5★世界の隣に君を探して。

 その日の夜、わたしは自分の部屋で、机に向かって作業をした。

 広げられた大学ノートに、ゆっくりと鉛筆を走らせる。

 シャーペンの線が白い紙にスーッと流れて、ひとつの文字を形作る。


「よし、これで明日の発表は大丈夫」

 

 実は明日、日直当番をしなくちゃいけなくて。

 日直は花瓶の水替えや黒板の掃除のほかに、朝の会で三分間スピーチをすることになっているんだ。

 

 お題は自分で自由に決めていいことになっているけど、ぶっつけ本番でみんなの前で発表するのは結構難易度が高い。

 よって、大半の子は前日に発表することを紙にまとめておくの。

 

「でも、本当にこのテーマでいいのかな~。ありきたりって思われたらどうしよう」

 

 テーマに選んだのは、『自分の家族について』。

 お父さんやお母さんの好きなところや感謝していることを、文章で表す。

 本当は、自分の好きな小説について書けたら一番いいんだけど……。

 クラスメート三十人が全員、受け止めてくれるかって考えて、書くのを辞めた。


 ピコンッ。

 

 ふと、机の上に置いていた携帯の通知音が鳴る。

 見てみるとそれは、千晴くんからの連絡だった。

 公園でお互いの気持ちを伝えたあと、連絡先を交換したんだ。


【乙。只今、ゲーム中。今日こそ推しを引き当てる也】

 

 桜の花びらが描かれたイラストのアイコンから、緑色のふきだしが伸びてる。

 相変わらずの、ちょっぴり堅い文面に頬がゆるむ。

 そのコメントの奥に、確かな優しさを感じたから。


【頑張って! わたしは今、スピーチの原稿を書いてるよ!】

【スピーチか。自らの想いを伝えるというのは、難しいことだ。敵を作るかもしれないという恐怖と立ち向かわねばならん】

 

 敵を作るかもしれないという恐怖。

 本当のことを話して、嫌われたらどうしようという不安。

 確かに、自分に嘘をつかないということはものすごく難しい。


【応援してる。雛坂が頑張っていると、元気になれる。自分も頑張ろうって、勇気をもらえる】

 

 シュポンッという音と同時に送信されたコメント。

 言葉って不思議だ。温度も熱もないのに、それを読んだだけで心がポカポカする。

 

 わたしは連絡アプリを閉じ、検索バーにとあるサイトのURLを打ちこんだ。

 小説投稿サイト、ピュアフル。

 そのログイン画面をタップして、自分のメールアドレスとパスワードを入力した。

 

 不特定多数の人に、読んでもらうために書くんじゃない。

 たった一人、自分の小説を愛してくれた人のために、わたしは小説を書く。

 

 文字を打つのはやっぱりまだ怖いけれど、それでも。

 それが、わたしができる唯一の恩返しなのだとしたら。

 君は君のままでいいんだよって、伝えられるのだとしたら。

 

 わたしは一年ぶりに、止まっていた時間をそっと進めた。

 ただ一言、大切な人に『ありがとう』と伝えるために。


  

  ◆◇◆


 翌日。日直当番のため、いつもより四十分早く学校に来た。

 昇降口で靴をはきかえ、まず向かったのは職員室。

 学級日誌を先生から受け取って、授業の様子や感じたことを書かないといけないんだ。

 

 職員室は一階の廊下の突き当りにある。

 中に入ると、数人の先生が「おはよう」と返してくれた。朝礼前だからか、まだ十数人しか来ていない。


「日直当番?」

と声をかけてくれたのは、保健室の日渡先生。

 肩まで伸びた艶やかな黒髪と、白い白衣が印象的な女の先生なんだ。


「はい、そうです」

とわたしが言うと、日渡先生は「ふふふ」と上品に笑った。

 

「雛坂さん、確か一年四組だったわよね」

「え? はい、そうですけど、それがなにか?」

「彼が、雛坂さんに会いたいって」

 

 ……彼?

 首をかしげるわたしに、日渡先生は何も答えず、ただのんびりとほほ笑んだ。

 

 と、ガラガラガラッと入口の扉が開いて、廊下から一人の生徒が中に入ってくる。

 その子の顔に目線を移したわたしは、目と口を大きく開けてしまった。

 だって、だってだってだって。


「……千晴くん、学校に来たの⁉」

 

 そこにいるのは間違いなく、あの千晴くんだったから。

 学校指定のセーターは若干丈が大きくて、手首が袖に隠れてる。その上に重ねられたブレザーはシワひとつなくて、着慣れてないのが分かった。

 

「ど、どうして。人が怖いから、学校には行かないって……」

「俺も、自分が学校に行ける日が来るなんて思わなかった」

 

 わたしの指摘に、千晴くんは照れくさそうにはにかんだ。

 そして、そろりと視線を下に向ける。話始めるときの、彼のクセだった。

 

「世の中には、嫌なやつが沢山いて。そいつらばっかり気にしていたけど。中には、雛坂みたいなやつも、ちゃんといるって気づいたから。だから来た」

 

 そう言いつつも、千晴くんの右足は震えていて。

 集団いじめを受けていた過去を持つ彼は、多分人との関りをものすごく警戒してる。初めて会ったときも、なかなか目線が合わなかったし、声もかぼそかったっけ。

 

 それでも勇気を出して、この学校という場所に来てくれたんだ。

 わたしに会うために、重たい腰を起こして、トラウマに立ち向かって、今日この場所に来てくれたんだ。


「一時間だけ教室に行って、それ以降は保健室にいる。でも、絶対、逃げたりしないから」


 自分の世界とも、自分の周りにいる人たちとも、ちゃんと向き合ってみたいんだと千晴くんは言った。

 

 すぐ目の前にいるのに、なんだかその時だけ彼が遠い世界にいるように感じて。

 ……わたしは学級日誌を持つ指に、グッと力をこめたんだ。

 

 ――自分も、そろそろ勇気を出さなければいけないんじゃないかって。


  

  ◆◇◆

 

 朝の会開始まで残り五分。

 教室にいる生徒の人数も増えて、教室はガヤガヤと騒がしかった。

 

 いつもは好きな芸能人の話とか、夜やっているアニメの話で盛り上がっているけれど、今日みんなが話しているのはその話題じゃない。

 

「ねえねえ、鵜飼くんって兄弟いるの?」

「なに小出身?」

「好きな女子のタイプってある?」

 

 最後尾の席に座る千晴くんは、多くのクラスメートに囲まれていた。

 矢継ぎ早に質問されて、ギョッと体をのけぞらしたりするけれど、質問には一つ一つ正確に答えてる。

 

 「好きな漫画は?」と聞かれて、「えっとぉ!」とテンションが上がっちゃうのが、千晴くんらしいなとわたしは思った。

 人が怖いだけで、人が嫌いなわけじゃないんだよね。

 

「へぇ、鵜飼ってああいう感じなんだ。なんかイメージと違ったわ」

 横の席の美織ちゃんが頬杖をつきながら言う。

 

「普通に良い子だね、あいつ。若干オタク気質だけど」

「だからずっと言ってたじゃん。千晴くんは、本当は優しくて明るい子だって」

 

 わたしは机に置いたノートの表紙を閉じ、美織ちゃんに向き合った。

 大事なことを話すときは、きちんと相手の顔を見なくちゃいけない。

 小さいとき、お母さんにそう教わったから。


「美織ちゃん。わたしね、小説を書くのが好きなの」

 

 息を吐いて、喉の奥から、抑えていた本音を音に乗せる。

 つかえて取れなかった大事なものを、しっかりと相手に伝える。


「昔、そのことで友達に嫌なことをされたことがあって。それで怖くて、ずっと言えなかった。親友なのに、信じたいのに、ずっとずっと嘘をついてた」

 

 一つ二つ言葉にする度、押し殺していたものが滲む。

 服の袖で拭っても、絶えずそれは溢れていく。


「本当にごめんっ、わたしっ、本当はっ……、嘘、つきたくなくて……っ。でも、なんか、素直になれなくて……っ」

 

 美織ちゃんは、「はあ」と肩の力を抜いた。

「……星那ちゃんに信用されないなんて、あたしもまだまだだなあ」

 

 そして、うつむくわたしの肩に、そっと両手を置く。

 肩から伝わる体温は温かくて、優しかった。

 

「大丈夫だよ、星那ちゃん。星那ちゃんが好きなものは、好きって思い続ける限り、そう簡単に壊れたりしないから」

 

 美織ちゃんはわたしの席をチラリと横目で見る。

 机には、スピーチの原稿が書かれたノートと、沢山の消しゴムのカスがあった。

   

「だから思いっきり、ぶつけておいでよ! 星那ちゃん!」


  ◆◇◆


 先生に呼ばれて、わたしは自分の席から立ち上がり、教卓へ向かう。

 昨日書いた原稿は、机の引き出しにしまってある。

 

 家族のことを話すのももちろんいいことだけど、わたしが本当に語りたいのはそれ

じゃない。

 わたしが、本当に話したいのは……。

 

 教卓の横に辿り着いたわたしは、大きく深呼吸をして胸をそらした。

 大丈夫、大丈夫。なにも、怖くなんてない。

 

 ゆっくりと前を見る。様々なクラスメートと視線が合う。

 千晴くんの席へ目線をやると、彼はこっそり右手でVサインを作ってて。

 

 言葉のやり取りではないけれど、なぜかわたしには、彼が「大丈夫だよ」と言っている気がして。

 それだけで、また少し泣きそうになってしまった。


「それでは、これから日直のスピーチを始めます。今日のスピーチは、雛坂星那さんです。それでは雛坂さん、お願いします」

 

 担任の佐原先生にうながされ、わたしはその場で一礼。

 そして、口を開け、閉じ、胸に手を当てて、呼吸を整えて、もう一度今度は確実に、くちびるを開いた。

 

「わたしは、小説を書くことが好きです」

 

 小説を書いていることを友達から馬鹿にされたとき。

 もしかすると、自分は周りと違う人間なのかなって、悲しくなった。

 

 自分がおかしいから、だからいつもうまく行かなくて、結果的に避けられるんだって。好きなことを好きだというのは、恥ずかしいことなんだって。

 でも、そんなことはなかったんだ。


「小説を書く自分が好きです。でも、昔は自分のことが大嫌いで、自分の作ったものが大嫌いでした。気持ち悪いと言われ、除け者にされ、わたしはいつからか、その言葉を信じるようになっていました。でも、ある日気づいたんです」


 多分みんな、気づかないだけで、確かにこの世界で輝いてる。

 その輝きを、無意識に相手へと送っている。

 その微かな光に人は感動し、笑い、泣き、手を伸ばしてくれるんだ。

 多分それが、繋がるってことなんだ。


「わたしは、この世界で生きていていいんだって、ここにいていいんだって、気づいたんです」

 

 暗かった世界に、ふと足を運んでくれた君のおかげで。

 わたしの景色は少しずつ鮮やかになっていった。

 

 きっと、わたしはこれからも、この世界の隣に君を探す。

 高らかに笑う君を、明るいだけではない不器用な君を。

 君と過ごしたその日その日を、忘れずに取っておくために。


「わたしは、この世界が大好きです。今日も、明日も、この世界を前を向いて歩いていきたいです」

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 言いたいことは全て言い切った。

 だけど、もし自分の趣味を周りに受け入れてもらえなかったら……。


 そのとき。ふいに教室の前から、パチパチと拍手が聞こえた。

 ハッとして顔を音のする方に向ける。教室の前方に座る生徒が、ニコニコしながら手を打ってる。


 ううん、前方だけじゃない。彼らの後ろにいる子たちも、千晴くんも、わたしを見つめながら拍手を送っていた。


 その音は、徐々に大きくなる。

 拍手の音は、教室の空気を震わせ、静かにわたしの体を包んだのでした。

   


〈世界の隣に君を探して。完〉

 

 

 

  


  

   

 




 


 

  





 



 

 

  


  

  

 

 

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