第16話 不意の来訪者
ほんの少し挙式までの猶予をもらってから二日後、思わぬ来訪者があった。
予想していなかった訳ではない。
わたしはちょうど二階で痛んだ内装をどうしたら良いのか思案していたところだった。いつかはここにも人を招くことになるのだから、修繕しないといけない。
そう思ってふと窓から外を見た時だった。
白い日傘の下からのぞく髪色ですぐに理解する。
一瞬思考が停止した。
勝手に足がすくんでそこから動けない。
そうしている間にも、庭を歩く三人が玄関ホールへと姿を消すのが見えた。わたしは石像になったみたいにそこから動けないまま、しばらく立っていた。
まだ正式な女主人ではないから、客を出迎える必要はない。
だから、行かなくても咎められることはないのだ。
でも、知らないまま後からオルランドや使用人たちから起こったことを聞かされるのも耐えられそうにない。
「行かなきゃ」
自分を叱咤して足を前に踏み出す。
勝手に手が震えるのを抑えながら階下に向かうと、困惑した様子の女性使用人たちが視界に入る。彼女たちはわたしに気づくと、声を掛けて来た。
「あ、エルミラ様……あの、さきほどエルミラ様の妹だという方がいらっしゃったので、セブリアン様が応接間にお連れしたみたいなのですが」
「わかったわ」
「あの、あの方は本当にエルミラ様のご姉妹なのですか? 何だか雰囲気が全く違っていて、その……」
言いづらそうにしている彼女たちに、わたしは言った。
「彼女はわたしの妹よ、でも、わたしとは色々と違って優秀だから仕方ないのよ、もしも強い言葉を言われていたらごめんなさいね」
「エルミラ様が謝らないでください、わたしこそ不躾なことを言って申し訳ありません」
「気にしないで」
わたしは慌て始めた使用人に言うと、応接間の扉を開けた。
想定通り、設えられたソファにはカロリーナが座っていた。隣には叔母の姿もある。カロリーナは入って来たわたしに気づくとにっこりと笑った。
「あら、お姉様いらしたの? てっきり寝室から出てこないかもしれないと思っていたのですけど、体調が良さそうで何よりです」
「ええ、お陰様で。それで、今日はどうしたの?」
「わたし、公爵様に大切なお話があって来たのよ。お姉様もご存じの通り、婚約についてのお話です」
そんなことだろうと思っていた。
しかし、それについてはオルランドが否定していた。だから、大丈夫だと思う。わたしは少し奥の椅子に掛けたままのオルランドを見た。
すると目が合い、微かに微笑まれる。
それを見ただけで、妙な安心感をおぼえた。
初めて抱く感情だ。
そのあまりの心地よさと温かさに、わたしは少し泣きそうな気分になる。
しかし、わたしのことなどおかまいなしに、カロリーナは話し続けた。
「実は、わたし公爵様に謝らなければと思っていたのです。ご婚約のお話を頂いたとき、わたしには心に思う方がいて、こんな気持ちのままでお話をお受けするのは失礼だと思ったので、お姉様に代わりになっていただいたのです」
「なるほど、話というのはそういうことでしたか」
「ええ! ですがわたし考え直しました。将来のことを考えたのなら、気持ちではなく安定を優先したいと。ですので、お姉様ではなく、改めてわたしと婚約していただけないでしょうか?」
すらすらと、通常ならありえないようなことを言うカロリーナ。
しかし、わたしは彼女がそうやって婚約者のいる男性を虜にするところを見て来た。自分にはそれくらいの価値があると確信しているからこそできる行為だ。
もちろん、中には丁重に断る男性もいたけれど。
そして、オルランドはおもむろに口を開いた。
「……少し疑問なのですが、もしやカロリーナ嬢は、私が結婚を申し込んだ相手をご自身のことだと思っておられるのですか?」
「ええ、だってお手紙にあったワトリング家の令嬢というのは、わたしのことでしょう?」
「エルミラもワトリング子爵令嬢ですよ?」
告げた声が冷たい。
それには、さすがのカロリーナも軽く息を飲んだ。
「そ、そうですが、お姉様はずっと病弱でとてもではないですが、結婚できるとは思えなかったので、実質わたしひとりなのです」
「ほう、なら君はそんなエルミラに結婚話を押し付けたと」
「そ、それは!」
思わず立ち上がり、声を張り上げるカロリーナ。
オルランドは上目遣いにカロリーナを見て続けた。
「それだけでなく、体調が優れないのに代わってくれたエルミラに、今度は自分の生活を安定させたいからもう一度ゆずれという訳ですか……ねえ、カロリーナ嬢、あなたは『恥』という言葉をご存じではないようだ」
「なっ」
カロリーナの顔がみるみる赤くなっていく。
「夜会でも思いましたが、あなたは自分が何もかも手に入れられると思っているようですが、年をとったら何も残りませんよ」
「ひ、ひどい! なぜそこまで言われなければならないのですか!」
「容姿しか魅力がないからですよ」
どこか陰のある端正な顔立ちのオルランドがうっそりと笑う。
美しいが、わたしすら背筋が凍えた。
「わかったのならお引き取りを、馬車はすでに回してあります」
「そんな、嘘でしょ……わたしより見た目の劣るそんな痩せた役立たずがいいだなんて、公爵はおかしいわ!」
「見た目だけの下等生物に将来の妻をけなされるのは不愉快なものですね。それに、私が求婚したのは最初からエルミラですよ? 勘違いされただけではありませんか?」
オルランドが言うと、カロリーナは隣で縮こまっている叔母を見る。
叔母はばつが悪そうだった。
「叔母様? それは本当なの!」
「いえ、まあ……でもほら、書き間違いなさったのかと思ったのよ。だってどう考えても公爵様から求婚されるのはあなたの方だろうと思って」
「嘘……」
衝撃を受けるカロリーナを見るのは珍しい。
以前王太子殿下に同じことをしたときにこうなっていた気がするけれど、良く覚えていない。それほど滅多にない光景だった。
「ごめんなさいね、悪気は無かったのよ。公爵様も申し訳ありませんでした……でも、本当にエルミラは部屋から出てこない子で、会ってもまともに挨拶もしないような娘ですの。
確かにカロリーナは良くないところがたくさんありますけれど、やはりエルミラを薦めることは出来ませんわ」
叔母はわたしをちらりと見てからきっぱりと言った。
オルランドは深くため息をついて、叔母を見た。
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