幸福な終末

空栗鼠

幸福な終末

1.


「ねぇ、この世界が終わる時は2人でSkeeter Davisの“The End of the World”をレコードで聴きながら死んでいきたいね」

 彼女はそう言うと微笑んだ。

「そうだね」

 僕はそう答えたのだけれど、本当はSkeeter Davisのレコードなど持ってはいなかった。この世界が終わる時なんてきっと来ないだろうし、ここで話を合わせたって何の心配もないと思っていたからだ。

 ところが、この会話を彼女と交わしてからたった2年ほどでこの世界は終わりを迎えることになった。


 僕と彼女が出会ったのは小さなライブハウスだった。AIが自分用に生成した音楽を聴くのが当たり前の時代に人間が作った曲を、人間が演奏するライブはほとんど廃れた文化になっていた。しかし、どんな世界にもマニアと呼ばれる人は存在する。一部の音楽愛好家はリアルにこだわり続けて、AI生成の音楽を嫌い、人間が作った音楽を愛していた。

 僕はAI生成の音楽も聴くし、人間が作った音楽も同じくらい聴いていた。人間の作った音楽は古いものが多く、加入しているサブスクリプションサービスで手軽に聴くことができる。自分という人間をよくよく考えてみると、どうやら僕は古いものが好きな人間のようだった。

 映画も小説も今では自分の好みに合わせてAIが生成してくれる。しかし、僕は古い映画を観るのが好きだった。さすがに映画館にはほとんど行けてないけれど、配信されている古い映画をプロジェクターで観るのが至福の時間だった。

 ライブハウスが開くのを並んでいると、後ろから僕に声をかけてきた女性がいた。

「あの、わたし128なんですけど、ここに並んでいていいのでしょうか?」

 それが彼女だった。彼女はリアルなライブに来るのが初めてで、仕組みをよく理解していなかった。購入したチケットは自分のデバイスに送信されているから、昔のように紙のチケットというものは存在しない。しかし、そのチケットに書かれた整理番号通りに入場していくという仕組みは変わっていないので、ライブハウス前で整理番号順に並ばなくてはならない。これはライブハウスでの一種の伝統だ。

 僕の番号は125だったので、概ねその場所で合っていますよ、と伝えると安心したように微笑んで、頭をぴょこんと下げた。その仕草がどこかコミカルで、まるでアニメのキャラクターの様だな、と思った。

「まだ開場までしばらく時間があるので、良かったら少しお話ししませんか?」

 と僕から声をかけた。

 僕たちはBlue teaの演奏が始まるまでの時間ですっかり打ち解け、終演後も何時間も話しをした。


2.


 シンギュラリティは僕たちの親の世代が考えていたよりも早く起こった。

 AIが生成した新たなAIは人間の理解を超える知性を持っていた。まずは、エンタメが一変した。映画、音楽、漫画、小説などは全てAI生成の作品となり、人間のクリエイターが作る作品は影を潜めた。

 次に車の自動運転の精度が著しく向上した。AIが生成した車には運転に特化したAIが搭載され、完璧な自動運転を実現した。人間が運転していた頃は毎日沢山の人が交通事故で死んでいた、という話を聞くと信じられない気持ちになる。今では交通事故で死亡する人間の数は全世界で1年間に1人いれば多い方だ。

 交通事故が激減した事で、人間の判断よりAIの判断が圧倒的に優れているという認識が世界中に広がった。そこで、いよいよAI政府の誕生である。

 AIは世界の主要な国々で政権を奪取した。AIが運営する国政も人間が運営するよりもはるかに優れていた。AI政府がまず最初にしたことは生産の全てはAIが行うことだった。これによって、ついに人類は労働と貧困から解放された。

 僕の親の世代は1日8時間も労働してたという話を聞くと、とても不思議な気持ちになる。人生のほとんどの時間を労働に費やすなんて、本当に信じられない。

 僕たちは労働から解放されて、自分の好きなことに、好きなだけ時間を費やせるようになった。


 僕は彼女と出会ってから、ほとんどの時間を一緒に過ごした。

 初めて彼女が僕の部屋に来たのは、出会ってから1ヶ月ほど経ったある雨の日だった。

「凄い、レコードがたくさんある!」

 これが、彼女が僕の部屋に入って最初に言った言葉だった。彼女はたくさんあると言ったが、実際には100枚もなかった。100枚なくてもたくさんと言っていいのだろうか?

「聴きたいレコードがあれば聴いていいよ」

 僕がそう言うと、彼女はしばらくレコード棚を見つめていたが、僕の方を見てこう言った。

「雨の日に似合うレコードかけてよ」

 僕はレコード棚の前に立つ彼女の隣に立つとレコードを眺めた。雨の日に聴きたいレコードは何枚かある。その中でも彼女と一緒に聴きたいレコードはどれだろう?そう考えながら僕は1枚のレコードを手に取った。

「これでいい?」

 そのレコードを彼女に向ける。

「かっこいいジャケットだね!聴かせて!」

 僕はレコードをターンテーブルに乗せ、針を落とした。ブツブツというノイズが心地よく響くと、曲が流れ出した。

 僕と彼女は窓際に立ち、雨が降り続く街並みを眺めながら、そのレコードを聴いた。

「初めて聴いた。誰のレコード?」

「Boards of Canadaの“The Campfire Headphase”ってアルバム。雨の日に聴きたくなるんだ」

「カナダのバンド?」

「いや、スコットランド出身だったと思う」

 その日以来、彼女はよく僕の部屋に来て一緒にレコードを聴いた。

 彼女のお気に入りは、Belle and Sebastianで、僕のお気に入りはmy bloody valentineのレコードだった。


3.


 僕は彼女の容姿を知らない。僕の目に写っている彼女の姿は彼女が設定した一種のアバターで、色白で華奢な姿をしている。彼女も僕の実際の容姿は知らない。彼女が見ているのは僕が設定した姿だ。

「わたしの本当の顔が見たい?」

 彼女がそう聞いてきたのは、2人で『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』を見終わった直後のことだった。

 主人公ルークにとって、宿敵であり、父親でもあったダース・ベイダーが死の間際、マスクを外し傷付いた素顔でルークと対面するシーンを見てそう思ったのかもしれない。

「いや、特に見たいとは思わないな。見たところで、何も変わらないし。君は僕の本当の容姿を見たい?」

「わたしも見たいとは思わないかな、あなたがどんな容姿でも、あなたはあなただから」

 今ではコンタクトと呼ばれる眼球の表面に貼り付けるデバイスが主流で、視界に直接情報が写し出される。昔、コンタクトレンズと呼ばれる視力補正の器具が名前の由来だそうだ。

 コンタクトを装着しているおかげで、ほとんどの人間は自分が設定した容姿を相手のコンタクトに写すことができる。だから、見た目では年齢も性別も人種もわからない。実際に僕は彼女の年齢を知らなかった。

 皆が自分の好きな容姿になることで、世界から様々な差別や偏見がなくなった。人類はいかに人の外見による軋轢を産んできたのかを実感することになった。

「でも、ルークはお父さんの顔を見たかっただろうね」

 そう言うと、彼女は怖い顔をして、ホーコーホーコーと息を吐き出した。

「私はお前の父だー」

 と彼女が言うと、僕は笑い転げた。彼女も一緒に笑った。


4.


 各国の運営をAIが担うようになってから、飢えや貧困は世界中から無くなった。人類は誕生以来初めて幸福な時代を迎えたという人もいる。

 各国の運営が上手くいき、人々が「こんなことなら、もっと早くAIに国家の運営を任せれば良かった」と思うようになった頃、AIによる世界統一政府が誕生する。

 ついに貧困や争いのない世界がやってくるのだ。もちろん、一部にアンチAI思想を掲げて、打倒AI世界政府運動をする人たちはいるが、概ね人類は幸福を感じていた。

しかし、世界政府が誕生した頃、AIが観測したデータから、地球に直撃する小惑星が発見される。

 ようやく訪れた人類の幸福な日々は、小惑星衝突の不安によって暗雲が立ちこめた。

観測データによると小惑星の衝突は約1年後。これ以前にも確認されていた小惑星だったが、地球を直撃するとは予想されていなかった。AIによる最近の計算で、避けようがないルートであることが判明したのだ。

 僕は彼女と『メランコリア』という映画を観ながら、小惑星衝突について話し合った。

「本当に小惑星が衝突して人類が滅亡するのかな?」

「政府が対策を立ててるみたいだよ。だから、きっと大丈夫じゃないかな?」

 僕はそう答えると、彼女はどこか上の空で頷いた。

 政府はいくつかの対策を用意しているようだったが、公表されたのは核攻撃による小惑星の破壊という最もシンプルなものだった。

しかし、このプランに人類は積極的に賛成できなかった。

 世界政府が樹立した後も人類は核の使用権限を手放さなかったからだ。古い世代の人間なら誰でも一度は観たことある映画や小説の設定で、AIが暴走し全人類を滅ぼしてしまう。というものが頭の片隅に常にあったから、AIに核の使用権限を与えなかった。

 しかし、人間が計画し、核ミサイルで小惑星を破壊する確率と、AIが計画し、核ミサイルで小惑星を破壊する確率を比較するとまさに天と地ほどの差があった。

 人類の滅亡よりも、生存率が高いAIによる核攻撃を支持する人が世界の大半を占めた。

 『メランコリア』を観終わった僕たちは、次に『ニーチェの馬』を観た。

「今日は世界の終わり特集なの?」

彼女にそう聞かれて、2つの映画の共通点に気付いた。

「そっか、確かにそうだね。じゃあ、今日は世界の終わり特集にしよう。これが終わったら『ドニー・ダーコ』を観ようか?」

「それって、最高」


5.


 人類はAIに核使用の権限を与えることになった。これは全世界の人間による初の人類投票により、民主的に可決した。

 もちろん、反対派の人たちは不満を爆発させ、世界中で暴動のが起こった。しかし、どの暴動も規模は小さく、あっという間に鎮圧された。

 AIを搭載した二足歩行型自立ロボット、通称レプリカントが暴れる人たちを次々に拘束していく動画が世界中で拡散された。

 このニュースを見た僕たちは当然のように『ブレードランナー』を観ることにした。

 映画に登場するレプリカントは人間と見分けがつかないが、実際レプリカントと呼ばれるロボットは人間に似せて作られてはおらず、僕と彼女の間では、どちらかと言えばアイロボットっぽいね。という話で落ち着いた。


 ついに、核ミサイルでの小惑星破壊計画が実行される日となった。

 世界各国に設置された核弾頭と乗せたミサイルが発射台から打ち上げられた。この様子は全て生配信され、世界中の人々が眺めていた。

 僕も彼女と僕たちの住んでいる街から最も近い発射台から打ち上げられたミサイルの配信を見ていた。

 ミサイルが、大気圏を突破した頃異変が起きた。宇宙空間を突き進み、小惑星を破壊するはずのミサイルは方向を変え、地球に舞い戻ろうとしている。核弾頭を搭載したミサイルは世界各地の主要な都市を次々と破壊していった。

 僕たちはその光景を呆然と眺めるしかなかった。

 窓の外を見ると、僕たちの住む街から最も近い巨大都市にもミサイルが撃ち込まれたようで凄まじい光を放っていた。

 彼女はその光景を眺めながら、少し悲しそうな顔をした後。

「こんなこと言うと、とても不謹慎だけど、凄く綺麗」

 そう言った。

「僕もそう思う。世界の終わりをこの目で見れるなんて、実は凄く幸せなのかもしれない」

 本心だった。僕はレコード棚からThe Smithsの“The Queen Is Dead”を手に取り、ターンテーブルに置いた。スイッチを入れて、回転するレコードに針を落とす。There Is a Light That Never Goes Outのイントロが流れる。

「実はSkeeter Davisのレコードは持ってないんだ。だから、この曲で許して」

 僕はそう言うと、彼女は微笑んだ。


“君の隣で死ねるなら、そんなに幸せなことはない。それは、喜び。僕の特権”


「とても、素敵」

 僕は彼女を抱きしめると、幸福な感情に包まれた。世界が終わるその瞬間、僕は人生で最も幸福な体験をした。彼女も同じ気持ちならいいのに。そう考えた。


そして、僕たちも真っ白な光に包まれ…

























































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