第14話 初めて見る妹


 カロリーナがオルランドを落とすと決めたのなら、恐らく手段は選ばない。

 そして彼がカロリーナを魅力的だと思った時が最後だ。

 だってわたしには何もない。

 美貌もない。話術もない。特別な何も持たないただの貧弱な貴族の令嬢なのだ。


 またしても、オルランドの腕に掛けている手を離してしまいそうになる。

 全身の力が抜けて、その場にへたりこみそうだったが、それだけはしたくなくて、足の方に神経を集中させた。


 それで精いっぱいだ。


 こんな苦痛を覚えるのなら、もう帰りたい。

 

 そう思ってから気が付く。帰ると言っても、どこに?

 ワトリング家には帰れない。

 だとしたらバルカザール公爵邸?

 もしも今までと同じことが起こったのなら、近いうちに追い出されるかもしれない。そうなったどうしよう……。


 そうなったのなら、行きつく先はたったひとつしかない。

 修道院だけだ。

 けれど、生活は厳しいと聞く。果たしてそんなところでどれほど生きられるのだろう。


 そこまで考えた時だった。

 オルランドが苦笑しながら質問した。


「ご存じない訳はありませんよね? ダンスの最初に踊る相手がどんな意味を持つか」

「ええ、もちろん」


 カロリーナは上目遣いにオルランドを見ながら答える。


「それなら良かった、それでは挨拶も済みましたし、行きましょうか」

「はい!」


 一段高めの声で返事するカロリーナ。

 しかし、オルランドは近寄って来た彼女を無視してわたしの手を引き、ダンスしている人々のところへと足を向ける。

 

「え、ちょっと、わたしと踊って下さるのではないのですか?」


 困惑した様子のカロリーナがそう問うと、オルランドは足を止めて振り向く。


「なぜそんなことをお訊ねになるのですか?」 

「ですから、お姉様はあまりダンスがお上手ではないので、わたしが代わりに……」


 カロリーナが答えると、オルランドは笑みを消して嘆息する。

 端正でやや陰がある顔立ちだけに、笑みが完全に消えるとかなり怖い。背筋がすっと冷えるような感じがして、わずかに肩を竦めてしまう。


「本当に失礼な方ですね。隣に可愛い婚約者がいるのに、僕が他の女性と踊るような非常識な人間だと仰りたいのですか?」

「そ、そんなことは!」


 珍しく慌てた様子のカロリーナを見て、わたしは呆気にとられる。

 本当にこれは珍しい。

 というより初めて見る光景かもしれない。


「最初に踊る相手は妻や婚約者、特定の相手がいない場合は家族や親族などの親しい人物に限ることはご存じなんですよね?」

「もちろん、常識ですから」

「なら、わかりますね? 婚約者がいる相手に、最初のダンスを自分と踊れというのは、自分と浮気しませんかと公言していることになるんです」


 カロリーナが黙った。


「ですが、大切な婚約者の妹に恥をかかせたくなかったので、わざと遠回しに言ってみたのですが、はっきり言わないと理解出来ないご様子ですので言います」


 オルランドは優雅に微笑んだ。


「僕は婚約者としか踊りません。何よりあなたには全く興味がない……他に相手を探せばいいでしょう」


 黙ったままのカロリーナに、オルランドはさらに続けた。


「そうだ、確かあなたは殿下に熱心にアプローチなさっていると聞きました。心に決めた相手がいるのなら、なおさらこんなことをするべきではないでしょう。では、失礼」


 カロリーナは唖然としたままオルランドを見つめる。それしか出来ない様子だった。すると、彼は満足そうに再び笑みを浮かべるとあらためてわたしの手を引く。


「行こうか、初めて家族以外の女性を同伴して参加出来た夜会なんだ。楽しい思い出もなく終わるなんて虚しいと思わないかい?」

「それはそうですが」

「なら楽しもう、人生で一度きりの夜だよ」


 そんな風に言われたら、はいと答えるしかないではないか。

 わたしは少し戸惑いつつも返事した。


「はい」


 それからは周囲の人々の間に溶け込み、楽団の曲に合わせて踊ったり、他の人々と少しだけ話をしたりした。ほとんどの人がオルランドがバルカザール公爵とはわからず、名乗られると驚いていた。

 

 ただ、わたしは途中で度々突き刺すような視線を感じていた。

 視線の先にあるものが怖くて、そちらを見ることは一切しなかったが、これで終わるような気はしなかった。とはいえ、夜会は穏やかに進み、やがて夜もかなり更けると少しずつ帰っていく人々が現れる。

 それを見て、オルランドが言った。


「僕らもそろそろ帰ろうか?」

「そうですね、皆様も帰り支度なさっていますし」

「じゃあ、行こうか」

「はい」


 わたしは持っていたグラスをテーブルに戻して再びオルランドの腕をとる。そして、外に停めた馬車のある方へ向かった時だった。


「やあ、バルカザール公爵。少し用事があって挨拶しそびれたけれど、婚約したんだってね、おめでとう」

「……ロセンド殿下、ありがとうございます」

「病が治ったという話も聞いた。良かったじゃないか、子供の頃は私より整った容姿で皆にもてはやされていたのに、その病のせいで滅多に王宮へ来ることもなくなってしまったしね」


 柔らかくて甘い声で、突然現れた人物は笑った。


 栗色の髪は目にかかる長さで、目は金に近いヘーゼル。彫像のように整った顔立ちと、決して細身ではないがすらりとした体を、白と金の礼装に包んだ姿は、完全に女性が理想とする王子様像そのものだった。

 その一方で国の歴史や魔術の変遷について調べているらしく、研究肌の人物だ。


 どうやら女性に取り囲まれるのは苦手のようだ。

 

 何があったのかはわからない。


「お久しぶりだね、ワトリング子爵令嬢……確かエルミラだったよね?」

「あ、はい。お久しぶりでございます。ワトリング子爵令嬢、エルミラです」

「ああ、そうだったね。元気そうで良かった……」


 ロセンドは優しい笑みを浮かべて言う。


「たまにしか姿を見かけないから、今日見て驚いたんだよ?」

「あ、ありがとうございます。最近は体調が良くて、自分でも驚いているんです」


 答えつつも、わたしはただ驚いていた。

 そもそもロセンドに認識されているとは全く思っていなかったからだ。なのにどうしてか、彼はわたしがたまにしか集まりに顔を出していないことを知っていた。


 カロリーナが言ったのだろうか?


 いや、違う。

 とても不思議な気分でいると、ロセンドは次にオルランドに声を掛けた。





 

 


 

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