第30話 否定された気持ち


 カロリーナが他に婚約者のいる男性であっても、気に入りさえすれば手に入れるための手段を選ばなかった時、わたしは何も言えなかった。

 あの時、もっとちゃんと話をしていたら何かが違ったのだろうか。


「ごめんなさい、わたしは姉としてちゃんと出来なかったから」


 わたしが何かひとつでも行動を変えていたら、少しはカロリーナも変わっていたかもしれない、そう思うと申し訳ない気持ちになる。

 しかし、ふんと鼻を鳴らす音がした。


「本当に純粋固めたみたいで反吐が出るわね。本当に人間なのかと疑いたくなるくらいだわ、少しは怒ってみたらどう?」


 問われて、わたしは答えに詰まる。


「今までされてきたことに腹が立たないの? 理不尽だと思わないの?」

「だって、怒っても意味なかったから……うるさいって言って、部屋に閉じ込められて放って置かれて終わりだったもの。それなら、黙っていた方が楽だったわ」


 幼い頃はそれでも怒っていたように思う。

 でも、泣いても喚いても誰も来てくれなかった。変わりばえしない部屋の風景をじっと見つめるしかなかった。


「おとなしくしていれば、最低限のことはしてもらえたわ。そうする内に、怒り方がわからなくなってしまったし、わたしが悪いからこんなことされるんだって思ってたから……」


 そう言うと、カロリーナは何か哀れなものでも見るような目でわたしを見た。


「何だ、ちゃんと感情あるんじゃない。それなら、そのまま自殺でもしてくれたら手間が省けたのに、やっぱり死ぬのは怖いのね」

「そんなの、みんなそうでしょ?」


 わたしはカロリーナの目を正面からまともに見た。

 途端に背筋が寒くなる。

 彼女の目つきが何かいつもと違う気がしたからだ。目に光が無い。


「そうね、だから呪術まで使って殺そうと思ったのに、どうやっても死なないのよね」

「じ、呪術?」

「そうよ……教えてあげる。お姉様がずっと体調不良だと思ってたのは全部呪術のせい。わたしが雇った魔術師にゆっくりと死ぬ呪術を掛けてもらったの」


 突然告げられた内容に、わたしは一瞬何を言われたのかわからなかった。


「だけど、遅効性とはいえ確実に死ぬ術を掛けさせたのに、どうやっても死なないのよね。おかしいと思ったのよ……だから調べたわ。

 そしたら、案外簡単にわかったのよね。お姉様の母親はアグアド一族の出身だった。その血を引くから呪術が効かなかったんだわ……」


 カロリーナの目が怖い。

 どこか暗くて、なのに強い執念のようなものがある。


「もっと早く知っていれば良かった。わかってたら、こんなまわりくどいことしないで別の方法をとっていたのに」

「べ、別の方法?」

「直接殺せばいいってことよ」


 わたしは彼女の口から放たれた言葉が信じられなかった。

 ずっと家族だと思っていたはずの人間からそんな負の感情をぶつけられるとは思わなかったのだ。自分がお姉さんなのだと言われて嬉しかった記憶。小さい頃に頼られて心から愛おしいと感じた感覚すべてが否定された気持ちがした。


 驚いて呆然としながらカロリーナを見ると、何かきらめくものが目に映る。

 それが短剣だとわかった瞬間、悲しいという思いさえ消え失せた。


 このままでは殺されるのでは、という恐怖で肌が粟立つ。


「あなたさえいなければ、何もかも手に入ったのに」


 そんな訳はない。

 何より、カロリーナの方がわたしにはないものを沢山持っているではないか。そう思うのに、彼女の手に握られた物への恐怖で体が動かない。

 少しずつ近づいてくるカロリーナ。


 わたしは少しずつ後ずさる。

 しかし、すぐに壁に当たってしまってそれ以上逃げられない。


「ねぇ、死んでよ!」


 空を切る音がして、わたしはぎゅっと目をつむった。

 だが、予想していた衝撃は来ない。

 恐る恐る目を開けてみると、そこには剣を振りかぶったまま手を掴まれたカロリーナが驚愕の表情で固まっていた。


「どうして……?」


 カロリーナが掠れた声で問う。

 それもそうだろう。

 なぜならそこにいたのはロセンド殿下だったからだ。


「どうしても何も、君にこの場所を教えたのは私だと思うんだが」

「でも、今日は宮殿で催しがあるはず」

「何か嫌な予感がしたから、来てみて何もなければ催しに戻るつもりだったけど、まさか自分の姉を殺そうとしているとはね」


 ロセンドはそう冷たく言うと、カロリーナの手から剣をたたき落とした。痛みからカロリーナは小さく悲鳴を上げる。


「大丈夫かい? どこか怪我は?」

「あ、いえ……大丈夫です」


 カロリーナは痛みから床に膝を落として絞り出すような声で言った。


「何で、どうして……どうしてですか殿下! わたしを受け入れはしないけど、目的には手を貸すって仰ってくれたじゃないですか!」

「そうだね、だけど姉殺しを看過することはさすがに出来ないよ。一応、この国にも法律というものが存在しているからね」


 淡々と答える声には感情が感じられなくて、わたしは肌がぞわりと粟立つ。


 知らない。


 ここにいる人たちは、わたしの知っているカロリーナでも、殿下でもない、全く別の人たちだと思ってしまうほど、現実離れしていた。


 すると、ロセンドはそんなわたしにどこまでも優しい笑みを向けて言った。


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