男二人がただ炎天下を歩くだけの話

「なあ、今って何月だ?」

「オレの記憶が正しければ九月やなぁ」

 友人と二人、炎天下を歩きながら意味のない問答をする。

 恨めしい気持ちをこめて空を見上げれば立派な入道雲。じりじりと焦げつくような陽射しと地面からの照り返しは、帽子だけでは十全に防げそうもない。両脇を田んぼに囲まれた狭い農道は、古びたコンクリートがひび割れてまるで干ばつの大地みたいだ。道端に生える雑草も心なしか元気がない。低い山を背にぽつりぽつりと民家が建つ古き良き里山の風景も泣くぞ、こんな季節知らないって。

 極めつけに、鬱陶しいセミの声が鼓膜を震わせる。体感温度が一度は上がった。全方位に鳴いてないで素敵なメスの耳元でささやけよ。一途になれ。

 残暑というより、いまだ夏本番。小さい秋はどこにあるんだ。デッカイ夏しか見当たらないじゃないか。うんざりするような暑さのなかで、疑問が口からこぼれ落ちた。

「立秋ってあったじゃん、秋が立つって書く。秋、立ってるか?」

「よちよち歩きでもしてるんちゃう? 知らんけど」

 友人の返しもどこかうんざりとした雰囲気を漂わせている。

 本数の少ないバスを待つより歩くほうが早いというのは、完全に判断ミスだったようだ。そのせいで今、さえぎるもののない道を延々と歩くという苦行をこなす羽目になっている。バス停に戻るにはすでに少しばかり遠く、目的地まではまだ距離がある。ここが地獄の一丁目。

 背中を、首筋を、こめかみを汗が伝う。一度帽子をとって汗を拭うが、次々と流れてくるから大した意味もない。直射日光で目がちかちかしただけだった。

 そのときなぜか、友人が俺の斜め後ろに回りこむ。

「……俺のこと日除けにしようとしてねえか」

「ちゃうちゃう。足元がおぼつかへんのや」

 気のせいじゃない。その証拠に友人は足取りがよろよろとしているものの、さりげなくも確実に、俺が形作る影へと入ろうとする。眉間にしわを寄せて睨みつけると、「ジブンのが背ぇ高いやんな?」という言葉が、いたずらっぽい笑みとともに返ってきた。

 戦いのゴングが鳴る。

 太陽はこれから頂点に近づこうかというところ。朝夕に比べると短めの影だが、無いよりマシ。相手の影で少しでも涼を取ろうと熱い戦いが始まった。幼いころ遊んだ影踏みよりもなお激しく、ベストポジションを目指して太陽にフットワークを見せつける。驚きのスピード、華麗なフェイント、意外とあるスタミナ。

 もしも正気だったなら「これ何の時間?」と我に返ったかもしれない。しかし常軌を逸した暑さでは正気を保てるはずもなく。熱い攻防はしばらく続き、そして――最終的に二人そろって道路脇の水路に足を突っ込んだ。馬鹿じゃん。隣からも「アホか……」と力なく呟く声が聞こえた。

 少しだけ低くなった視線の先には、収穫を終えた田んぼに並ぶ稲の株。あ、小さい秋。


「涼しくなったな……」

「せやなぁ……」

 元の道に戻り、心にもないことを言ってはどちらともなくため息をつく。

 お気に入りのスキニーは裾から十数センチが色濃く変わり、水没したスニーカーはぐちょぐちょで気持ちが悪い。

 友人はハーフパンツから伸びる足をぷらぷらと振っている。その不満げな顔を見て、こいつが犬だったら思いっきりぶるぶると身震いしてただろうなと思ったりした。たぶん黒柴。

「いっそ裸足になったろかな」

「やめろ。火傷するぞ」

「トモズネ焼けてまうな」

 と、友人が歩みを再開しながら笑った。

「焼肉じゃねンだよ」

「ちなみに関西ではチマキって言うで」

「米じゃん」

「ちなみにオレはウルテが一番いっちゃん好き」

「聞いてねえしどこの部位だよ」

「気管の軟骨や」

「もっとカルビとかロースとかも食え」

「話に夢中んなって歩み遅なったらアカンで」

「それは牛歩」

「だらだらとなごう続いとる、この道も、オレらの縁も」

「それは牛のよだれ。ちょっと良いこと言ったみたいな顔すんな」

「馬の耳に念仏みたいなやーつ」

「それは牛に経文」

「オカンがな、町内会で幅利かせてん」

「それはぎゅうる」

「うちの姉ちゃんな、ハンドル握ると性格変わってもうて。ギュッとしてガァーッ行ったらトントントーンやねん」

「それは、……それは何? わからん」

牛蒡ごぼう抜き」

「ゴボウはズルいだろ、ゴボウは!」

 はたこうとした手はむなしく空を切る。避けるな。

 したり顔で煽り散らかす奴のせいで、俺たちはまたしょうりもなく炎天下の運動会を始めてしまった。これなんてデジャヴ?


 無駄に喋って走って喉が渇いた。頭上からは相も変わらず殺人光線が降りそそぐ。シンプルに暑い。

 そうしてまた黙々と歩いていると――。

「アカーン!」

 突然の大声が夏空に響いた。

 百二十デシベルは出てただろ、うるっせえな。

「ほんまに溶けてまう……オレが溶けたら、骨だけは拾うてな……」

「骨ごと溶けんじゃねえの」

「いけずぅ……。ほんなら涼しなる話でもしよ。しゅんチャンはかき氷どの味が好き?」

 藪から棒な質問に、子どものころ家族と遊びに行った祭りを思い出す。

「イチゴ味が好きだけど……、そういえば昔、弟とケンカしたんだよな。イチゴが最強とかメロンが一番強いとかって。かき氷のシロップって全部同じ味らしいのに」

「せやんなあ。けど祭りの雰囲気のせいか、不思議とウマく感じんねんな」

 ふふっと軽く笑いあった俺たちの間に、ゴールが近いような雰囲気が流れる。

「じゃあ今度、一緒に祭りでも行くか」

 祭りで食べるかき氷を思えば、この灼熱の道も乗り越えられる気がした。

「行けたら行くわ」

「それ来ないやつだろ」

 もう口ばっか動かしてないで足を動かせと、生乾きのスニーカーでローキックを決めてやった。

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【短編集】ちよろず余話 十余一 @0hm1t0y01

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