第31話 相部屋をあなたへ
渡船場からスーイの街は目と鼻の先だ。というか、ほぼ一体だと言ってもいい。スーイは水辺の街なのだ。
そういう意味では、今回のスピノタートル巨大種の出現はこの街にとってはかなりの脅威だっただろう。実際には出動はなかったものの、討伐部隊の編制もされていたようだし、調査団の多くはスーイから派遣されているとのことだった。
事後処理などの影響は多少あるだろうが、街の様子は平和そのもの。訪れる街が恐慌状態なんて嫌だし、邪魔者を排除しておいてよかったよ。
「この後、どうするの?」
「船の上で言っただろ」
「お昼ご飯だっけ?」
「まあ、確かに昼飯どきではあるんだけど、先に組合に寄っていこうと思ってるんだ。積み荷の卸先について情報収集しておきたくてさ」
「お仕事かあ……クライも一生懸命頑張ったし、わたしも元気になったし、せっかくこんなにきれいな街に来たんだから、のんびり見て回りたいなって思ったのになあ」
ルシュの言葉に、御者台の上から改めて街の様子を見回してみる。
アーリムの街ほど大きくはないものの、街路はよく整備され、色とりどりの花で飾られてる。店の看板や屋根なんかもカラフルで、確かに眺めているだけでも楽しい気分になってくる。
「世の中ね、顔か、お金か、なのよ」
「どうしたの急に? 確かにそのとおりだとは思うけど」
「いや、街の様子を見てたらふと頭によぎったんだ。逆立ちしたって変わらない世界の真理ってやつだよ」
てか、そのとおりだって思ってるんだね。お前、仮にも神の巫女だろうがよ……
「というわけで、まずはしっかりと金を稼がねばならない。そのためにもまずは商業組合だ。それが終わったら、宿を確保して、荷物を預けてから昼飯にしよう」
「えー、それじゃあ、夜ご飯になっちゃうよ。そうだ! わたしが先に宿を探しといてあげようか」
うーん、どうしたものか。俺は顎に手をやり思案する。
確かに時短にもなるし、一見ありがたい申し出のようにも思えるが、果たしてルシュに任せて大丈夫なのだろうか? 見た目は大人、頭脳は子どもみたいなやつだからなあ……でも、組合まで連れて行って退屈させてもうるさそうだし……
「じゃあ、頼むよ」
俺は懐から財布代わりの麻袋を取り出し、その中から金貨一枚をルシュへと渡す。
「それが昼飯代と二部屋分の予算だ。宿はこの辺りで馬車用の納屋がついてるものを頼む。終わったら組合支部まで来てくれ」
「クライはお昼ご飯はどうするの?」
「組合に食堂があればそこで済ませておくよ」
「わかった! それじゃあ任せておいて。行ってくるね」
仕事を任せられたのが嬉しいのか、お金をもらったのが嬉しいのか、ルシュは顔をぱあっと明るくして、ぴょんっと馬車を飛び降りて行った。
その笑顔に一抹の不安を覚えながら、俺は意気揚々と街路を歩いていくルシュを見送った。
⚫︎
「ここだよ」
ルシュが開いたドアから部屋の中を覗き込む。
少し狭いけど、清潔だし、悪くないな。
ベッドが一つと小さなテーブルが一つ。ビジネスホテルのシングルのような部屋だ。
「いい仕事したじゃないか、ルシュ!」
「そうでしょ、そうでしょ」
ルシュはエッヘンと、そう主張の大きくない胸を精一杯に張って、成果を一生懸命主張する。
「で、俺の部屋は?」
「ここだよ」
「おお、そうか、サンキュー!」
部屋があるのはルシュだけで、俺は納屋で夜を明かす、なんていう最悪のパターンもあるかとも思ったがどうやら杞憂だったようだ。ってことは、これが二部屋で、しかも納屋がついて、全部で予算内で収まったってことか。なかなかお買い得じゃないか。
「じゃあ、ルシュの部屋は?」
「ここだよ」
「え?」
「え?」
「お前なあ、こういう冗談はやめろって言っただろ!」
「冗談でやったわけじゃないよ。だって、銀貨五枚で二部屋借りるなんて無理だったんだもん。それにほら、ちゃんと交渉して、簡易ベッドをサービスで貸してもらったんだよ」
部屋の隅を見ると、組み立て式の簡易ベッドが立てかけられていた。
そうか、俺の予算の見通しが甘かったってことか。
「すまん。頑張ってくれてたんだな——」
って、待てよ? 銀貨五枚?
「お前に渡してた金、金貨一枚だったじゃないか!」
「お昼ご飯食べたら半分になっちゃった」
そう言ってルシュはテヘっとやってペロっとやる。
「テヘペロやってんじゃねえよ! そりゃあ、昼飯と宿代の予算とは言ったけどさ、こういのは先に宿とって、余った金で昼飯を食うもんだろ。ってか、銀貨五枚の昼飯って、めっちやいいモン食ってんじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい……お腹空いてたから……」
先程までの態度とは一転、ルシュは大きな瞳を潤ませて、許しを請うように俺を見上げる。
「お前なあ、いつもいつもその作戦が通用すると思ってたら大間違いだぞ。だいたい『お腹空いてたから』って言い訳は何なんだ——」
「ね?」
俺の腕に縋りつき、なおもその潤んだ瞳を俺に向けるルシュ。
「つ、次からは気をつけるんだぞ……」
チクショウがー! 俺って奴は、俺って奴はなんでこんなに駄目なんだ!
「お詫びに一緒に寝てあげてもいいよ?」
「誰が一緒に寝るかってんだ!」
そんなムシャクシャした気持ちを抱えたまま取り組んだのがよくなかったのだろう。まったく簡易じゃない簡易ベッドの組み立てを終えたのは、すっかり夜が更けてのことだった。
チクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタク
時計の音が響いている。もちろんこの宿に、いや、この世界でそんな物を見たことはないので、完全に俺の脳内での話だ。
ちくしょう、眠れねえ……
隣を見ると、はめ殺しの窓から入ってくる街の光が、やわらかな曲線を描く肢体をぼんやりと映し出している。その肢体に沿ったブランケットの緩やかな起伏がやけに艶かしい。
そう、それが眠れない原因だ。
こう見えて俺だって健全な男子だ。
この状況で素直に「おやすみなさい」といかないのは、世の男たちにならきっと分かってもらえると思う。
仮に隣で寝ているのがアイリスだとしたら、俺はこんな気持ちにはなっていたないだろう。それはアイリスに魅力がないということでは決してなく、アイリスがまだ未成年だからだ。
未成年には手を出してはならない——たとえ世界が変わったとしても、変わらずにそこにあるその絶対的な真理のおかげで、俺は自制心を保つことができるはずだ。たぶん。
それにしても不思議な女だ。
俺はルシュについて、『ルシュ』という名前と年齢以外には、アーリムの街の教会でこれまでずっと過ごしてきたということぐらいしかしらない。まあ、あとは食べ物の好みぐらいか。
中央神殿を巡礼したい理由を聞いても、「そういう設定だ」としか答えないし、なぜ俺についてくることにしたのか尋ねても、「運命だよ」としか言わない。
まあ、そんな女を連れて行くことにした俺も俺なんだが、ルシュといるとなぜだか落ち着くというか、妙にしっくりくるんだよな。これも不思議といえば不思議な話だ。
「まったくお前は何者なんだよ」
俺がそう呟いたとき、ルシュが寝返りを打って、こちらに顔を向ける。
「うわッ」
俺は小さく悲鳴を上げて、自分の口を手で押さえた。
ずっと見ていたのがバレたのかと、一瞬焦ってしまったが、ルシュは瞼を閉じたまま、幸せそうに寝息を立てている。
綺麗な寝顔してるだろ。ウソみたいだろ。寝てるんだぜ……
俺の気も知らないで……
ルシュははっきり言って美人だ。美女率が日本の社会保険料率並みに高いこの世界にあっても、誰が見ても美人だと思うだろう。白髪のインパクトが強すぎて、そっちに注意がいかないだけだ。
大きな瞳に長い睫毛、綺麗な鼻筋に、形の良い口。客観的に見ても、ルシュはとてもいい造形をしていると言えるだろう。それは間違いない。
でも実は、美人とか、綺麗とか、そういうことは俺にとってはどうでもよくて——
ただ単純に、好みなんだよなぁ……
俺はその顔に向かって無意識に伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。
まずい、まずい。このままでは間違いを犯してしまいそうだ。
冷静になるためには、何をするのがいいんだったっけ? そうだ! 素数だ! 素数を数えよう。
一、二、四、六……
ダメだ。素数は六までしかわからない。
あれ? そもそも間違ってる?
こうなったら仕方がない。巨大種の数でも数えよう。
ジャングルのジャグワ、アーリムの森のヌードラビット、ゴクッチ河のスピノタートル——
これもダメだ。数え終わってしまった。
「くそ! しょうがねえ!」
俺はベッドを降りると、物音を立てないように、ゆっくりと立ち上がった。
「いい気なもんだぜ、まったくよ」
小さくそう呟いて、ルシュの白い髪を撫でる。
すると、ルシュがビクッと体を強張らせる。
おっと、ごめん、ごめん。でも、これぐらいは許してほしい。他にはもう、絶対何もしないからさ。
「おやすみ、ルシュ」
ルシュの寝顔にそう呟いてから、俺は静かに部屋の出入口へと向かい、それから、ゆっくりとドアを開けた。
「……」
寝ているはずのルシュが、何かを言ったような気がしたが、俺はそのままドアを閉めると、納屋へと向かって一人階段を下りていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます