くんぷうのぷう

kgin

第1話 くんぷうのぷう


 ジブリのような青空に、道路沿いのツツジが燃えるようだ。5月下旬並みの気温が額に汗させる。ずり落ちるヘルメットをくい、と指であげ直して、ペダルを踏んだ。どうせまたコンビニの前の交差点でひっかかるので、さして急がない。ゆるく風をきって進む。

 時刻は、8時5分前。

 道路の北側は、通学途中の学生でいっぱいだ。コンビニ前では、案の定、信号待ちの背中が歩道からあふれるようにして停まっていた。その中に、見知った背中がある。


「あ、あのマスコット。あれもゲーセン限定なんよな……」


 小柄な高校生の背負った四角いリュックに、くまのぬいぐるみがぶらさがっている。先週とは、ちがうやつだ。毎度、自分が取り損ねたマスコットが、このリュックにぶらさがっている。ノースフェイスのリュックに埋もれるような背中の向こう側には、ユーフォ―キャッチャーの手練れてだれがさぞや得意満面に信号待ちをしているのだろうと思われた。


カッコーカッコー


 青信号に変わった。少年は、スラックスをはいた足をピン、とのばして、いきおいよくペダルをこいだ。遅れじと、自分もサドルから腰を上げて、ペダルを踏みこんだ。対岸からも学生の波が押し寄せてくる。人波をかいくぐるようにして進む少年がつくった道を、自分も進む。前からかしましい高校生が三人、並進してくるのが、リュックごしに見えた。


「あ……」


 少年が並進を避けようと端に寄ったそのときだ。民家の垣根から少し飛び出た枝にマスコットをひっかけて、つい、と枝にそれを持っていかれてしまったのだ。あなや、枝にひっぱられたマスコットは、紐がちぎれて、リュックからはずれて、アスファルトの上に。


 リュックの少年は気づいていない。


 学生の波が過ぎるのを待って、道端に愛車を停める。マスコットを拾い上げると、昨日の雨のせいで少し湿って、苔交じりの砂が頬についていた。急いで、手で払う。そして、愛車のカゴにそれを放り込んで、サドルに跨り、地面を蹴った。無印で買った愛車は、タイヤが小さい。全速力でこいでも、なかなか距離が縮まらない。薫風の走りで、リュックの少年はどんどんと離れていく。最後のチャンスは、銀行前の交差点だ。あの信号が青なら、もう追いつけない。額から、一筋汗が流れ落ちる。前方の歩行者用信号をにらむ。


 青信号が、点滅を始めた。


「間に合う……!」


 交差点では、リュックの少年がちょうど革靴を地につけたところだった。荒い息を吐いて、背後から声をかける。


「すみません、これ」


 マスコットを肩に突き付けると、その感触に気づいたのか少年が振り向いた。初めて、正面から顔を見た。短く切ったくせ毛を耳にかけながら怪訝そうな表情をしていたその人は、まつげが驚くほど長い、少女であった。

 予想外のことに詰まりそうになった言葉をなんとか、喉奥から引きずり出す。


「落としましたよ」

「あ、ありがとう」


 ようやく差し出されたマスコットに気づいたらしい少女は、にこりとほほえんでそれを受け取った。青色のシャツに、ネクタイが凛々しかった。もう一言、何か気の利いたことをしゃべろうと思うのだが、無情にもこの交差点の赤信号は短かった。


「じゃ……」


 少女は会釈して、また、ペダルをこぎ始めた。スラックスをはいた小さな尻を高く上げて、強くペダルを踏みこんでいった。自分だけ、余韻に浸るように、また赤信号になるまでじっと交差点でたたずんでいた。

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