第9話 使いきれる気がしません


 午後は本当に出かける事になった。

 こんなこと自体生まれて初めてなので、なんとなく気後れしたまま馬車に乗り込む。その座席の座り心地があまりにもふかふかで、使われている布地なども高級そうでますますここに座ることに抵抗を覚える。


 しかし、馬車の中から手を差し伸べられたら取らないわけにはいかない。


「あ、ありがとうございます」

「さて、行こうか」

「はい」


 促されるまま座席に腰を下ろすと、オルランドはなぜか隣に座った。てっきり向かいに座るものだとばかり思っていた私は、びっくりして思わず彼の顔を見る。

 すると、彼は言った。


「僕の顔、触ってくれる約束だよね?」

「こ、ここでですか?」

「うんそう、移動しながら触ってもらおうかなと思ってね、だめ?」


 そんな風に言われたら断れないことをわかっていてやっているとしか思えない。私は首を横に振った。


「じゃあお願い」

「は、はい」


 促されるままそっと頬に触れる。

 まだそれほど元に戻った訳ではないけれど、多少皺が増えてきていた。それを見て、一体どうやったらこの人をこんなことから解放出来るのだろうと思う。


 なんにも思いつかないのが悲しかった。

 やがて馬車が動き出す。その間も触れ続けていると、徐々に顔が変化していくのがわかる。本当に、同一人物とは思えないほどの美貌だ。

 見ていると自分とあまりに釣り合わなくて申し訳なくなってくる。


 無言のまま見つめ合うことしばし、やがて馬車が止まる。

 どうやら着いたようだ。

 私は手を引っ込め、小窓から外を見る。目に入ったのは女性用の衣類や小物を扱うお店で、若い娘が店番をしている。


 そういえば、と私は思った。


 公爵家へ来る際に通りがかった町だ。とても栄えているらしく、様々な店が立ち並んでいたのだ。バルカザール公爵領は広く、いくつかの町や村もある。

 大半は農地と山林なので、そこからの収益はかなりのものだ。


 店頭に並ぶのはこれから来る夏向けのもの。


 つい見入っていると、先に馬車を降りたオルランドが手を差し伸べてくれる。ひとりでも降りられるのに、と思いながら手を借りる。

 ふと後ろを見ると、マリセルや体格の良い従僕が別の馬車から降りてくるのが見えた。使用人がこんなについてくるのを見ること自体初めてで、私はただただ目を奪われるばかりだ。


「さて、欲しいものがあったら何でも言ってくれ。金なら気にしなくていいから」

「い、いえっ! そういう訳には……」

「僕がいいと言っているんだ。それに、自分の買い与えたものを君が身に着けているのを見たいし」


 それはどういう趣味なのだろう?

 何だかわけがわからないまま、私はオルランドとマリセルに引きずられるように店に入った。途端にあれもこれも勧められて混乱してしまい、結局全部向こうにまかせてしまうことにする。


 そうして、気が付くと何やら大量のモノが馬車に積み込まれて行くのを呆然と見ていた。こんなにモノがあるのを見るのは人生初かもしれない。


「さて、次は帽子屋かな?」

「そうですね、後は靴、ジュエリーはどうなさいますか?」

「ジュエリーは王都の方がいいものがありそうだから、出向いた際に買うことにしよう。教会に申請もしないといけないからね」

「かしこまりました」


 完全に置いてきぼりにされている。

 だというのに、虚しさや苦痛は無くて、妙なくすぐったさを覚えた。

 あの積まれた荷物は、全て私が使うためのものなのだ。


「待たせたね、さあ、次に行こうか?」

「え? そんな、もう十分です」

「いや、君の持ち物はこれから僕の婚約者として振る舞うのに足りないらしい。だから、ここで揃う物なら全て揃えよう」


 そう言われたらやっぱり嫌とは言えない。

 私は心臓が縮まるような思いをしながら言った。


「は、はい」

「よし」


 返事をすると嬉しそうに笑う。

 私は色々な感情に戸惑いながら、オルランドについて別の店に向かった。



  ✦ ✦ ✦



 公爵邸に戻る頃にはマリセルたちの乗って来た馬車は荷物でいっぱいになっていた。正直、あまりにも現実感が薄くて忘れていたが、それら全てが私のために買われたのだということに、恐怖すら覚える。


 玄関ホールで困惑したまま立ち尽くしていると、オルランドが訊ねてきた。


「中へ入らないのかい?」

「あ、いえ、入ります……けど」

「どうかした?」


 私は少し迷ってから口にした。


「あれほどのもの、使い切れる気がしないのですが」

「使い切る?」

「はい、少なくとも、壊れるか敗れるかして、それでも直して使ってきましたし、それでもだめならそこでようやく諦めて来たので……」


 いくらカロリーナがどんどんお下がりをこちらへ回すからといっても、何が来るのかわからなかった。特に流行に左右されないものはまずお下がりさえないから、直して直して使いまわして来たのだ。

 けれど、こんなにあったら次を使う前にそれ自体がダメになりそうだった。


「そうだったのか、でももうそんなこと考えなくていいんだよ。流行も変わるから、しばらく使ったら新しいものを買えばいい。気に入ったのなら職人を呼んで直させればもっと長く持つよ」

「そんな、お金のむだでは?」

「君に掛けるお金は無駄と思っていないから」


 私は眩暈がして倒れそうだった。

 今までと感覚が真逆すぎてついていけない。公爵家とはとんでもないものだと思った。道理でみな狙う訳だ。


「あの、私は今までこれほどの買い物をしたことがなくて、その、これ本当に必要最低限なのですか?」

「うん、そうだね」


 もう倒れたい。

 でも倒れている訳にはいかない。

 もしも珍しく妹が奪い取りに来なければ、私はここで公爵夫人として暮らしていくのだ。貴族の中での最高位の人間の妻だ。

 しっかりしないと。

 膝から崩れ落ちそうになるのをこらえて足を踏ん張り、私は言った。



 

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