第31話 受け止めきれない


「とにかく、君が無事で良かったよ。その綺麗な肌に傷がひとつでもついていたら、私は彼女を殺してしまうところだった」


 ロセンドはそう言って、手を差し伸べて来た。

 わたしは本能的にその手を取ることをためらう。何か恐ろしいことが起こっているような気がしてならない。

 自分でもおかしいと思う。

 だって、彼はわたしを助けてくれたのに。恐ろしいと思ってしまう自分は失礼だとさえ思うのに、それでも肌が勝手に粟立つのだ。

 けれど、ロセンドは構わずにわたしの手を掴んだ。


 そのまま抱き寄せられ、頭の上に吐息がかかる。

 その行為に対して、わたしはただ恐怖しか感じなかった。優しく背をさすられても安心するどころか微かに震えが走る。

 オルランドに対して抱いていた安心感は微塵も感じられない。


 それどころか、触れられることは恐怖でしかなかった。


「ああ、本当に無事で良かった。まさかカロリーナが馬車に細工をしてまで君を害そうとするとは思っていなくて、怖い思いをさせてしまったね」


 わたしは一瞬彼が何を言っているのかよく分からなくて、しばらく考えた。

 そうだ、わたしは事故にあったのだ。

 ロセンドの言うことを信じるのなら、カロリーナが何かしたことで事故に合ったらしい。

 そして、どういう訳かわたしだけこの屋敷に運び込まれたということになる。


 全てはカロリーナがわたしを人知れず消し去るために立てた計画だという。


 けれど、カロリーナはかつてこう言っていなかったか?


 殿下は、カロリーナを受け入れない代わりに、彼女が成し遂げたかったことに協力していたと。わたしが思い至ったのはひとつだけだった。

 

 現在この国で呪術を行使できるのはアグアド一族だけ。

 その呪術がわたしに掛けられていた。


 けれど、彼らは基本的に王族の命令しか聞かない。

 それ以外は例え貴族だろうと平民だろうと、依頼という形で大金を積むなり、別の大きな対価を支払わない限りその力を貸すことは無い。

 それはつまり、ロセンド殿下が彼らに命じたということになるのではないか。


 でも、わたしには殿下に恨まれるようなことをした覚えはない。


 それなのに、今思い至ったことが事実なのだとしたら、ロセンド殿下はどうしてカロリーナに協力したのだろう?

 何より、今彼はカロリーナの手からわたしを守ってくれた。


 頭が混乱して考えがまとまらない。


「どうしたの? もう怖いことは無いよ」


 いつも穏やかで優しい声なのに、この時ばかりは恐ろしくてたまらなかった。ここからすぐにでも逃げたいのに、抱き寄せられたまま体をこわばらせることしか出来ない。

 

「震えてるね? 怖かっただろうに……私がもう少し早ければ良かった、ごめん」

「い、いえ」


 本当は目の前のあなたが恐ろしいのだとは口が裂けても言えない。

 一体どうしたらこの時間が終わってくれるのか見当もつかないまま、わたしはただ身を縮こま瀬らせるしかなかった。


 すると、カロリーナが鼻を鳴らした。


「良かったじゃないお姉様、わたしがいくら望んでも手に入らなかったものがあなたにはいくらでも選べるのよ? もう少し喜んだらどうなの?」

「な、何を言ってるの?」

「殿下はお姉様を望んでるのよ!」


 叩きつけられるように放たれたカロリーナの言葉。

 すぐには意味がわからなかった。

 けれど、少しずつ意味が飲み込めて来ると、わたしは思わずロセンドの方を見ていた。


 その口から否定の言葉が出てくるのを待つ。

 しかし、彼の口から出て来たのは苦笑だった。


「どうして先に言ってしまうんだろうね?」


 ロセンドはカロリーナを見る。

 その視線に、カロリーナはびくりとして身を竦めた。


「私の口から直接伝えたかったのに、君が彼女の妹という立場じゃなかったら絶対に手を組んだりしなかった。君みたいな女は厄介だから……利用しやすいが、暴走することがあるのは分かっていたのでね」

「……なら、さっさと殺せば良かったのに。そんな光景をわたしに見せて楽しいですか!」


 手を押えて佇むカロリーナの瞳は涙に濡れている。

 わたしは思わずロセンドを押しのけて駆け寄りたい衝動に駆られ、彼の腕から逃れようと身をよじった。


「殿下、離して下さい」

「どうして? 今聞いたように、私は君を妃にしたいと望んでいる。ようやくこうして触れられたのに、離したくない」

「わたしは! わたしはもう婚約しています!」

「だから……?」


 軽く放たれた言葉にわたしは思わず目を見開いた。


「たかが婚約だ。そんなものはただの軽い約束に過ぎない。解消すればいいだけの話だ。何より、私は君と婚儀を挙げるまでここから出す気はないよ?」

「な、そんな勝手な! わたしは嫌です!」

「どうして? 少なくとも、バルカザール公爵より私の方が全てにおいて魅力的だと思うが」


 わたしは声を殺したまま泣くカロリーナの微かな声を聞きながら、いつもはあまり感じたことのない感情が湧きあがるのを感じた。


 確かに、カロリーナは許しがたいことをした。

 わたしだって、それを許す気はない。


 けれど、カロリーナの様子を見ていればわかる。なんで彼女がこんなひどいことをしようとしたのか。義理とはいえ、姉妹として育ってきたわたしを殺そうとまでしたのか。


 全て、恋のためだ。


 今なら、カロリーナの気持ちがよく分かる。わたしにも愛する存在が出来たから。だからこそ、わたしは言った。


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