第30話 口止めをあなたへ
「体調はもう大丈夫なのか?」
翌朝、ベッドの上で体を起こしたルシュに俺はそう声をかけた。
「うん。もうすっかり平気。心配かけちゃってごめんね」
「いや、心配かけたのは俺の方だからさ。回復したみたいでよかったよ」
ここはブランクの家だ。
ロク救出から渡船場に戻るとルシュが青い顔をして倒れていた。スピノタートルが水中から飛び出してきたとき以上に心底焦ったが、どうやら、初めての旅の疲労と今回の過度な緊張から一時的に体調を崩しただけのようで、ひとまずは胸を撫で下ろした。
そういうわけで、渡船場から最も近いタチライ村にあるブランクの家で一晩やっかいになっていた。
「クライ、ちょっといいか?」
部屋の外から声がかかる。ブランクだ。
「ちょっと行ってくるよ。ついでにもう一晩泊めてもらえないか頼んでくるから、ルシュはゆっくり休んでるんだぞ」
「うん。ねえ、クライ、お腹すいた」
「昨日の朝から何も食ってないもんな。あとで何か食い物を調達してくるよ。何が食べたい?」
「甘いもの」
「了解。胃にやさしいものだな」
顔色もずいぶん良くなったし、食欲も出てきたみたいだから大丈夫だろう。
「いじわる……」
頬を膨らませるルシュに笑みを向けて、俺は部屋を出た。
「お待たせしました」
「休んでたところ悪かったな。昨日の件とこれからのことで情報が入ったんで伝えておこうと思ってよ」
「ありがとうございます。気になってたんですよ」
ブランクに続いて廊下を歩き、リビングへと向かう。そこでは、青い髪を後ろで一つにまとめたふくよかな女性、ブランクの奥さんのメリーがお茶の準備をしてくれていた。
「おはよう、クライさん。ルシュちゃんの調子はどうだい?」
「おかげさまでずいぶん良くなりました。すみません、昨日はろくに挨拶もできず」
昨日は俺もかなり動揺していたため、寝床の準備やら薬の準備やらでかなりお世話になったにもかかわらず、挨拶もお礼もろくにできていなかった。
「いいんだよ。あんたはうちの主人とロクの命の恩人じゃないか」
メリーは陽気に笑いながら俺の背中をバンバン叩く。結構痛い……
「食事の準備をしているからね、話が終わったら食べにおいで。ルシュちゃんは何か食べられそうかい?」
「ありがとうございます。ルシュもお腹がすいたって言ってましたから、喜ぶと思います」
「それはよかった。じゃあ、先にパン粥でも持って行ってあげようかね」
そう言って笑うと、メリーはキッチンへと戻っていった。
「騒がしくてすまんな」
「いやいや、元気がもらえますよ」
ブランクが無事に家に帰りたいと思うのもよくわかる。
「まあ、座ってくれ」
ブランクは先にソファに腰を掛けて、メリーが淹れた茶を啜る。
「まずは改めて礼を言わせてくれ。昨日は本当に助かったよ。ありがとう」
「昨日も散々聞きましたから、礼はもういいですよ。それより、ロクさんは大丈夫だったんですか?」
「ああ。命に別状はないようだ。しばらく船には乗れねえだろうがな」
それはよかった。頑張った甲斐があるってもんだ。怪我人は多数出たが、どうやら死人は一人もいなかったようだし、それは不幸中の幸いだった。
「それで現状と今後の話なんだがよ、まずは今日から三日間、州政府が派遣する調査団の調査がゴクッチ河で行われることになった。俺もこの後、目撃者として現場に立ち会いに行かなきゃならねえ」
ブランクの話では、巨大種の出現が確認された場合、討伐はもちろんのこと、その後には地元の冒険者組合支部か州政府による調査が行われるものらしい。
今回は交通の要所での出現ということもあって、安全面を確保するためにも州政府が調査を行うことになったそうだ。
州政府による調査と言っても、実働部隊には地元の冒険者が駆り出されるらしいので、もしかしたらアークのみんなも調査に来るかもしれないな。
「調査が終わるまでは船は出せないんですか?」
「少なくとも今日は出せねえな。今日の調査で他に巨大種が確認されなければ、明日からは一部運行を再開する。物流も人流もいつまでも止めとくわけにはいかねえからな」
ゴクッチ河を迂回するルートがない以上、南のアーリムと北のスーイを結ぶのはここをはじめとして両岸にいくつかある渡船場のみだ。これがすべて閉鎖されのであれば、例えそれが三日間であったとしてもその影響は小さくはないだろう。
それに船乗りたちにとっては船を出してなんぼなので、閉鎖が長く続くほど彼らの生活も苦しくなる。
そこら辺を勘案しての早期部分再開ってとこだろうな。
「とは言っても、うちは乗組員にも怪我が多いし、船も半数近くが壊れちまってる。しばらくは休業、再開後も落ち着くまでは減便せざるを得んだろうな」
「そうですか……」
「あんたが気に病む話じゃねえよ、クライ。あんたがあのデカブツを倒してくたおかげで被害も損害も最小限で済んだんだ。感謝してもしきれねえよ」
「少しでもお役に立てたなら良かったです。それで、その討伐に関して一つお願いがあるんですけど……」
「なんだ?」
「俺がスピノタートルを倒したって話、調査団には言わないようにしてほしいんです。調査団にだけじゃなく、できれば誰にも。俺とルシュ、そしてブランクさんとメリーさんの四人だけの秘密ってことで」
人と違うということは、良くも悪くも他人の関心を集めてしまうものだ。
俺はただでさえ黒髪で、そんな黒髪よりもさらに珍しい白髪のルシュを連れている。その上、この世界の近代魔法理論とは異なる始原魔法なるものを使うということまで広まってしまうと、好むと好まざると色々なことに巻き込まれることになってしまう。
始原魔法のことは内密にしておいた方がいい。
それがロッサからのアドバイスであり、俺自身もそう思っている。
「そりゃあ、本来魔法が使えないはずの黒髪がスピノタートルの巨大種を討伐したなんて話をしたところで、誰も信じやしねえだろうが……俺がきっちり証言すれば、討伐の報奨金も名誉もクライのもんになるんだぞ、いいのか?」
名誉はいらない。報奨金はちょっと、いや、かなり欲しいけど、それでも穏やかな旅と心の安寧には代えられない。
「はい。お願いします」
「わかった。クライが討伐したってことも、目に見えない不思議な魔法のことも俺たちだけの秘密だ。だが、そうすると事情聴取でどう説明したもんか……頭がまるっと吹っ飛んでるんだぜ?まさか俺がやったって言うわけにもいかねえし、そもそもそんなことできもしねえし……」
俺と俺の始原魔法のことを内密しておくことを了承してくれたまではよかったが、そうするせいで生じる歪みをどうしたものかとブランクは頭を抱えだしてしまった。
「あんた! もうすぐ出ないと遅刻するよ!」
そこへ、キッチンの奥からメリーの声が飛んだ。
「おっと、もうそんな時間か。仕方ねえ、適当に誤魔化すか……」
ブランクは立ち上がると、半ば諦めたように溜め息をついた。
すんません、よろしくお願いします……
「おっと、そうだった、大事な話をしてなかったぜ。クライとルシュはスーイに向かってたんだろ? 急いでんなら、上流の渡船場に行け。あっちの方は今日の夕方には再開するみたいだからな。今から向かえば余裕をもって着けるだろう。まあ、混んでるかもしれねえがな。急いでねえなら、今日までうちに泊まっていけ。明日の昼、俺が送ってやるよ」
トウキビの売掛金の支払期限まではまだ間があるし、もともと急いでいる旅ではない。ルシュも今日一日は休ませたいし、ブランクが送ってくれるというのならこれ以上ない申し出だ。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、今日もお邪魔させてもらいます」
俺の答えを聞いて笑顔で頷いたブランクは「帰ったら飲もうぜ」と言い残して、家を飛び出していった。
⚫︎
荷馬車が二、三台と乗客が十数人程度乗れるぐらいの中型の個人渡船。
俺たちは穏やかな流れを湛えるゴクッチ河の上でのんびりと揺られていた——というわけにはいかない。
「怖い。水、怖い……」
「情けねえやつだな、クライ。あのときは別にそんな様子もなかったのに、まるで別人だぜ」
ロクさん救出作戦のときは無駄にテンションが上がっていたっていういか、それどころじゃなかっただけで、水より怖い化物がいないのであれば、やっぱり水が一番怖い。
「大丈夫だよ、クライ。落ちても魔法でなんとかできるでしょ?」
「なるほど! その手があったか」
例えば
それどころか小さい
「——って、ダメダメ。俺の魔法は秘密だって言っただろ? そんなことしたら目立ちまくっちまうじゃないか」
「なんにせよもう少しの辛抱だ。あと四半刻ほどで到着するからよ」
ブランクの言葉を信じてただ空だけを見上げて過ごすこと十五分。対岸の桟橋に船を寄せて、ついに夢にまで見た大地に到着した。
「大袈裟だよ」
俺の代わりに船から馬車を降ろしながら、ルシュが白けた目を向けてくる。しかし、何を言われようと、どう思われようと構わない。俺は今、大地を踏みしめている。その事実だけで十分だ。
「泳げなくて水が怖いのはわからんではないが、あんまり水を嫌わねえでくれよ」
苦笑いをしながらブランクが船から降りてくる。
「す、すみません……」
水の上で生きる男を前にこの態度はちょっと失礼だったか。反省反省。
「クライ、ここでお別れだ。あんたには返しきれない恩ができちまった。ありがとよ」
「いやいや、もう充分返してもらってますよ。巨大種討伐の件も誤魔化してくれましたし、家にも泊めてもらいましたし、それに今日だって、タダでここまで送ってもらっちゃって。こっちこそお世話になりました。泳げるようになったら、また遊びに来ますよ」
「おい、そりゃあ、二度と来ねえって言ってるようにしか聞こえねえぞ」
そのツッコミに俺とルシュ、そしてブランクの三人で声を出して笑い合った。そして一頻り笑い終えたら次はお別れだ。
「二人とも達者でな」
船に乗り込むブランクが振り返る。
「ブランクさんも」
俺もルシュも笑顔で返す。それを見届けたブランクは「水の神の御導きに感謝する!」と高らかに叫んで、船を出していった。
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