第6話 本来の美貌

「あ、あの! オルランド様」

「何かな?」

「その、言いにくいのですが、昨日とお顔がその……違うような気がするのですが」


 突然そんな言葉を投げられたオルランドは一瞬何を言われたのかわからなかったのかきょとんとしている。そうこうするうちにも変化は続いており、今はもうかなり若くなっていた。


「鏡、見ていただけませんか」


 未だに手を掴まれて頬に触れさせられたままなので、訴えるしか方法がない。本当は手鏡を持って来たかったくらいだ。


「何だかわからないけど、どうしてもかい?」

「はい。お嫌だと思うのですが、その、私の目の錯覚かどうか確かめたくて」

「……わかった」


 そう言うと、彼はようやく手を離してくれた。それから鏡台へ向かうと掛けられた布を手でのけ、鏡を見る。


「え?」


 一拍置いてから、驚愕したような声が聞こえた。

 私は少しほっとしつつ訊ねた。

 

「変わっていますよね? お顔」

「どうして、今まで何をやってもどうにもならなかったのに」


 呆然とした声だった。

 それはそうだろう。

 普通に考えて、彼は二十七歳の男性なのだ。きっと何か理由があって老人のような容貌になってしまったはずなのである。

 公爵である彼が何も手立てを講じなかったなんてことはまずありえない。


 だから、私は病気か何かだと思っていた。


 それなのにこんな風に突然年齢相応の顔になれば別の理由を考える。

 例えばそう、魔術―――。


「もしかして、君が何かした?」

「いえ、私は特に何も」


 オルランドはしばらく鏡と見つめあう。沈黙が室内を満たしていて何とも居心地が悪いが、やがて彼はゆるりとこちらを向く。

 私はそのあまりの変わりように絶句した。


 ―――な、何て綺麗な顔……。


 これが少し前まで老人だった人と同一人物なのかと思うほど、左右対称に整った目鼻立ち。眦の下がった菫色の切れ長な瞳。さらに元から艶やかだった、醜い顔を隠すために長く伸ばした黒髪が相まって、ただならぬ色気が漂っている。

 全てが別人だ。

 正直、隣に立つのが気後れして衣装箪笥に引きこもりたくなるような美貌だった。

 その美貌の持ち主はあごの辺りに手を当てて、私を凝視しながら呟く。


「いや、君が来てからだ。今までと違うことといえばそれしかない」

「でも、今までだって夜会で一緒に過ごしましたし」

「そうか」


 彼は何かに気づいたように言うと、再びこちらへやってきてまたしても右手首を掴んだ。そして両手で私の右手を撫でたり、ひっくり返したり、甲をさすったりする。やっている方は真剣らしいが、やられている方としては恥ずかしくてたまったものではない。


「ああ、あの、私の手が何か?」

「今まで一度もこの顔に触れた女性はいないと言ったことは覚えているかい?」

「はい」

「男性の医師と魔術師以外、この顔に触れたのは君だけだ」


 つまり、私が顔を触ったから年齢相応の顔に戻った、と言いたいらしい。


「でも、昨日は少し触れただけでしたし、今のは私から触れた訳では」

「けど、嫌がるどころかずっとそのまま触れていてくれただろう?」

「それは、嫌ではなかったので」


 心なしか、耳に心地の良い低い声がより艶めいてきたように思えてしまう。オルランドの声は出会った時からとても好きだった。美しい目の色と同じくらい魅力的だと思っていただけに、余計心臓に悪いことになっている。


「きっとそれが重要だったのかもしれない」


 ずっと私の手を弄びながらそんなことを言うオルランド。

 お願いだから放して欲しいと心の中で激しく動揺していると、何かが落ちて割れる音がした。


「だ、旦那様! その御姿は……」


 そこにいたのは公爵家の執事、確かセブリアンと呼ばれていた初老の男性だ。後ろにはマリセルがいて、口を開けたまま仰天したような顔をしている。


「セブリアン、どうやら呪いが解けたようだよ」

「ああ、旦那様……良かった」

「ですが、なぜ」


 マリセルが手に食事の載ったトレーを持ったまま言う。


「わからないが、エルミラに触れられた途端に戻ったんだ」

「エルミラ様が? でも、魔術師の一族ではないですよね」

「あ、はい。違います」


 返事をしつつ、魔術という言葉を聞いて、やはり使用人たちもそれを疑っていたのだということがわかった。


 病でないのなら残すのは魔術だけだからだ。


 しかし、ひとえに魔術といっても誰にでも使える訳ではなく、古から続く血族が存在しており、彼らにしか使えないのである。詳しいことは知らないが、血族によって得意とする術が違っているらしく、この国のお抱え魔術師のアグアド一族が得意としていたのは水を司る魔術だったように思う。


 絶対数の少ない彼らはそれぞれの国のお抱えになっていて、貴族の称号を与えられていることが多い。

 だからこその質問だった。


「となると、術を解くカギになる行動をとったということになるのかな?」

「そうとしか考えられません」


 セブリアンがそう答えると、その場の全員の視線が私に突き刺さる。

 

「わ、私は本当に何も」

「でもやっぱり君がこの顔に触れてくれたこと以外に変わったことはないんだ」

「そうですね、あれ以来旦那様は誰にもお顔を触らせようとしませんでしたし」


 セブリアンが少し辛そうに言う。

 あれ以来、とはいつ以来なのかわからないが、彼があの皺だらけの顔のせいでどれほどの苦しみを味わってきたのか、何を失い、何を諦めてきたのか、考えるだけで胸が苦しくなってくる。


「何はともあれ、戻ったんだ。喜ばしいことだよ」

「そうですね。今夜はお祝いしなければ、調理場に伝えてて来ます。ああ、そうだ、せっかくお持ちした食事が……もう一度お持ちします!」

「あ、片づけは私がやっておきます」


 マリセルが慌てるセブリアンに言うと、彼は感謝の言葉を述べて出て行った。マリセルは散らばったパンやベーコンを要領よく片づけていく。

 液体のものはマリセルが持っていたらしく、敷かれた綺麗な絨毯はそれほど汚れていない。私はその様子を見ながら、どうしても意識してしまう自分に落ち着けと言い聞かせた。


 何しろ、自分には全く縁のなかった美しい男性が後ろにいるのだ。

 しかも婚約は済んだのにさらに結婚しようという。


 そこまで考えて、私はふと今までの習慣で嫌なことに思い至った。

 

 至ってしまった。


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