第25話 ここにいたいから


 今起こったことを夢のようなものとして終わらせることもできる。

 けれど、どうしても気持ちが落ち着かない。


 こんな気持ちになったのは初めてだった。


 今まではただ自分が静かに暮らしていればそれで良かったのだ。でも、今のわたしはそれではいけないと感じていた。

 妙な胸騒ぎがして落ち着かない。

 何より、先ほどの出来事以来、身体が驚くほど楽になっている。


 これは変えようのない事実だ。


 そして、あの光から発せられていた声の言っていたことが本当だとするのなら、今まで長い間苦しんでいた症状は呪術によるものだということにならないだろうか?

 もしかしたら、わたしは病気などではなかったのだろうか?


 今まで自ら何かをしたいと願ったことは無かった。


 でも、知りたい。


 もしも、わたしが病弱などではないと確かめられたのなら、オルランドの側にいることに罪悪感を感じなくても済むようになるのではないか。

 そこまで考えて、わたしは自嘲した。


「わたし、ここにいたいんだわ」


 ずっと暮らしてきた家には愛着は無かった。なのに、ほんの少し過ごしただけのバルカザール公爵家での暮らしがあまりに心地良すぎて、温かくて、離れがたい。

 ここにいたい。

 そのためには、もう訳の分からない理由で体調が崩れるのは嫌だ。


 公爵夫人として恥ずかしくない人間になりたい。

 これほど何かを強く願ったことはない。


「確かめなきゃ……」


 先ほどの光が放った言葉が本当かどうか。

 本当にわたしは呪術を掛けられていたのか、だとしたら理由は何なのか知りたい。


「……怖い、怖いけど」


 ここで何もしない方が怖い。

 知りたくもない事実を突きつけるられるかもしれないけれど、何もしない恐怖が勝った。

 夜が明けたら、オルランドに頼んでみよう。

 大丈夫。行きたい場所はさほど危険な場所ではない。こんなことで多忙な使用人たちを使うのは気が引けた。それでも、迷惑だとしても今回だけだ。


 わたしは窓の外を眺めた。

 まだ外は暗い。

 眠気はすっかり消えたけれど、体力を温存しなければと思って無理やり寝台に戻る。それでも、緊張からか全く眠れないまま朝を迎えてしまった。



  ✦



 翌日、わたしは馬車の中にいた。

 対面にはそこにいるのが当然のような顔をしたオルランドが座っている。若干の気まずさはあるものの、ついてきてもらえるのは安心でもあった。


 それでも、何となく目を合わせずらい。

 眩暈がひどくてあまり良く覚えていないものの、凄い運ばれ方をしたような気がするし、調子が良くなっても、まだ心配そうにしてくれた。

 何となく、嬉しいような恥ずかしいようなむず痒い気持ちだ。


 何より、あのおかしな話を信じてお願いを聞いてくれて、しかも信じてくれたのだ。

 今まで彼の発言を信じていなかった訳ではない。


 それでも、ここまで大切にされたことが無くてどうしたらいいのかわからない。こういう時、どういう事を言って、どういう対応をすれば気持ちが伝わるのだろう。

 わたしは気を逸らしたくて窓の外を見る。

 季節は夏近く、緑が一面に広がっていて、遠くには放たれた羊の群れが見えた。


 それら全てが新鮮で、ぼうっと外を眺めてしまう。


「本当に具合は良さそうだね」

「えっ! あ、はい……あの夜以来ずっと調子は良いです」


 呪いを解呪したとあの光は言っていた。

 そして、本当にあれ以来ずっと具合がいいのだ。こうなってくると、本当にあの光の言うことは真実に思えてくる。


「聞いたばかりの時は信じがたかったけど、今の様子を見ていると、君が呪われていたという話は嘘ではなさそうだね」

「そうですね」

「実際、こちらへ来てからの方が顔色が良さそうだとは思っていたよ」


 やはりオルランドにもそう見えていたらしい。

 正直、こんなことをされる理由が本当にわからなかった。わたしは、そこまでカロリーナに嫌われているのだろうか? それとも、別の理由があるのだろうか。

 知りたい。


 ここまで何かを強く知りたいと思ったことは無かった。


 もちろん、あの光の言ったこと全てが本当とは限らない。ワトリング家の別邸に行ったとしても、何もないかもしれないのだ。それでも、じっとしてはいられなかった。


 だから、初めて自分からオルランドに頼みごとをしたのだ。

 馬車と従者を貸して欲しい、と。そうしたら、彼は自分もついてくると言った。

 それはさすがに迷惑だろうと思ったものの、断ろうとした途端に怒られてしまった。あんなことがあった後なのだから、従者だけに任せられる訳がないと。

 たしかにその通りなので、それ以上は何も言えずに、今に至る。


 やがて馬車は大きな町に到着した。

 ワトリング子爵領とバルカザール公爵領は少し離れているので、馬車を使っても一日では到着しない。なので、比較的治安の良い町にある宿を利用する。


 その日は宿で食事をとり、休む。


 さすがに寝るところは別にしてもらえたのでほっとする。

 

 翌日、ほとんど手入れされていない別邸に到着した。

 別邸は寝室が三つほどある小さめの建物だ。入口へつづく道は草が生い茂っていて馬車が入れないので、かなり手前で降り、歩いて向かう。


 それでも簡単には辿りつけそうにない。仕方なく、従者と御者のふたりに小道に茂った草を刈るようにオルランドが命じる。その姿を眺めながら、もっと動きやすい服装にすれば良かったと後悔した。

 それでも、なんとか通れる程度の道になったので向かう。


 建物はもう廃屋状態なので鍵がなくても壊れた扉から中に入れた。

 足を踏み入れるとそこかしこに動物が侵入した痕跡が残されている。


 それでも生き残っていた家具の引き出しを端から開けていく。すると、鏡のなくなった鏡台の引き出しからロケットと朽ちかけた日記が出て来た。

 わたしはなんとなくそれを手にして、ロケットを開けてみる。


 出て来た肖像に、わたしは首を傾げた。


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