第33話 方針をあなたへ
「助かったよ、ルシュ。ありがとな」
ルーベニマ商会で初めての商談を終えた後、街の食堂で昼食を食べながら、ルシュに礼を言った。
もしルシュがいなかったら、見たこともない金額を目の前にぶら下げられて、あっさりと手を伸ばした挙句、商人としての信用を失い、さらには当初の目的をも見失ってしまうところだった。
「どういたしまして。本当は口を挟むべきかちょっと迷ったんだけどさ、最初にクライが言ってたことだったから」
「本当にそうだな。次からは気をつけるよ。この後もよろしく頼むぜ、頼りにしてるから」
「もちろん! 私はクライのパートナーってわけだね」
「ビジネスパートナーな」
「もう! 細かいことはいいじゃない。でも、だったら、分け前はちゃんともらわなきゃね」
そう言ってルシュは悪戯っぽく笑うが、もとよりそのつもりだ。手伝ってもらう以上は、その働きに見合った報酬を支払うのが筋ってもんだ。
「うそうそ。わたしはお金はいらないよ。必要なときにはクライにもらうから」
レモン果汁の水割りに入ったレモンをつつくルシュは、本当に金になど興味がないといった感じだ。
しかし、必要なときに必要なだけ持っていかれるんじゃ、そっちの方が高くつきそうだな……しょうがない、報酬分は積み立てておくか。
「ところでさ、クライの考えを聞かせておいてくれない? ちゃんとわかっておかないと、間違ったことを言っちゃうかもしれないからさ」
「それもそうだな。ってか、最初からちゃんと話しておくべきだったよ」
会計を済ませた俺たちは、次の商談先であるチュートイ物産へと向かうべく馬車へと乗り込む。ここからは馬車をゆっくり走らせ一刻程、その移動時間を利用して、今回の砂糖の販売における俺の考えを説明することにした。
「今回の商談ではさ、三つの基本方針を持ってるんだ」
一つは、利益の最大化。当たり前だが、できるだけ高く売りたいと思っている。
二つ目は、できるだけ敵を作らないこと。今回相手にする商会はどれも業界最大手と言っても過言ではない大商会だ。どこか一つでも敵に回すようなことがあれば、今後の商売に少なくない影響が出るかもしれない。そういうわけで、俺としては利益の最大化よりも敵を作らないことの方に重きを置いている。
そして最後の三つ目は、砂糖という商品をできるだけ多くの人に知ってもらうことだ。新米行商人が分不相応に大商会相手に商談を持ち掛けている理由でもある。
「できるだけ高く売りたいからオークションってわけなの?」
「それもあるけど、ぶっちゃけて言うと相場がわからないっていうのも理由だな」
既知の商品ならある程度の相場があって、品質の良し悪しや量の多寡によって値段が変わるわけだが、今回の砂糖はこの世界にとっては未知の商品なわけで、相場自体が存在しない。
そうであれば、俺が売りたい値段以上で、かつ、買い手が買ってもいいと思える中で最高の価格で買ってもらった方がいいと考えたわけだ。
「でもさ、オークションって、どんどん値段を競り上げていって一番高い値段を付けた人が落札するんでしょ? けんか——にはならないとしても、なんか雰囲気悪くなっちゃわないかな?」
首を傾げながらルシュが続ける。
「敵を作らないっていうのが目標の一つなんだったら、クライが決めた値段でみんなに同じ量だけ売ってあげたらいいんじゃないの?」
ルシュは聡いな。知っていたけど再確認。
「まあ、そういうやり方でもいいんだけどな。でも、俺もこれでいて一応商人だからさ、できるだけ利益は大きくしたいってのもあるんだよ。それに相手もプロだし、オークションで落札できなかったからといって逆恨みをしたりはしないはずだよ」
そもそもルシュが思い浮かべているのはいわゆるイングリッシュオークションだ。方式としては一番わかりやすいし、きっとこの世界でもスタンダードとして広く普及しているのだろう。
ルシュの指摘どおり、競り上げ方式なので、最終的には二者による蹴落とし合いになり、場合によっては雰囲気が悪くなることもあり得るだろう。まあ、皆さんプロであって素人ではないので、そんなことにはならないと信じてはいるが。
それにイングリッシュオークションは時間がかかる。見世物としてのオークションならそれでもいいが、実務としてはもっと簡単に済ませてしまいたいところだ。
そこで今回俺が提案したのは、封印入札方式のセカンドプライスオークションだ。
入札参加者がそれぞれの入札価格を知ることができないように、希望価格を書いた紙を封印した上で入札する。そして、最高価格を入札した者に、二番目の入札価格に金貨一枚を足した価格で落札させるやり方だ。無駄な競り合いもなく、一発で終わるのがメリットだ。
「えー!それじゃあ損しちゃうじゃない。なんで一番高い値段で売らないの?」
「まあ、そういうやり方もあるんだけどな。じゃあさ、例えばルシュがこの砂糖を一袋金貨十枚までなら出していいと思ってるとするだろ。そしたら、ルシュはいくらで入札する?」
「金貨十枚まで出していいって考えてるなら、金貨十枚じゃない?」
「本当に?」
俺が確認すると少し不安になったのか、ルシュは少しだけ逡巡を見せたが、最終的にはその金額に決めたようだ。
「じゃあ、この砂糖はルシュのものだ。でも俺は金貨五枚で入札したから。ルシュは目的の物は手に入れられたけど、そう聞くとなんか損した気分じゃないか? ほんとは俺よりも金貨一枚分高い六枚でも落札できてたはずだからな」
「うーん……それはそうだけど、金貨六枚にしてたら、手に入らない可能性もあるでしょ? 金貨十枚まで出していいって思ってたのに、金貨六枚で入札して手に入らなかったら後悔するもん」
「そうだよな」
絶対に欲しいと思っているなら、自らの評価額でそのまま入札するべきだ。一点物の骨董品ならそれでもいいだろう。
しかしこれは商品で、応札者は商人だ。落札者はできるだけ安く買って、それを高く売ることで利ザヤを得なければならない。そうすると必然的に生じるのが、競合相手の価格の読み合いだ。
相手の入札額が安そうだと思えば、自らも安く入札し、その逆もまた然り。一つ読み間違えれば、応札者側からすれば過剰に高く買ってしまうこともあり得るし、出品者側からすれば、本来の評価額よりも低い価格で落札されてしまうことも起こり得る。
まあ、それがファーストプライスオークションの醍醐味で、それをうまくコントロールするのが商人の腕の見せどころなのかもしれないが、今回の俺の目的には沿っていない。
そういう駆け引きとは無関係に、一番欲しいと思っている人に適正な価格で買ってもらうというのが第一だ。
「だったら、やっぱり競り上げ方式のオークションにしたらいいんじゃない? それだったら、一番欲しくて一番お金を出してもいいって人に買ってもらえるでしょ。クライの言うセカンドプライスオークションの、一番高い値段を付けた人が二番目に高い値段で買うっていうのがどうしてもしっくりこないんだよね」
ルシュの言うことももっともだ。言葉だけで聞いてなるほどとすぐに納得するのは難しい。
というわけで、ここでもう一度シミュレーションだ。
「さっきと同じ条件で、今度は競り上げ方式のオークションをやってみよう。スタートは金貨三枚からだ」
「四!」
俺が開始の合図を出すと、ルシュがすぐに声を上げた。
「やっぱり四だよな」
予算が金貨十枚までだからといっていきなりそこまで釣り上げることはまずないだろう。まあ、なくはないのだろうが、できるだけ安く落札したいという前提があれば、少しずつ刻みながら値を上げていくのが普通だろう。
「じゃあ、俺は五」
「六!」
俺が値を言うと、ルシュはすぐさま金貨一枚を上乗せする。
しかし、俺の予算は金貨五枚なのでここでお終い。
「な?」
「……なるほど」
シミュレーションを終えたルシュは海よりも深く納得していた。
そう、シミュレーションの結果、一番評価額が高い人が二番目に高い入札額よりも金貨一枚分多い額で落札したのだ。これはセカンドプライスオークションの結果と同じだ。
「これだとさ、入札参加者は他の参加者の評価額を予想したり、駆け引きしたりする必要はなくて、純粋に自分の評価額で入札すればいいんだよ。そうすれば、一番評価額が高い人のもとに自分が付けた値よりも安い額で商品が渡って、その値段も競り上げ方式のオークションの結果と基本的には同じになるから、売り手にも買い手にも損はないんだ」
絶対に落札するために、本来の評価額よりもはるかに高い金額で入札するという手もあるにはあるが、それは悪手だ。そういう考えの者が他にもいた場合、想定以上の高値で商品を掴まされることになってしまう。
これが唯一無二の美術品のオークションなら話は別だが、今回の物はあくまで商品。採算ラインを考えずに入札するなどという愚行を商人が犯すことはあり得ない。
つまり、結局は相手を考慮せずに自らの評価額で素直に入札するというのが一番ということになる。
セカンドプライスオークションは、一見複雑そうに見えるし、いまいち腑に落ちないようにも感じるが、実際はデメリットよりもメリットの方がはるかに大きい便利な手法だと個人的には思っている。
「そっかあ、なんか面白いね」
「そうだろ。それに俺たちにとってはもう一つ大きなメリットがあるんだ。わかるか?」
「うん。全員の本当の評価額がわかるってことだよね?」
「お、正解!よくわかったな」
「ちゃんと話聞いてたもん。クライもヒントを出してくれてたし。砂糖には相場がないし、全員の駆け引きなしの純粋な評価額を聞ければ、今後の役に立つかもしれないってことでしょ?」
いつものアホの子みたいな言動のせいで、俺はまだまだルシュのことを甘く見ていたのかもしれないな。
ルシュの頭をグリグリと撫でてやると、ルシュは目を細めて首をすぼめる。
賢いのは賢いんだけど、やっぱり子どもみたいというか、猫みたいというか、これでいて俺と同い年、立派な大人の女性なんだけどな。まあ、そういう観点で言えば、褒めるにしても大人の女性の頭を撫でるというのはよくないか。今後は自重しないとな。
「ねえ、クライ。あそこじゃない?」
ルシュが指差す先には、ルーベニマ商会に勝るとも劣らない立派な商館、チュートイ物産だ。
「着いたみたいだな。話の続きはまた後からだな。それじゃあ、この後もよろしく頼むぜ」
ルシュと二人で深呼吸をして、互いに気合を入れ直す。そうして、威風堂々たる門をくぐった。
俺たちの商談はこれからだ!
手にひらの上で踊ろう!〜異世界現実逃避行をあなたへ〜【クライ編】 uso @u_s_o
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