第17話 微かな抵抗
ゆるりと向けられたオルランドの視線に、叔母は少しびくりとする。
ふくよかな身体が微かに震えたのがわたしにもよくわかった。
「何か勘違いをなさっているようだが、エルミラはこちらに来てからとても体調も良いですよ。少し療養すれば、それほど待たずに子も望めるでしょう」
そう言った後で、オルランドがちらりとこちらを見た。
なんとなくいつもと違う感じがして怖い。
思わず目を逸らすと、彼は話を続けた。
「何より、私はカロリーナ嬢と結婚する気は一切ありません。
というよりも、むしろお断りですね。
あなたがたワトリング子爵家の方々は、もう少し自分たちにとって正しいことが他者にとっても同じかどうかを疑ってみた方が良い。私はそう思いますよ」
呆れたように言ったオルランドに対し、叔母は少し顔を赤くした。
恥じ入ったのか、それとも腹が立ったのかはわからないけれど、不意にわたしを恨みがましい目で見てきた。
反射的に体がびくりとすくむ。
ずっと感じて来た苦しさが蘇った。と同時に、心の底に溜まった何か黒い感情が湧いてきて、わたしは思わず叔母の視線を真っ向から受け止めた。
どうしてわたしだけ遠慮しつづける必要があるのだろう。
オルランドが言ったように、わたしはみんなが求めて来たように動いただけなのに。少し状況が変わったからと責められる理由がわからなかった。
それでも、喉がつかえたように言葉が出てこない。
ただ単純に怖かった。
だけど、わたしは今、オルランドという味方を得たのではないだろうか。
それならば、とわたしは口を開いた。
「なぜそんな顔をなさるのですか? わたしはただ、カロリーナのお願いを聞いただけです」
「それでも、姉ならば妹をもっと大切にすべきでしょう? 少しは譲るものです」
「それは、そうかもしれませんが」
叔母は大きくため息をつく。
すると、オルランドが手を打ち鳴らした。
「もういいでしょう。お引き取り下さい」
平坦な声で出て行くように促すオルランド。
「お待ちください公爵様! 確かにカロリーナは少し良くないところがあるかもしれませんが、自慢の姪です。公爵様にはカロリーナの方がふさわしいはずですわ!」
「それも全て私が決めることですよ? そして、私はエルミラを選んだ。これ以上居座るつもりならば、力で排除します」
オルランドは淡々と告げた。
公爵家には所有する地を守るための人員がいる。軍とは違うものの、自警団のような武力集団は存在しているし、使用人の中でも外出に同行する従僕は危険にあったときに対処出来るように腕っぷしの強い者が雇われているのだ。
「そんなに、お姉様は魅力的ですか?」
不意にカロリーナの掠れた声がした。
「お答えいただけます? お姉様はわたしよりも魅力的なのですか? これでも社交界で一目置かれていますし、多くの方と交流があります。どう考えても、お姉様より公爵様のお役に立てると思うのですが、それでもお姉様がいいとおっしゃるのですか?」
「先ほどから何度もそう言っていますよ?」
オルランドはすげなく答えた。
わたしは思わず息を飲む。
カロリーナの美しく輝いていた目が淀んでいくのがありありとわかったからだ。
「わかりました。今日は帰ります」
低い声に、重い怒りを感じてわたしは反射的に一歩後ずさってしまう。
「おめでとうお姉様。お幸せになって下さいね……?」
向けられた目と表情が、このままで終わらないことを示唆していて、わたしはその場に頽れそうになる足を必死で叱咤して立つことに全力を注いだ。
初めて妹が怖くてたまらなかった。
カロリーナは完全に笑みを消した表情のまま叔母を促すと、公爵家の応接間から出て行った。
見送りに行かなければと思ったものの、わたしはそこから動けない。
すると、オルランドが不思議そうに近寄って来て、顔をのぞき込んできた。
「大丈夫かい?」
「は、はい……ちょっと、びっくりしただけで……」
そう言ったものの、手が微かに震えてしまった。
急いで握りしめて見えないようにしたものの、すぐにオルランドが近寄って来て、わたしの手を取って包み込んでくれる。
思ったよりも大きな手だった。
じわりと温もりが伝わって来て、反射的に涙が出そうになる。
「震えているみたいだけど?」
「そのうち、収まりますから……ありがとうございます」
「怖かったみたいだね」
問われて、すぐに返答できない。
「震えがとまるまでこうしていてもいいかな?」
「え?」
「好きな人が震えているのに放ってはおけないよ。でも、嫌ならやめるから」
突然言われた優しい言葉に、それまでこらえていた何かが壊れた。
そうか、わたしはずっと怖かったのだ。
それさえ気づかないほど、あれが当たり前だった。ずっとわたしの我慢が足りないせいだと思い続けて来た。
でも、違ったのだ。
途端、目頭が熱くなってきて、頬を涙が伝う感触がした。ただただ、繋がった手が温かい。
人の体温というのはこんなにも温かいのだ。
今まで何度も彼の顔に触れて温もりは感じてきたはずなのに、手が温かいということがひどく胸に響く。
縋りつきたくなる。
なのに、縋ることさえ怖いと思ってしまうわたしがいた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
囁くような声の後、柔らかく抱きしめられる。
その感触に、一瞬逃げ出したくなったものの、おとなしくそのままでいると、自然と涙が出なくなった。強い動悸が収まって、息がつけるようになる。
わたしは、安心するということを初めて知った気がした。
「わたし、ここにいていいんですよね」
「当たり前だ、むしろ、いなくならないでくれないか?」
「……ありがとうございます」
解けた心で、わたしはお礼を言った。
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