思春期の希死念慮を思い出す話

 そういえば十代のころは、よく希死念慮をこじらせていたなぁと思い出す。

 別に学校でイジメられていたとか、家庭に問題があったとかではなく。ましてや命を懸けてスポーツに打ちこんでいたとか、死んでもいいと思えるくらい燃えあがる恋をしていたわけでもない。どちらかというと能天気に、安穏とした青春を過ごしていた。ほどほどに勉強して、ゆるゆると部活して、そこそこ友だちと遊んで、まあまあ家族仲も良い。ぼんやりとした不安すらもなく普通に子ども時代を満喫し、けれども自分は近いうちに死ぬのだろうという確信めいたものがあった。

 というのも、中学生のときは高校生になった自分が想像できなくて、中学を卒業したあとは死ぬと思っていた。高校生になったらなったで、大学生になった自分が想像できなくて卒業後の進路は死だと思っていたし。無事に大学に入学しても、今度は二十歳になった自分が想像できなくて大人になる前に死ぬと思っていた。大学卒業後も言うまでもなく死。そういう節目節目で世界が断絶するような気がしていた。それに加えて大学生のころは、老いてしわくちゃになる前に死にたいという気持ちもあった。大した美貌も持ち合わせてはいなかったけど、それでも年をとりたくなかった。

 希死念慮のことを親に相談したことはない。親に向かって子どもが「死ぬと思う」だなんて言うのはいくらなんでも親不孝すぎるという認識はあった。さすがにあった。親泣いちゃうよ。


 そうして希死念慮を順次更新していったものの、大人になった今、思うのは。

 ――まあ別に、生きててもええか、楽しいし。

 このくらいのユルさで毎日を生きている。程よい投げやり感と諦めと楽観。

 節目を迎えても全然死なない。案外死なない。死ぬ気配ない。

 思えば、あのころわずらっていたのは思春期特有の病気だったんだ。時間が立てば自然となくなる程度のものだ。想像力が著しく欠如しているくせに、刹那的に生きることもできない不器用な子どもだったのかもしれない。

 もしも手軽に時を超える手段が開発されたら、十代の自分に今の状況を教えてやりたい。

 鼻水垂らしてカエルやトカゲを追いかけまわしていたころと、大して変わらない心持ちで楽しくやっているよ、と。友だちと徹夜でゲームしてたころとも大して変わらない。変わらなすぎて逆に笑けてくるわ。高校生のときに仲良くなった桃ちゃんとはまだ交流が続いてて、こないだなんて二時間半くらい通話してずっとゲラったよ。

 友だちと遊ぶのは相変わらず楽しくて、ごはんもおやつも美味しいし、夜はぐっすり眠れてる。だから将来の心配とかしなくていいよ。

 余計なお世話か。

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