4★この世界に君がいたから。

 千晴くんに「帰って」と言われてから、一週間が経った。

 あれ以降わたしは、千晴くんの家には行っていない。


 悲しそうな顔をする彼に、なんて声をかけていいのか分からなくて。

 そもそも自分なんかが、間に入っていいのかも曖昧で。


 プリントを届ける係も、ここ数日はずっと佐原先生にお願いしていた。

『どうした雛坂。具合でも悪いのか?』って先生は不安そうだったけど。

 流石にこの前のことを話すわけにもいかず。とりあえずは、体調不良ってことにしてごまかしているんだ。


「それでさー、サッちゃんったら、お弁当を持ってきたのに購買に行こうとしててさぁ」


 今は給食の時間で、わたしは同じ班のこと席をくっつけてお昼ご飯を食べてる。

 真向いの席に座る親友の美織ちゃんは、今日もご機嫌。

 ご飯にお箸を近づけることも忘れて、友達と大声でお喋りをしていた。


「やば! 沙里ってばド天然じゃん」

「あの子昔からそういうところあるよね」

 

 反対にわたしはお茶碗片手にぼうっと虚空を眺めたまま。

 わたしの席からは、千晴くんの席が少しだけ見えるんだけど。

 花瓶にいけられたライラックの花が汚く感じるのは、気のせいではなくて。

 千晴くんと別れた日からずっと、わたしの世界は影に包まれたように暗かった。


「そうそう。だからマジ大うけでさー。って、星那ちゃん聞いてる?」


 と、わたしが一言も発していないことに気づいた美織ちゃんが、肩眉をひそめた。

 自信満々に話していた内容を聞かれていないことに怒ってる。

 その証拠に語尾が強く、発言に圧があった。


「あ、ご、ごめんね。ちょっと考え事してて」

 

 慌てて胸の前で手を振ると、美織ちゃんは面白くなさそうに「ふうん」と鼻を鳴らす。


「星那ちゃん、最近ずっとそんな感じだよね。朝活の作文の評価もⅭとかⅮだったし、先生にあてられても気づかないことが多いし」

「そ、それは、……まあ、そうなんだけど」

 

 自分の調子が変なのは、自分でも理解してる。

 学校生活で一番楽しみにしてた作文の点数は、日に日に下がって、この前は最低ランクのⅮを取って先生に心配されたし。

 得意な国語の授業もたいくつで、何もかも頭に入ってこなくて。


「確か星那ちゃんって、鵜飼の家にプリントを届けに行っていたんだよね。そいつに何かされたとか? あいつ、結構性格悪いっていう噂だし」

 

 そんな。何を根拠に……。

 本当の千晴くんは優しくて、気遣いが上手で、明るい男の子なのに。

 なんでみんな、ありもしないことを平気で言うんだろう。


「な、何もされてないし、千晴くんはそんな子じゃなかったよ!」


「そう? でも、調子がおかしくなったのって、あいつの家に行った翌日からじゃん。鵜飼となにかあったから、そうなっているんじゃないの?」


「……でも、千晴くんがわたしに何かしたってのは、違うよ」

 

 あの日、二人で遊んでいたら藤崎くんが家に来て。

 そのことに千晴くんが激高して、怒りで泣いていた。


 今まで穏やかな笑顔や、自信満々の表情しか見てこなかったから、あの態度の変わりっぷりはかなりヒヤヒヤしたよ。


 確か、『お前らがハブにした』って、言っていたよね?

 それは学校にいけないことや、引っ越しをしたことに関係があるのかな……。


 誰かと距離が縮まると、相手のことを知りたいと深く考えるようになる。

 でも、その子の過去が予想以上に重く、つらいものだったら……?

 知りたいと思うことが、その子にとって負担になるのだとしたら。その子にとって、忘れたい記憶を呼び起こすものだったとしたら。

 

 もしそうなら、わたしは一体どうすればいいんだろう……。


   ◆◇◆


「星那、悪いけど近くのコンビニにお使いに行ってくれない?」


 その日の夜六時過ぎ。ご飯の用意をしていたお母さんから声をかけられた。

 聞くところによると、夕食の調理に使うマヨネーズを切らしているみたいで。


 スーパーにもあるけれど、そこは徒歩でニ十分かかる距離でね。

 夜遅いし危ないということで、近くにあるコンビニでも買えるから頼まれてほしいってことだったんだ。


「分かった。文房具が切れてたし、それもついでに買ってくるよ」

「ありがとう。じゃ、お願いね。気をつけて行ってきてね」

「はーい」


 わたしは手提げカバンにお財布とエコバックを入れると、玄関から外に出た。

 夜の空気は、ひんやりとしていて気持ちいい。

 

 上を見上げると、上空には猫の爪のように細い三日月が浮かんでいた。

 雲におおわれて全部は見えなかったけど、その間から差しこむ光が綺麗で。

 それを眺めながら歩いていると、ほんのちょっとだけ気持ちが落ち着いた。


 コンビニは、わたしの家から歩いて十分くらいの距離にある。

 

 自動ドアから中に入り、まず向かったのは文房具コーナー。

 数学のノートを使い切ったので、新しいのを買おうと思っていたんだ。

 明日の一時間目に数学の授業があったから、今日買わないと間に合わない。

 そういう面では、お使いに行けてよかったかも。


「あっ、あった!」

 

 漢字練習帳や方眼用紙が並べられた棚の下段に、お目当てのノートがあった。

 しかも鮮やかな薄桃色で、可愛らしいデザイン。

 それを買い物カゴに放りこむ。


「よしっ。えっと、あとはマヨネーズ。調味料の棚は……」

 

 確か、入り口から入って一番左に食材コーナーがあったはず。

 調味料なら、その近くに多分あるよね。

 

 通路を歩いていくと予想通り、冷凍食品の棚の横に、調味料が入った段ボールがあった。

 そこからマヨネーズを取り出し、同じくカゴに入れる。

 

 ふう。これで、必要なものは一通りゲットできたかな。

 あとはコレをレジに持って行って、お会計をするだけだ。

 

 わたしはそのままレジに向かおうとして。

 バッと、後ろを振り返った。

 視界の中に、見覚えのある黒いジャージが映ったから。


「千晴くん!」

「え、あ、雛坂……」

 

 その相手—鵜飼千晴くんは、呼びかけに驚いて足を止めた。

 髪を後ろでくくっている。いつもとまた違うラフな雰囲気。


 まさか、こんなところで会えるなんて。

 わたしは興奮して千晴くんに駆け寄った。


「奇遇だね。千晴くんも家のお使い?」

「え、いや、菓子調達。こ、小腹が減ったので」


「そうなんだ。わたしは、家族にお使いを頼まれて、マヨネーズと文房具を買いに」

「へ、へえ」

 

 千晴くんの目は、きょろきょろと左右に動いている。


「あ、あのっ……。こ、この後、時間ある?」

「うん、多分大丈夫」

「こ、この間の件で、少し話がしたいんだけど……っ」

 

 思い切ってという感じで、千晴くんはわたしの顔を見た。



 ◆◇◆


 レジ清算が終わった後、わたしは千晴くんと一緒に近くにある公園へ行った。

 あ、門限は、お母さんに電話してOKを貰えたよ。


 公園のブランコに、二人となりあって座る。

 風が吹くたび、ブランコの鎖がキコキコ鳴った。


「この前はごめん。急に、帰れなんて言って」と千晴くんがつぶやく。

 

「俺、小学校の時、クラスメートから集団いじめを受けてて。それで、もうこんなところ居たくないって、引っ越して、校区外の中学に移ったんだ」

 

 月明かりの下、とつとつと語る千晴くんの表情には影が差していて。

 それはわたしの経験よりずっと苦しいもので、返す言葉がなかった。


「藤崎は、いじめの主犯。校長先生や教頭先生が動いてくれて、ひとまず騒ぎは収まったけど。……今更ごめんなさいって言われたって」

 

 ――何もかもボロボロにしたやつが、のこのこと友達面してくるんじゃねえ! 

 あれは、そういう意味だったんだ。


「藤崎にとっては、俺なんて大した存在じゃないんだよ。だから平気でイベントに誘う。そういうやつがこの世界には、ごまんといるんだ」

 

 人が怖いから、だから学校へ行けないんだ。たとえそこにいじめっ子がいなくても、同じような奴は沢山いると思うから、と千晴くんは話を続ける。


「何も信じられなくて、信じたくなくて。そんなときに、雛坂の書いた小説を読んだ。すごく温かくて、優しくて。世界は汚いけど、それを読んでいるときだけ、世界が美しく思えたんだ」

 

 世界は汚い。その通りだと、わたしは思う。

 人間の心は様々なもので溢れていて、それは時に誰かを攻撃する。

 大好きだったものが、大嫌いになる。美しかったものが醜くなる。

 そんな世界を進むのは、とってもしんどくて辛いことだと。


「でもっ、たまに思うんだ。……俺、気持ち悪いよなって。せっかくできた友達なのに、自分の都合で傷つけちゃって、悲しい思いをさせてしまった。言ってはいけないことを言っちゃった。俺は、気持ち悪い人間だ……」


 千晴くんの目から大粒の涙が流れる。

 この前家の玄関先で見せたものよりも、大きい粒が。

 ひっくひっくとすすり上げ、肩を揺らす友達。

 

 ……違う、違うよ、千晴くん。そうじゃない。そんなことない。

 

 わたしは、細い彼の背中にゆっくりと両腕を回す。

 こんなことで、千晴くんの過去の傷がなくなったりはしない。

 それでも、わたしは、どうしても伝えたかった。


「気持ち悪くなんかないよ!」

「……え?」


「気持ち悪くなんかない。千晴くんが教えてくれた世界は、とってもキラキラしていて、すごく綺麗だったよ」


 世界の隣に、君がいたから。

 いつだって優しい言葉をかけてくれたから、わたしはこの世界をいとしく思えたんだ。


「わたしは、千晴くんと過ごす時間が好き。千晴くんと読んだ漫画が好き。千晴くんとしたゲームが好き。千晴くんと笑った日々が好き。千晴くんに出会えた自分が、大好き!」


 汚いだけではない、新たな景色に出会うことが出来た。

 そのことに気づかせてくれた君は、絶対、絶対、気持ち悪くない。


「ありがとう。わたしの世界を、好きだと言ってくれて。わたしはそれが嬉しいんだ」

「……っ」

 

 千晴くんは何か言いたそうに口を開きかけて、すぐにくちびるを閉ざしてしまう。

 その代わりに、わたしの背中におそるおそる手を回した。

 

 自分よりも一回り小さい体は、ほんのりと温かくて。

 その事実に、わたしの目からもツーッと涙が零れたのでした。

   



 

  





 



 

 

  


  

  

 

 

  

 

 

 





 

 

  


  

  

 

 

  

 

 

 


  

  

 

 


 

 

 


 



  






 



 

 

  


  

  

 

 

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