日は、百合の様子がなんか暗かった。いつものように私に声を掛けてこなかった。


 私はおかしいなと思いながら、うつ伏せの状態で百合をジッと見つめる。百合も私と同じように俯いていた。


 私は嫌なことがあったのかなと思い、そっとしておくように、何も声を掛けなかった。

一限目の授業はそれで終わった。そして、休憩時間に入り、また授業開始のチャイムが鳴る。次の授業の数学担当の先生も教室に入ってきた。


 数学か。一番面倒くさい授業だ。私はめんどくさがりつつも、机の中から数学の教科書と筆記用具を取り出す。


 「はい、じゃ、授業始めるぞ。あれ、黒瀬はどうした、欠席か?」


 数学の先生が百合の空席を見るや否や、他の生徒に彼女の所在を尋ねる。先生の質問に反応し、生徒たちはキョロキョロと辺りを見回す。確かに、先生の言う通り、百合の席だけ、ぽっかりと空いていた。


 「いや、前の授業まではいました」


 クラスの人が報告すると、「どこ行ったんだろう」と先生は疑問がる。


 私は何か背筋がゾクリとする感覚を覚える。他のクラスメイトだと、そんなに不思議に思わないのだが、百合が急に欠席となると、何か大変なことが起こっているのではないかと思ってしまう。


 百合はそもそも学校を欠席することがほとんどなく、仮に風邪をひいた場合でも、「ちょっとひいただけだから大丈夫」とマスクをしながら登校していた。



 「先生、トイレ行ってきます」


 私は先生にそう言うと、返事を聞かずにすぐに教室を出ていく。


 なんだろう、嫌な予感がする。私の第六感がそう告げていた。


 気のせいだったらいい。いや、気のせいでいてくれ。私はそう願わずにはいられなかった。


 私は教室を出ると、次々に思い当たる場所を見ていった。まずは保健室、その次に空き教室を見て回った。だが、どこにも百合の姿を見当たらない。もう帰ったのかな、そう思い、一応最後に屋上を見ていくかと屋上のドアを開けると、そこには百合の姿があった。屋上の外側には手すりがあり、手すりが屋上を囲うようになっている。その手すりの奥に百合はいた。


 「え、え、え」


 私は突然のことに驚いて、言葉にならない声を上げる。その声に反応して、百合はこちらにそっと振り向く。


 「……ねぇ、何してんの?そこ危ないよ……」


 私は未だに状況を呑み込めず、百合に危険だと伝える。


 「おかしなことを言うんだね。私は自分でここに来たの」



 私は彼女に語りかける言葉が見つからなかった。多分、口下手じゃなければ、彼女を止められる言葉も掛けられるかもしれない。私は自分の口下手さを余計に呪った。



 「もう疲れちゃったよ」


 百合は思い詰めた様子で、ポツリと呟く。

 

 百合がそんなに思い詰めていたなんて。私は彼女が何に悩んでいるのかも、どれだけ辛いのかも、何もかも分からなかった。そして、その自身の無知さに腹が立ってくる。


 私は彼女を止めたかった。彼女に生きていてほしかった。だが、私には彼女を止められる資格も、言葉も見つからなかった。私が止めるべきかどうか葛藤していると、

 「桜子!」

と百合が声をかけてきた。私はその声に反応し、百合の方をばっと振り向く。


 私が彼女の方に振り向くと、彼女は私に何かを話しかける。必死に何かを伝えている。

だが、ちょうど、いや最悪のタイミングで空に飛行機が飛び、その音で彼女の言葉は掻き消されてしまう。


 そして、彼女は私に何かを伝えて満足したのか、そのまま屋上から飛び降りた。彼女の姿が屋上から見えなくなった数十秒後、ぐしゃりという音が聞こえ、それと同時に「キャーーー!!!」という女子の大声が屋上にまで響き渡った。



 翌日から、彼女の机の上には花が添えられていた。



 そして、百合の自殺を皮切りに、彼女の身辺調査が行われた。いじめに遭っていたのではないかとか、勉強に悩んでいたんじゃないか、など様々な調査が行われた。そして、その調査で、百合が虐待を受けていたことが明らかになった。


 彼女の訃報をご家族に知らせると、父親は「あ、そうですか」と呆気なく答えた。あまりの呆気なさに怪しんだ教師は警察に相談し、父親を事情聴取、家宅捜査が行われた。彼女の家を調査したところ、まず家の至るとこにあるごみが散乱し、何か殴ったような傷跡があちこちにあった。父親に問いただしたところ、母親は数か月前に家を出て、百合と父親の二人暮らしだったという。それゆえに、ごみが散乱してしまったとのことだった。


 だが、それだけでは家の中の傷に説明がつかない。また、百合の遺体を調べたところ、彼女の体からも打撲のような傷があり、警察は父親による虐待を疑った。


 最初こそ、俺は無関係だと冷静に説明していた父親だったが、次第に矛盾点が浮き彫りになり、最後の方はしどろもどろになっていたという。そして、とうとう父親は百合に殴るや蹴るなどの虐待を行っていたことを認めた。さらに、家から百合の日記のようなものが机の棚の奥から出てきて、そこには彼女が虐待を受けていた証拠が残っていた。



 私は知らなかった。彼女がいつも笑っていたのは、周りに心配をかけないためだったということを。彼女がいつも冗談を言うのは、せめて学校での居場所を失いたくないがゆえに他人を笑わせようとしていたことを。彼女が怪我をよくしていたのは、虐待を受けていたからだということを。


 彼女の新事実が出てくる度に、私は段々と何も知らなかった能天気な自分が腹立たしく思えてくる。自分は百合に散々話しかけてもらっていたのに、どうして気が付かなかったのか。自分は百合に救われていたのに、彼女が本当に困っている時に自分は助けられなかった。自分には百合を好きになる資格は元から無かったんだ。そう思ったら、もう何もかもがどうでもよくなってきた。



 私は「百合、ごめん」と何度も呟きながら、コツコツと階段を昇っていく。


 そして、階段を昇る音が止むと、私は屋上の扉の前に立っていた。ガチャリと目の前の扉を開けると、そこには先日に百合がいた場所が目に入る。私は屋上へと上がり、意思表示のように、手すりの前に靴を置く。いつも家の中で靴を揃えないくせに、こんな時にだけ律儀に靴を揃えた。


 そして、手すりを跨いで、私は百合がいた場所に立つ。


 チラッと視界に入った下の景色が私の恐怖心を煽る。想像していたより高く、その高さに頭がクラクラする。だが、それと同時に、私は百合への悲しさがこみ上げてくる。


 「百合、あなたはこんなに怖い景色を見ていたの?でも、その怖さも関係ないくらに辛かったの?」


 彼女の死ぬ間際と同じ体験をすることで、彼女の気持ちが徐々に、徐々に伝わってきた。そして、彼女への申し訳なさがひしひしとこみ上げ、私の飛び降りる勇気を後押しする。私は覚悟が決まり、身体から力を抜き、ふっと飛び降りようとする。


 すると、

 「屋上に誰かいるぞ!!!」

と大声で叫ぶ男子生徒の声が私の鼓膜を振動させる。


 その時、一気に現実に引き戻されたように、身体から離れかかっていた意識が呼び戻される。


 その時、私はフラッシュバックのように改めて彼女の最後の言葉を思い出す。


 「あなたは生きて、幸せになって」


 私はその言葉を鮮明に思い出すと、急に足がガクガクと震えだした。体が怖い、と拒否反応を起こし始めたのだ。もうこうなっては、私に飛び降りる勇気は出ない。


 私は腰を抜かすように後ろにへたり込む。そして、突然、今まで出なかった大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。私は年甲斐もなく、大声で泣きわめく。



 私は生まれて初めて、彼女を恨んだ。なんて傲慢なんだ。自分は死んでおいて、私に生きろ、だなんて。


 彼女は私に呪いをかけた。一生消えない呪いを。



 私はその自殺未遂をしそうになった日から、彼女のお墓にクロユリを供えるのでした。

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