3★今日はもう帰って

 それからわたしは、時間のある限り千晴くんの家へ足を運んだ。

 先生から渡された提出物を届けに行ったり、家に帰った後に歩いて自宅に行ったり。


 わたしと千晴くんが仲良くなったことに安心した先生は、その後もちょくちょく頼みごとをしてきてね。

『雛坂、鵜飼のことをよろしくな』って言われたりもするんだ。

 人に頼られるのって滅多にないから、その言葉をもらうたび、くすぐったい気持ちになるの。


 はじめは小さな声であいさつをしていた千晴くんも、最近は大きな声で会話をしてくれる。

 話始めるときにどもっちゃうクセは、まだ直らないみたいだけど。


「なにっ! もう『スタマイ』を読破しただと⁉ 五巻同時に貸し出したのだが」

 

 今日もわたしは放課後、千晴くんの家にあがらせてもらっていた。

 最初はお茶を飲むだけだった関係も、今では一緒に漫画の話をしたり、ゲームをしたりする仲にまで発展してて。


「えへへ。昔から、本を読む速度は速いんだ」

「なるほど。物書きは読書に時間を割くというのは本当だったか」

 

 借りていた漫画、『スター・マインド』を部屋の奥にある本棚にしまう。

 千晴くんは物をすすめるのが上手い。相手のことをしっかり考えて、その人に合った作品を選んでくれるの。


「あの漫画、日常にバトルが入ってて面白かったよ。主人公の女の子がけなげで、思わず感情移入しちゃった」


「ああ、スタマイは原作が少女向け小説なのだ。それを作画担当が少年向けレーベルで連載しているので、胸キュンとキャラのバトルアクションを同時に楽しめるようになっている」

 

「なるほどー。あ、千晴くんは貸した小説読んだ?」

「『レモングラスの初恋』か。ゆったりとした描写と、それとともに描かれる繊細な人物の心の変化がお見事だった。★5つけたい」

「でしょ! 絶対アニメになった方が良いと思ってて!」

 

 ひとつ屋根の下に、わたしと千晴くんの笑い声が交錯する。

 日々の交流を通して、お互いの距離が毎日、数センチずつ縮まっていく。

 そのことが、最近の一番の幸せなんだ。

 

 数分間漫画の話で盛り上がっていたわたしたちだけど、ゲームをする予定があったことを思い出し、すぐに準備に取りかかった。

 

 千晴くんが、隣の部屋からゲーム機を持ってくる。

 このゲーム機、ジョイコンが外れるようになってて、それ自体でも操作することが出来るんだ。


「はい、雛坂の分」

 左側についていたジョイコンを本体から抜き取り、渡してくれる千晴くん。


「ありがと。今日もやる? ルリオカート」

「無論! 今こそ決闘のとき!」

 

 陽気なBGⅯが流れ、ロードレースをテーマにしたゲームが始まる。

 その画面を見つめる千晴くんは、そわそわと落ち着かなくて。

 だから時々、横に座るこの子が不登校だってことを忘れてしまう自分がいるんだ。


 視界の奥で弾けるような笑顔を見せる千晴くんは、どこを切り取っても年相応の男の子だった。


(千晴くんは、なんで学校に行ってないの―)


 そう尋ねたいけれど、尋ねたらなんか、大事なものが壊れるような気がして。

 それが嫌で、なかなかわたしはその一言を切り出せなかった。


「そういえば貴様、なんで小説を書くのを辞めたんだ」

 ジョイコンのスティックで自分の車を動かしながら、千晴くんが聞く。


「えっ⁉ あっ」


 不意を突かれて、わたしはうっかり操作をミスってしまった。

 画面の中で、派手にひっくりかえる自分の車。

 千晴くんたら、口に手を当てて必死に笑いをこらえている。


「も、もお! 笑わないでよ」

「派手に転倒するとは思わなくて、はーっ」

「もう! 笑いすぎの罪で逮捕」

「謎すぎて草」


 なんて茶番を間に挟んだあと、わたしは普段より低い声で告げた。


「……昔ね。小説を書いていることを伝えたら、周りから避けられちゃって」


 急に仲良かった子が別人みたいに怖くなって、自分を仲間はずれにするの。

 それが嫌で、もうそんな経験したくなくて、好きなものを隠すようになったのと、言葉を続ける。


「書きたいけれど、それはみんなが気持ち悪いって言ってるものだから」

「みんなの中に、俺は含まれるのか?」


 千晴くんは静かな調子で口を挟む。

 尋ねるというより、自分に言い聞かせるような口ぶり。


「含まれないけど」

「じゃあ、『みんな』ってのは、おかしいんじゃないだろうか」


「………」

「俺は気持ち悪いと思ってないし。まあ、書きたくないなら無理に書かなくてもいいけど」


 ――『みんな』ってのは、おかしいんじゃないだろうか。


 気づいていないだけで、自分の気持ちは届けたい人にちゃんと届いていて。

 心ないことを言う人もいるけれど、中には温かい言葉をかけてくれる人もいる。


 千晴くんは、わたしの小説が好きだと伝えてくれた。

 小説を書くのは、まだ怖いけれど。

 いつか、千晴くんに何かを返してあげられたらいいな。


 そんなことを思いながらゲームをプレイしていると、徐々に足の裏が痛くなってきた。わたし、クッションの上に正座をして座ってたんだ。


 姿勢を変えようと立ち上がったとき、部屋の隅に冊子が数冊、置かれてあるのに気づく。

 近づいてみて見ると、どうやらそれは、小学校の卒業アルバムのようで。


「ねえ、千晴くんって小学校、なに小だったの?」

 なんとなく気になったので、質問してみる。


 桜凛中学校は、北小と南小の二つの学校から生徒が来る。

 わたしが通っていた北小に千晴くんはいなかったから、南小出身なのかな?

 けど、帰ってきたのは意外な答えで。


松武まつたけ東小学校だけど」

「松武東⁉ そこって、H市の学校だよね?」


 松武東小学校は全校生徒六百人くらいで、隣のH市にある大きな学校だ。

 まさか校区外の学校出身だったとは思わなくて、ぽっかり口を開けてしまった。


「小学六年の春休みのときに引っ越して、桜凛に来たんだ。だから、俺のことを知っている奴は学年にいないと思う」

「へえ。引っ越した理由は、ご家族の仕事の都合?」

「いや、…………色々あって」


 千晴くんはバツが悪そうに、もごもごと喋った。

 数分前まであんなにはしゃいでいたのに、その元気もしゅんとしおれてしまって。

 その色々を知りたいけれど、とても聞けるような雰囲気ではなかった。


「ま、まあ、そもそも学校とは、決められた箱の中で生活しなければならないのであって。我のように我が道を行く人間には、合わない場所なのだよ」


 場の空気が冷めたことに気づいた千晴くんは、すぐにいつもの調子に戻って決めポーズをとる。

 それは、わざと話をそらそうとしているようにも感じられて。


「そ、そうなんだ。そうだよね、学校ってめんどくさいもんね」

 と相づちをうったそのとき。


 ピーンポーン。

 その場にそぐわないインターフォンの甲高い音が、遠くの方で響いたの。


  ◆◇◆


 玄関口に姿を現したのは、背の高い男の子だった。

 部活帰りなのかジャージ姿で、ショルダーバックを肩からかけてる。

 千晴くんはすぐに目の色を変え、険しい表情を顔に浮かべた。


「よう鵜飼、久しぶり。隣の子は学校の友達?可愛いね」

 

 スコーンと抜けるような軽い口調で、その子は言う。

 絶えずニコニコしていたけれど、笑顔の裏に得体のしれない何かが隠れているような、そんな不穏さがあった。


「あ、こんにちは。俺、鵜飼の小学時代のクラスメートで、藤崎っていいます」

 藤崎くんは、千晴くんの横にいたわたしにペコリと頭を下げる。


「……何の用」


 うめくような千晴くんの声に、わたしはビクリと体を震わせた。

 ど、どうしたんだろう。なんだか、自分の知っている千晴くんじゃない。

 なんか、怒ってる……?


「そうカリカリすんなって。電車乗りついで、せっかく来てやったのによ」

「………早く要件を言え」と千晴くん。

 

 その迫力にひるみつつも、藤崎くんは身振り手振りを駆使して説明する。


「実は今度、松武の卒業生でイベをやるんだわ。で、同クラだったやつ全員に出欠確認してるんだけど、お前の連絡先知らなくてさ。そんで直接来たんよ」


 千晴くんは、下を向いて拳を強く握りしめる。


「どう? 良かったら鵜飼も一緒に」

「――行かない‼」


 自分へと伸ばされた右手を振り払い、千晴くんは悲鳴に似た声で叫んだ。

 両目の端からは、涙が溢れてる。


「『連絡先知らなくてさ』じゃねえ‼ お前らが、意図的に俺をハブにしたんだろうがっ‼」

「おい、鵜飼、落ちつ」


「俺のプライド傷つけて! 何もかもボロボロにしたやつが、のこのこと友達面して来るんじゃねえ! 帰れ! もう二度と来るな! 気持ち悪いっ!」

「ちょ、鵜飼っ……」


 バタンッ‼

 何かを言いかけた藤崎くんに構わず、入口の扉を千晴くんは乱暴に閉めた。


「誰がっ、お前らなんかと……っ」

「ち、千晴くん……?」

 

 玄関先の段差に、頭を抱えて座りこむ彼に、わたしは声をかけようとして。

 うつむく彼の口から出た言葉を受けて、その場に立ち尽くしてしまったんだ。


「――ごめん雛坂。今日はもう、帰って………っ」



 

 

  


  

  

 

 

  

 

 

 


  

  

 

 



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