第32話 初商談をあなたへ
翌朝、納屋で夜を明かした俺は、なぜかご機嫌斜めなルシュを連れて、初めての商談へと向けて馬車を走らせていた。
「今日は三件ほど回ろうと思ってるんだ。悪いけど今日一日は仕事に付き合ってくれよ」
「つーん」
「つーんって、口で言ってるやつ初めて見たよ。なんで怒ってるんだ?」
「べーつーにー。怒ってませんけどー」
怒ってる人はたいていそう言うんですよね。
「まあ、仕事ばっかりってのは申し訳ないって俺も思ってるからさ、商談が上手くいったら、美味い物でも食べに行こうぜ」
「ほんと?」
ルシュが目を輝かせて俺の手を握った。ルシュのこういう分かりやすいところは美点だと思う。
「もちろん本当さ。だから、よろしく頼むぜ」
「頼まれました!」
ルシュがビシッと敬礼を決める。やや子どもっぽいというか、バカっぽいというか、まあ、こんなところも美点と言えば美点なんだろう。
「でも、わたしは何したらいいの?」
「何も」
「え?」
「ただ一緒についてきてくれたらそれでいい」
ルシュは見た目もいいし、意外と言うと失礼がもしれないが、品もいい。俺一人で行くよりも相手方の印象が格段に良くなること請け合いだ。コミュ力モンスターだし。
それに、俺は商人と商談を持つのはこれが初めてだ。情けないかもしれないが、誰かが一緒にいてくれた方が心強いのだ。
「まあ、いるだけで良ければわたしにもできるかな。それで、今日のご予定は?」
「午前中に一件、午後に二件回ろうと思ってるんだ。どれもかなり大きな商会なんだぜ」
一件目は、ルーベニマ商会。青の大陸全土に支店を有する総合商会だ。もう一件はチュートイ物産。ルーベニマ商会のライバルとされる大規模商会だ。そして最後の一件は、ここフローリア州最大の食品専門商会であるトカ食品、アーリムに本店を構える商会だ。
いずれの商会も一介の行商人が飛び込みで営業を掛けられるようなものではない。ましてや俺にはまだ何の実績もないからね。だから昨日のうちに商業組合に相談に行ったというわけだ。
俺としては、ここまで大きな商会を相手にする気もなかったし、できるとも思っていなかったのだが、サンプルを試食した組合の担当者がすごく乗り気になってくれて、昨日の今日で早速アポイントをとってくれたのだった。
「じゃあ、最初のところで全部売れちゃったら、今日の仕事はお終いなんだね?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。すでに訪問の予約はしちゃってるから、最初の一件で全部売れたから訪問しませんっていうのは失礼だろ? だから、今日商談をまとめる気はないんだ。今日は商品の紹介がメインだな」
「だったら、もう一回商談に来なきゃいけないってこと?」
「もう一回商談が必要っていうのはそのとおりだな。でも次の商談では相手に来てもらおうと思っているんだ。ま、詳しくは後で話すよ。着いたみたいだからな」
ルーベニマ商会スーイ支店——立派な門扉に掲げられた大きな看板には達筆な文字でそう書かれていた。
門扉をくぐればその先には商業組合よりも立派な建物があり、ひっきりなしに人が出入りをしている。まさにザ・大企業といった感じで、なんとなく就職活動を思い出してげんなりしてしまう。
俺は駐車場の空いたスペースに馬車を止めると、荷物を手に、受付へと向かった。
「おはようございます。行商人のクライと申します。本日光の五刻からお約束をいただいているのですが」
受付のお姉さんに予約がある旨を伝える。
ちなみに光の五刻とは元の世界でいう午前十時ぐらいだ。午前六時が光の一刻、そこから一時間ごとに一刻ずつ増え、午後六時が闇の一刻となる。
「ご商談のご予約のクライ様ですね。どうぞこちらへ」
受付のお姉さんの案内で第二商談室なる部屋へと通された。応接セットがあるだけの簡素な部屋だ。
「すぐに参りますので、お掛けになってお待ちください」
促されるままソファへと座るとすぐにお茶が並べられた。
あー、なんか緊張してきた。
深呼吸をしながら隣に座るルシュを見ると、澄ました顔で早速お茶を啜っている。まったく肝の座った女だ。
「お待たせして申し訳ありません。ようこそお越しくださいました」
程無くして、スーツ姿のお兄さんが商談室に入って来た。二十代後半か三十代前半といったところか、青い髪をきれいに七三に分け、人好きのする笑顔を浮かべたその容貌は清潔感と親近感を感じさせる。
「クライと申します。行商人をしております。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「ルシュと申します」
俺が立ちあがって挨拶をすると、隣でルシュもそれに倣う。ここら辺を卒なくこなすあたりは流石はルシュだな。
「仕入れ部門の責任者を任されておりますスタークと申します。黒髪と白髪とは珍しいですね……あ、申し訳ありません。いきなり容姿の話は失礼でしたね。どうぞおかけください」
スタークは俺たちに着座を促すと、自らも俺たちの正面に腰をかけた。
「仕入れ部門の責任者の方に直々にお話を聞いていただけるとは光栄です」
半分はおべんちゃらだが、半分は本音だ。まさかいきなり責任者が出てくるとは思っていなかった。
「組合のクタラ主任が大変興味をお持ちでしたから、私も直接お話をお伺いしたいと思いまして。しかし、お二人にお会いして、とても珍しい商品をお見せいただけると確信しました」
別に髪の色と商品の珍しさに相関関係があるわけじゃないと思うけど、その期待にはきっちり応えられると思うよ。
「それでは早速ですが、ご紹介いただける商品とは?」
挨拶もそこそこにスタークが早速仕事の話を切り出してきたので、俺は待ってましたと言わんばかりにカバンから小さな麻袋を取り出した。
「こちらです」
「これは?」
「できれば小皿を一枚とスプーンを一つご準備いただけませんか?」
そうして準備された小皿に麻袋の中身をのせる。
「塩、でしょうか?」
小皿の上の白い顆粒を見たスタークがそう尋ねてきたが、彼自身、そうだとは思っていないだろう。塩とて立派な商品だが、わざわざ塩ぐらいでこんな大商会を訪れたりはしない。
俺は答える代わりに、スプーンでその顆粒をすくうと、スタークの手のひらの上にのせた。
「どうぞ、口に含んでみてください」
とは言え、得体のしれない物をいきなり口にするのは少しハードルが高いだろうから、ルシュと俺の手のひらにもそれをのせて、先に口に含んで見せる。
「うーん、美味しい!」
これは演技でも誇張でもなくルシュの本音だ。
積み荷の中身を教えろとしつこいもんだから、一度食べさせてみたんだが、それ以降すっかりハマってしまっている。それもまあ、仕方のないことだとは思う。
それを見たスタークも恐る恐るその白い顆粒を口へと運んだ。そして次の瞬間には——
「こ、これは……! 蜜糖のように甘いが、その甘さは蜜糖の比ではない。しかも雑味がなく洗練された甘さだ。これは一体何なのですか?」
驚愕に目を見開き、身を乗り出してスタークが俺へと迫る。
「砂糖という物です。今回取り引きをお願いしたい物は、この砂糖です」
「砂糖……ですか。す、少し、考えるお時間をいただけませんか?」
スタークはそう言うなり、何やらぶつぶつと言いながら考え込み始めた。
よしよし、しっかり考えてくれたまえ。その間に、こっちはちょっとした演出をさせてもらうよ。
小皿の上の砂糖をスプーンで山盛り一杯取り、それを紅茶に入れてかき混ぜる。そしてそれをルシュの前に差し出し、飲んでいいぞと目で合図を送る。
「すごい! 素敵!」
ルシュが感嘆の声を上げた。
そうだろう、そうだろう。砂糖を加えた紅茶は美味いもんな。
完全に好みの話だが、俺は紅茶は砂糖を入れた方が好きなのだ。コーヒーはブラックで飲むんだけどさ。
「私も試してみてもよろしいでしょうか……?」
「もちろんです。是非お試しください」
スタークは俺がそうしたようにスプーン一杯分の砂糖をカップに入れ、ゆっくりとかき混ぜると、香りを確認してから、そっとカップに口を付けた。
「なるほど、甘みが増して飲みやすくなりましたね。それでいて紅茶の香りは邪魔しない。好みもあるでしょうが、私はこちらの方が好きですね」
ほうほう、わかってるじゃないか。
「蜜糖よりもクセがないため、料理、特に菓子にも使いやすい……いや、これ単独でも十分嗜好品としての価値がある……クライさん、これほどの品を一体どこで手に入れたのでしょうか?」
「申し訳ありませんが、お答えできません。仕入れ先の情報は商人にとっては生命線でしょう?」
「そうですね。栓無きことを聞いてしまいましたね。では、クライさん、あなたはこの砂糖をどのぐらいご用意されているのでしょうか?」
「大袋で二百ほど」
おおよそ十キログラム入りの大きな麻袋が二百袋、合計で約二トンが準備した砂糖の量だ。これが多いか少ないかだが、商会側にとっては少なく感じるだろう。二トンなどあっという間になくなってしまう。
しかし、これが俺が運べる限界値だった。大型の幌馬車を準備し、馬もわざわざ二頭立てにしたのだ。原料のトウキビ代だけではなく、運搬コストもかなりかかっているし、赤字を回避するためにも少なくとも一袋金貨二枚では売りたいところだ。もとの世界の上白糖の小売価格がだいたい四、五百円ぐらい、つまり銅貨五枚程度だと考えると卸値でその四十倍、かなり強気な価格設定だと言えるが、希少価値も相まって、これぐらいなら買い手はつくと考えていた。
「ちなみに、このお話は私どもの他にはどちらへ?」
「最初にルーベニマ商会様にお話しをさせていただいておりますが、午後には二件ほどご商談のお予約をいただいております」
「なるほど……その商談の前に、私どもにすべて買い取らせていただくわけにはまいりませんでしょうか?」
「それは、この後の商談をキャンセルせよ、ということでしょうか?」
俺の問いにスタークは真剣な顔をして、ゆっくりと頷いた。
「今ここで当商会とご契約いただけるのであれば、一袋あたり金貨十枚で買い取らせていただきます」
「じゅ、十枚……!」
一袋あたり金貨十枚ということは、全部で金貨二千枚、税金は免除されるからいいとして、仕入れ代金を差し引いたとしても、初期投資分の支払い後に金貨千枚以上残る計算だ。売れるとは思っていたが、まさかここまでとは……
これはもう即決でもいいかもしれない。そんな考えが俺の頭をよぎったところで、ルシュが口を開いた。
「申し訳ありませんが、すでにいただいている商談の予約を一方的にキャンセルするのは失礼となってしまいます。私たちは駆け出しの行商人ですので、最初から信用を失ってしまうのは、大きな痛手となってしまいます」
ルシュは澄ました顔でそう言った後、「そうでしょ?」と俺へと笑顔を向けた。
そ、そうだよな……ルシュの言うとおりだ。ってか、ここに来る前にそう言っていたのは俺だった。
貧乏学生だった俺が、いきなり一千万円以上の利益が出るかもしれないと思って舞い上がってしまった。金の魔力っておそろしいな……
「大変ありがたいお話なのですが、ルシュの言うとおりです。この砂糖の卸先はすべての商談を終えた後に、改めて決めさせていただきたいと思います」
「いや、こちらこそ失礼いたしました。お二人の仰るとおり、商人は信用第一ですよね。余りにも素晴らしい商品だったもので、つい……」
スタークは素直に頭を下げてくれているが、彼が間違ったことを言ったわけではないと思う。大きな利益が見込める商品なのであれば、それを独占したいと考えるのは当然のことだし、実際にそうやって契約をまとめることもあるだろう。
スタークは俺たちの立場を慮って頭を下げてくれたのであり、大商会の仕入責任者が新米行商人にそうするということは、つまりそれだけ商品の魅力が高いということの現れだ。
「しかし、次の商談には当商会にもお声掛けいただけると考えておいてよろしいのですよね?」
「もちろんです。ただし、取引先はオークションで決めたいと思っています」
「なるほど……オークションですか」
俺の言葉を聞いたスタークの顔が少し曇ったように感じられた。彼にとってはあまり面白い話ではないのかもしれない。
しかし、これは最初から決めていたことだ。この商品に強い興味を持ってくれた彼には申し訳ないが、できるだけ高く競り落としてもらうことにしよう。
危うく大金に目が眩みそうにはなったものの、こうして俺たちはなんとか初めての商談を終えたのだった。
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