第8話 治ってなかった


 それから、オルランドは私の側にずっといた。

 数日間滞在するための準備しかしてこなかったことをマリセルに指摘されると、ここでの生活に必要となるものを買い集めることになったのだが、なぜかずっといる。


「あのぅ、オルランド様」

「何かな?」

「私の気のせいでないならですが、その、ずっとついていて下さらなくても大丈夫ですから。お仕事だっておありになるでしょうし、多少の事ならひとりでも出来ます。マリセルもいますし」


 とは言うものの、貴族にはそれほどやることがある訳ではない。

 ただ、公爵ともなると国政に関わったり、しなくとも領地の管理や男性同士で親睦を深めたり、交友を広げたり、趣味に費やしたりとやることはある。

 これまでのオルランドを知らないのではっきりという事など出来ないが、彼にだって何かしらやらなければならないことや、やりたいことはあるはず。

 そう思って聞いたのだが……。


「君は、僕が側にいたら何か困ることでもあるの?」

「いえ、全く」

「じゃあ問題ないね。僕はこうして君を見ていたいんだ」


 いや、それが一番落ち着かないんです…。

 などと言い返すことも出来ずにいると、仕立て屋がやってきた。店主とお針子たちは色も種類も様々な布地をもってやって来たようで、荷物がとても多い。

 その様子を私はただただ呆気にとられて見ていた。

 そもそも、仕立て屋を屋敷に呼ぶこと自体が初めてだ。

 カロリーナですらお店に仕立てに行っていた。流石は公爵家と思いながら目の前に並べられていく布地を見る。

 ふと視線をオルランドの方へ向けると、完全に目が合う。


 どうやら本当に見ているつもりのようだ。

 そんなに見られたことはないし、見られたとしても侮蔑を含んだものばかりでこんな視線は知らない。

 居心地が悪くてつい視線を逸らしてしまう。


 すると、仕立て屋の女主人が色々と訊ねてくるのでそれに応えていると、やがて採寸しましょうと言われた。


「あの、ここで?」


 オルランドを見れば彼は苦笑した。


「それはほら、隣の部屋に行ってすればいいよ」

「あ、そうですね」


 どうやら隣の部屋に行くのは構わないらしい。私はほっとしてお針子と隣へ行き、採寸される。すると、まだ私より若いお針子の少女が笑顔で言った。


「それにしても、お嬢様はとてもお綺麗な方ですね。これほど綺麗な方のドレスを仕立てられるのは嬉しいです」

「え? そう、なの?」

「はい」


 お世辞とわかっていても、とてもくすぐったい気持ちになる。今までほとんど聞いたことのない言葉だ。そういった賞賛の言葉は今まで全てカロリーナに向けられて来たから、それが自分に向けられていることに対する違和感がひどい。

 それでも、お針子の少女の嬉しそうな顔を見ていると、自然と言っていた。


「嬉しいわ、ありがとう」

「いいえ、本当のことですよ」


 それには返せず、黙って採寸される。

 やがて使う布を決めたり、大体の型を決めたりして仕立て屋たちは帰っていった。完成し次第届けに来ると言う。

 全て終わると昼食の時間になっていた。


 執事が食事の支度が出来たと伝えて来たので、階下に向かう。ワトリング家の屋敷とは比べ物にならないほど美しい調度品に囲まれた小さな部屋は、軽食などを摂るための場所だった。

 テーブルには鮮やかな生花が飾れられ、掛けられたクロスには染みひとつない。

 柔らかいグリーンの壁紙に、白い家具が映えていた。

 テーブルにはすでに食事があり、私は席につく。

 案の定オルランドは向かいに同席。

 正直落ち着かないが、私はふとオルランドの顔が再び変化していることに気づく。


「あの、オルランド様、その、お顔が何だかまた老けて来ているような気がするのですが?」


 そう言うと、オルランドは目を瞬かせ、自身の頬に触れた。

 すると、彼の顔が曇る。


「これは……」

「もしかしたら、完全に治っていないのでしょうか?」

「そうかもしれない」


 少し切なそうにため息をつくオルランド。


「つまり、完全に元に戻るまでの間、毎日のように君に触れてもらわなければならなくなったと、そういうことになるのかな」

「え?」

「しばらく触れなかったら元に戻ってしまった、ということは、また戻すには再び触れてもらうしかない。違うかな?」


 それはそうだ。

 なんの異論も出ない。


「一晩経ったら戻るなら、毎日、そう二回くらい私の顔に触れてくれればいいと思うが、構わないかな?」


 私は一瞬返答に詰まる。

 これは、頷くしかない問いだということはわかっていたが、羞恥心が勝って躊躇ってしまう。


「……は、はい」


 絞り出すように答えると、オルランドは柔らかく微笑んだ。また少し老けて来ているのに、どうしようもないほど綺麗だと思ってしまう。私は自分に言い聞かせた。

 なんとしてでも慣れないと先が思いやられる。


「じゃあ食後にお願いしたいな? とはいえ、君がどうしても嫌だというなら無理強いする気はないけれど」

「いえそんな! 私がお役に立つのなら、嬉しいことですから」


 ずっと役立たずと言われて暮らして来たから、必要とされるのは素直に嬉しい。

 

「ありがとう。じゃあ食べてしまおう、午後は買い物に行きたいからね」

「え? だって、さっき仕立て屋さんに来ていただきましたし……」

「失礼かと思ったが、メイドに君の荷物について聞いた。あまりにも手持ちが少ない。使用人を君の家にやって荷物を運ばせることも考えたが、どうせならプレゼントしたくてね」


 何やらとても楽しそうに言うオルランド。


「で、でも、まだ結婚もしていないのにそこまでして頂くのは……」

「僕がそうしたいんだ。それとも、嫌かな?」

「いえそんなことは」


 確かに手持ちが少ないのは事実だ。

 というより、持ち物自体が少ない。私は滅多に物を買ってはもらえなかった。薬や診療費で手いっぱいだと言われれば何も言えない。

 何より、もの自体がない訳ではないのだ。

 とはいえ、大半はカロリーナのお下がりだ。それでどうしても足りないぶんだけお願いする。それすら嫌そうな顔をされるので、本当にどうしようもなくなるまでは我慢し続けて来た。

 とはいえ、カロリーナがどんどん買い込むので、困ることはあまり無かったのだが……。


「なら行こう、君はとても可愛いから、似合う物を選ぶのは楽しそうだ」

「は、はい」


 そんな風に言われては断れない。

 私は心のどこかで申し訳なさに苛まれながら返事した。

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