第9話 その後

この事件の初公判は2001年(平成13年)5月より開かれ、悲憤にくれる両親は、里美の遺影を持って出廷していた。


両親は法廷で初めて愛娘がさしたる理由もないのに人でなしの犯人たちにどれだけむごい目に遭わされてきたかを知らされ、改めて自分の娘の悲惨な最期に衝撃を受けて犯人たちへの怒りをたぎらせることになる。

「全員同じ目に遭わせて殺してやりたい」と内心は思ったであろうが、最低でも「全員一生刑務所から出さないで欲しい」と話していた。


仙台地裁は一審で「類を見ない非人道的行為」と指弾、被告たちも控訴しなかったために以下のとおり刑が確定する。


丹野寿人、懲役12年(求刑懲役13年)

大場忍、懲役10年(求刑どおり)

平間竜治、懲役10年(求刑どおり)

伊藤大治、懲役9年(求刑懲役10年)

高橋恵、懲役8年(求刑どおり)

兼田亮一、懲役10年(求刑どおり)

猪坂衛、懲役5年以上10年以下(求刑懲役10年)

赤塚幸恵、少年院送致


さしたる理由もないのにあれだけ残忍な所業をした割にはこの程度であったが、当時の日本では、これが限度であったようだ。


里美の両親はその後の2003年(平成15年)、事件の実質的な首謀者であった丹野と大場に対して約1億円の損害賠償を求めて仙台地裁に提訴。

和解協議の名目で、二人との対面を求めた。

裁判で顔は見ていたが、自分の娘を殺した犯人と直接真正面から向かい合って話し、どんな者たちなのか知りたかったのだ。


そして、本来ならば親族以外はできない受刑者との面会が実現。

2005年2月2日には栃木刑務所で木場と、3月1日には宮城刑務所で大野との対面を行い、和解が成立。

和解条項には7600万円の解決金の支払いと両親への「心からの謝罪」が盛られていた。


もっとも、法的には和解を成立させたとはいえ両親によると木場はぼそぼそと反省しているようなことはつぶやいてはいたが泣いてばかりであったし、大野は謝罪はしたものの形ばかりのようでどこか他人事であり、父親は「それが人を殺した人間のする態度か!」と思わず怒鳴りつけたという。

両親によると両人とも心から反省している様子はうかがえなかったようだ。


ちなみに大場は獄中から里美の両親に謝罪の手紙を出したのは犯人グループの中で一番遅く、しかも文字数は400文字未満で内容も薄っぺらく形ばかりのものだった。

しかもこいつの親族は曳地家と同じ町内に住んでいたのだが、「大場忍は巻き込まれただけ、こっちも被害者」と嘘八百をふかしまくっていたらしい。


曳地夫妻は犯罪被害者の親となったことで、その後被害者支援の活動を始める。

里美の死を無駄にしたくはなかったのだ。

だが、やはり愛しい娘のむごたらしすぎる死はかなり身体にもダメージを与えていたのであろう。

体調を崩した父親は2006年2月に娘の元へ旅立った。


一方でこの許しがたい犯罪を犯した八人のならず者たちは2024年現在全員刑期を終えて出所しているものと思われる。

しかし、あれほどのことをしでかした奴らがたった10年かそこらでこの社会に放たれていることに驚きと憤りを感じざるを得ない。


反省しているとか今は更生しているとかは関係ない。

たとえ昔だったとしても、こんなことした奴らが一般社会で、もしかしたら自分の近くにいるかもしれないなんて考えたくもない。

いや、この世のどこであっても生きていてほしくはないと思う。

今すぐ死んで地獄に墜ちてくれと願っているのは筆者だけではないはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2000年・仙台20歳女性監禁リンチ殺人事件~無残!クリスマスイブに命を奪われた少女~ 44年の童貞地獄 @komaetarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ