第15話 ただ不安で
オルランドはロセンドの視線が自分に向いたことに微かに動揺したようだった。
少しだけ身を固くするのがすぐ側にいるわたしにはわかる。
「それにしても、本当に病が治ったのですね。幼少期は容姿の整った少年として皆に愛されていた時の姿に戻れたようで、何よりです」
「ありがとうございます、殿下」
オルランドは素っ気なく礼を言う。
わたしはふと、もしかしたらオルランドはまだ完全に戻っていないことを気にしているのかもしれないと思った。
けれど、それだけでもないような気がする。
「あまり嬉しくなさそうだけど、私は本心からそう思って言っているんだよ?」
「そうですか、ご心配をお掛けしました」
笑みのひとつも浮かべないオルランド。
わたしは不遜ではないのだろうかと冷や冷やしながら様子を見守る。
「君は変わらないね。私たちの機嫌を損ねないようにする人間ばかりの中で、自分の思うように振る舞えるところ、ずっと羨ましいと思ってた」
「不器用なだけですよ。いい事などありません……」
淡々としたオルランドの声。
それは初めて聞く声だった。わたしはふと、過去にふたりの間に何かあったのだろうかと勘ぐってしまうものの、口には出せずに様子を見守るしか出来ない。
「そうかな? 現に今、この国で最も素敵な婚約者を手に入れているじゃないか」
「それについては否定しませんよ。殿下にも良きご縁が舞い込むと良いですね」
「本当に、遠慮のない男だ」
それまで穏やかだったロセンドから笑みが消える。
ほとんど身長差のないふたりだ。
時間が夜ということもあり、明かりに乏しいためかさらに不穏さが漂う。夏近い風が近くの木々を揺らし、わたしは小さく息を飲んだ。
その音に気付いたのか、オルランドが言った。
「ああ、いつまでもこんなところにいると風邪を引くかもしれない。君の体が弱いということを忘れていたよ……それでは、殿下、そろそろ失礼します」
「ああ、また顔を見せに来てくれ。エルミラ嬢も、次は私とも踊って下さいね」
「は、はい。それでは、お気に掛けて下さってありがとうございました」
わたしは軽く会釈し、強めの力で腕を引くオルランドに慌てて続く。
こんな姿は見たことがない。
手を引かれるままかなりの速さで馬車に乗り込み、すぐに出させる。珍しいほど顔をしかめていて、まるで怒っているようだ。
声を掛けるのもはばかられて、わたしは黙り込むしかなかった。
その日、屋敷へ戻ってもオルランドの口数は少なく、早めに就寝する。
ただ、翌日になって恒例行事となった顔に触れる頃にはいつもの様子に戻っていたので、わたしは少しだけ安堵した。
とはいうものの、聞いてみたい気持ちもある。
しかし、まだわたしが踏み込んで良い場所じゃないような気がして、口にすることは出来なかった。それに、わたしにも不安要素はある。
カロリーナのことだ。
あれで諦めるような人間じゃないことはわかっている。
それでも、彼女にとってあの出来事は痛手だったのではないか。そう考え、きっと大丈夫だと言い聞かせても、心が晴れることは無かった。
そのまま五日が経ち、オルランドはふと晩餐中に問うてきた。
「エルミラは、もうバルカザール領に戻りたいかい?」
「え?」
「こちらへ来てからあまり楽しそうではない気がしていてね、杞憂ならいいんだけど、僕としてはこのまま少しばかり滞在して、挙式してしまおうかなと思っているんだけど」
わたしは食事の手を止めた。
そうだった。王都に来た最大の理由は『挙式』なのだ。披露宴は別だが、貴族の結婚式は王都にある権威ある大教会で執り行うのが通常だ。
オルランドは急がなくてもいいよ、と言ってくれていたので、忘れていた。
なにより、しばらく王都で社交に慣れてから婚儀を挙げて、バルカザールに帰るつもりでいたから不思議だった。
「披露宴は後で、夏の間にバルカザールの邸で開けばいい。それほど多くの人を招く必要もないから、君さえいればすぐに済むだろうし」
「そ、そうですか」
別に嫌だという理由はない。
ひとつあげるとしたら、初夜が怖いくらいだ。
その先ずっと彼と暮らすことに抵抗はなかった。そもそも、恋愛をして結婚するということに憧れはあるものの、叶うとも思っていなかったのでむしろ今の状況はありがたくすらある。
それでもわたしはオルランドが急いているような気がしてならなかった。
「まだ、心の準備が出来ていないかな」
「いえ、大丈夫です。オルランド様がそうしたいと思われるのなら、従いますから」
こんなわたしを望んでくれたのだから、彼の望みには応えたい。
その一心で返事をしたのに、オルランドの顔が曇る。
「……従う、か」
「あの、何かお気に障ることを言ったでしょうか?」
「僕の意見を尊重してくれるのは嬉しいけど、君はどうしたいのかな?」
問われて言葉に詰まる。
「僕はすぐにでも結婚したいと思っているけれど、無理強いをしたくない。出来れば、君には僕を好きになって欲しいと思っているから……だから教えてくれないかな、どうしたい」
「わたし、は……」
特にどうしたい訳でもない。
オルランドには好感を抱いているものの、それは恋愛感情とはほど遠いものだ。そんなことを言っていいのだろうか。でも、嘘をつくのはもっと嫌だった。
「……結婚はしたい、です。オルランド様のことは好きですから、でも、まだ少し怖いというか、まだ何もかもわからなくて、済みません、こんなことしか言えなくて」
女性として、公爵夫人として、わたしはちゃんとやれるのだろうか。
ずっと部屋にこもっていただけで、人と関わることもほとんどないまま大人になってしまった。夫人になれば、それなりの振る舞いが要求されるはずだ。
まだ女主人の仕事を少しばかり手伝わせてもらっているだけで、突然夫人と呼ばれることに抵抗をおぼえていたのだ。
すると、オルランドはようやく微笑んだ。
「ごめん、でも教えてくれてありがとう。それなら急がないことにするよ」
「あ、ありがとうございます」
「でも、結婚はこの社交期間中に必ずするから、君が嫌がることを急ぐつもりはないけど、せめて神と法の下では僕の妻にしておきたいからね」
そう言って、ほぼ毎日聴かされる宣言をしてにっこりと笑う。
わたしは曖昧に笑みを浮かべつつ、それを聞くのがほんの少し嬉しいと思い始めていた。
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