キミの隣で景色を表す

月井 忠

一話完結

 ボクは明日に備えて、じっと海を見ていた。

 もう二時間ぐらい、こうして護岸ブロックに座っているから背中の汗もやばい。


 冷たいコーラでも飲みたい所だけど、まだまだ我慢。

 もう少しで、いい言葉が下りてきそうなんだ。


 こうして、ぼんやり景色を眺めていると、急に言葉が浮かんでくることがある。

 そんな時は、すぐにスマホを取り出し、文字を打って忘れないようにする。


 お気に入りの言葉たちは、勝手に集まって、場所を譲り合い、最後は文章となってボクの目の前に現れる。

 いい文章を作るには時間も必要なんだ。


 とはいえ、さすがに限界かな。


 太陽に目を向けると、輪郭をゆらゆらさせながら水平線に近づいている。

 次いでスマホのメモ帳を確認すると、結構な数の言葉が出番を待っていた。


 これだけあれば十分か。


 スマホをポケットにしまい、頭を空っぽにして海を見る。

 湿った風が波の音を運んでくるから、それに合わせてゆっくり呼吸をする。


 言葉も大事だけど、きっと心も大事だ。

 この場の肌触りが、文章に彩りを与えてくれると思うから。


「よし!」

 ボクは立ち上がり、制服のズボンを叩いて砂粒を払う。


 明日こそは、心の中でそう唱えた。


 家のドアを開けると、姿は見えないけど台所の方から「おかえり」と母の声がした。

 「うん」と小さく返して、すぐに自分の部屋に向かう。


 制服を着替えることなく机に向かい、ノートを広げる。

 スマホから這い出そうとする言葉たちをペン先に乗せて、ノートに縫込んでいく。


 これはボクのための文章じゃない。

 あの子のための文章だ。


 ボクが見たもの、思ったことをできるだけわかりやすく表現する。

 ちゃんと伝わるかな、うまく書けてるかな、そんな気持ちで書いては消し、読み返す。


 そうして、やっとひとつの文章が完成した。

 最後の確認をしながらノートの文字をスマホに打ち込んでいく。


 今年は力作だ。

 去年のボクより、間違いなく成長している。


 後はこの文章をキミに聞かせるだけ。


「ご飯!」

 台所からの声で現実に引き戻される。


 制服からラフな格好に着替えてリビングに向かった。




「今日は期待してね」

 ボクはキミの手を引き、いつもの海岸へ向かう。


「ちょっと楽しみ」

 笑ったキミは、白いワンピースに麦わら帽子。


 暑くなってきたから肌の露出も増えてきた。

 変な虫が寄り付かないように、ボクは周囲を警戒しながら歩く。


 いつもの護岸ブロックまでやってくると手で砂を払い、まずはキミに座ってもらう。

 それから隣に座って、一緒に海を見た。


 潮の香りを思いっきり吸い込んで心を落ち着かせる。

 緊張で声がかすれたりしないように、いつもと同じ調子で。


「それじゃ、聞いて」

 ボクはスマホに目を落として、昨夜書いた文章を読んでいく。




 白い砂浜には太陽が降り注いで、キラキラと輝いている。


 子供がはしゃぎながら駆け出すと、砂は小さな足に蹴っ飛ばされて、浮き上がる。

 遥か上のウミネコが翼を思いっきり伸ばすと、風を捉え、ぐんと舞い上がった。


 地上の向かい風は波を運んで、右手の小さな島にぶつかり白く砕ける。


 砂浜から突き出した小さなその島は、一人だけ海の先を行くような姿でそこにいる。

 海面から岩肌を現し、青く茂る木々の葉がこんもりと乗っかっている。


 島の影から一隻の船が姿を現した。

 船は海の表面を滑るように横切り、小さな波を残す。


 小さな波は大きなうねりに飲み込まれ、ゆっくりゆっくりこちらに近づいてくる。


 砂浜にたどり着くと、白い波の下には、砂の色を透かす薄くて透明な輝きがあった。

 その奥には、海水が折り重なった澄んだ水色。


 そこから先は沖まで続く、青く深い、海の色。


 どこまでも歩いて渡れそうな海の果てには、キミの好きだった水平線。


 空は海のような深い青ではなくて、何も手応えがないまま薄く突き抜けている。

 浮いているのは、真っ白い輪郭と灰色の影で、やたら立体的に映る雲。


 体にまとわりつく暑さと湿度は、目の前の海と空が吸収してくれる。

 今キミの前には、そんな光景が広がっている。




「どう……かな?」

 キミの横顔に聞く。


「う~ん……まあまあ、かな?」

 首をかしげて、少しだけ眉を寄せる。


 うん、わかってた。

 キミはそんな簡単にうなずいたりしないって。


 それに今もキミは目を閉じたまま、あの水平線を見ている。

 キミが心の中で思い描いている光景は、きっとこんな文章じゃ足りない。


 海から風が吹くと、キミは麦わら帽子を右手で抑えた。

 左手にはいつもの白杖。


 キミが光を失ってから、もう五年になる。

 その次の夏、キミはこの景色を言葉で表現してくれないかとボクに言った。


 初めは照れくさくて、せっかく作った文章も途切れ途切れで、よどみながら読む羽目になった。

 今、そんな恥ずかしさはもうない。


 キミにこの光景を見せて上げたい一心で文章を書いて読んでいる。

 もちろん、ボクの文章力はまだまだだってわかってる。


 でも、この想いは本物。


 いつかキミが見た、思い出の水平線を超えるように、ボクはこの光景を言葉にしたい。

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