第1話 1000万分の一

  [長橋ながはし第三研究所は人類が大きな進歩を遂げる可能性を見出しました]


朝のニュースから聞こえた発表はここ一週間ずっと流れているものだった。全世界における爆発的な人口増加により、普段の生活も困難になっている中、この人類史上かつてないほどの大発見は瞬く間に世界を震撼させた。


  [我々が生活している世界とは別である世界、その名も『虚界きょかい』]


『虚界』

隠世かくりよやパラレルワールドとも違う全く別の世界。この研究の第一人者である長橋大輔ながはしだいすけは現実世界とは異なり、一般的な物理法則が働かないのではないか?と推論している。毎日のように流れるニュースの内容を暗記するほど聞き飽きた内容だった。


そんなニュースを横目に俺こと、高原雄星たかはらゆうせいは朝食を食べていた。テーブルを挟んで向かいに座っているのは、つい最近婚約の約束をした花本はなもとユズだ。高校2年の時、同じクラスで知り合って、それから交際にまで発展し、今では結婚を目前にした夫婦みたいな関係だ。彼女は頭脳明晰で、運動神経抜群、新しことに挑戦したいタイプで、高校の時もしたいと思ったらすぐ行動するような人だ。根暗な俺とは住む世界が違うと思っていた。まあ、なんだかんだ結婚目前なのだが。


  「このニュースいつまで続くんだろ」

 

ユズも同じことを思ったのか、共感を求めるように聞いてくる。


  「そりゃ、世紀の大発見みたいなもんだし」

  

多分ユズとしては思った返事ではないかもしれないがユズは、確かに、と呟いた。


  「長橋第三研究所ってお父さんが働いてたところなんだよね」


ユズの口かられた言葉は、俺も初耳の話だった。

なんせ、ユズの父親はすでに他界している。約20年前の出来事で、当の本人も顔すら覚えていないらしい。確かに、ユズの父親が長橋第三研究所に勤めていたことには驚きだが、ユズ自らこの話題を持ち出すのは珍しかった。


  「『虚界』をユズの父さんも探してたのかもな」

  「だとしたら結構ロマンチックかも」


他愛もない会話をしながら、朝の時間を過ごす。俺にとって毎日の習慣で、楽しみでもある。朝食を食べ終えたユズは、会社に行くための準備を始めた。現在俺たちは共働きの状態にある。高校の時から成績優秀だったユズは有名国立大学に進学し、IT関連企業に勤めている。無念なことに、俺より年収は高い。まあ、俺の年収も比較的高いほうではあるのだが。そんなこんなで、朝はいつもバタバタしている。



その日の夜。

きっとこの日から運命の歯車は回り始めたのだろう。今でもはっきりと覚えている。ユズ宛にが届いた。


  【この度は日本政府と長橋第三研究所における『虚界』の被験実験案内の参加をお願い申し上げます】


俺は唖然とした。安全かどうかも分からない『虚界』に実験として行くなんて。ただ、彼女は違った。

新しいおもちゃを見つけた子供のように、目を輝かせこう言った。


  「私、これ受けてみるよ」


それはかつて、高校時代、何かに夢中になっていた彼女の顔を彷彿させる。

ああ、君はいつまでも変わらない、そんな君が今でも好きだ。

高校時代の記憶が蘇り、何も言えなくなった。


その後、ユズは母親に今回のことを説明し、実験に参加することを表明した。

もちろん反対されまくったとのこと。当たり前だ。今回届いた手紙の内容には続きがある。命の保証はないことと、断っても構わないことだ。

しかし、決意を決めたユズを止めることはできないだろう。それをユズの母親も分かっているのか説得は諦めたようだ。


そして、被験実験当日。

実験場には多数のマスコミが、人類史に残るであろう歴史的瞬間を捉えるため、今か今かと構えていた。テレビ越しに見える50人の選ばれた人々の中にユズもいた。

現在、日本の人口も5億人を超えた中から、選ばれた50人。まさしく、1000万人に一人。男性女性が混合し、年齢層までバラバラである。


今回の実験内容は、現実世界における24時間を虚界で生活し、帰ってきてから体に変化は起きないかの、あまりリスクもないものだった。とはいっても、何が起こるか分からない。また、虚界では現実世界よりも遅く時間が進んでいるらしく、体感では一瞬のことらしい。




準備が整い、被験者は全員ワイヤーのようなもので繋がれている。

そして今、虚界への入り口に皆が足を進めた。テレビ中継をしている人は歴史的瞬間を固唾を呑んで見守っている。

全員が虚界に足を踏み入れた瞬間────────────

繋いでいたワイヤーが切れ、

突如として『虚界』と現実世界を繋ぐ次元の境目がなくなってしまった。そこにもともと何もなかったかのように。




世界は、人々を隠したのだった。

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