第4話 選ばれたのは
「あの、気になっていたのですが、婚約の話を受けたのは私の妹なのですよね? でも、今のお話だとまるで私に来たお話のように思えるのですが?」
「そうだよ? あれ、変だな、僕は君と婚約したいと伝えたはずなんだけど」
しばしの間見つめあうと、公爵は困ったように笑った。
「まあ、それでも来たのが君で良かった。もしも別の女性が来たら困っていたよ。だって僕は君に婚約を申し込むつもりだったんだから」
「そ、そうでしたか」
どうやらおばが勘違いしたようだ。
それも仕方がないのかもしれない。私にそういう話が持ち上がることすら想像していなかったのだ。いや、もしかしたら私のことを忘れている可能性すらある。
「そういう君こそ良かったのかい? 嫌なら言ってくれても良かったんだよ?」
「いえ、私はあの家のお荷物なので、きっと断る権利はありません」
そういうと、オルランドは不思議そうに聞いてきた。
「それはどういう……?」
「そのままの意味です。でもあの夜、公爵様はこんな私のお願いを聞いてくださいました。だから、嫌なんてことはありません」
貴族の男性の数は少ない。
だから、夜会や舞踏会ではいつも引っ張りだこだ。
それなのに、オルランドは珍しく誰とも踊ることもなく、夜なのに明るく保たれた室内でダンスや談笑する人々を、お酒を傾けつつ暗い目で眺めていた。
そのうえ彼は髪を長く伸ばしていて、ほとんど顔の半分が見えない上、仮面までつけていたから表情はうかがえなかったけれど、帰りたくて仕方なさそうだった。
もしかしたらダンス自体したくないのかもしれないと考えた。
けれど、それでも、どうしても、ほんの少しでいいから、わずかの時間でも良いからあの輪に加わりたかったのだ。
だから、お願いした。
たった一曲でいいから、ダンスの相手をしてくれないか、と……。
「それなら、良かった」
「はい。それに私、公爵様のその目が好きなんです、とても綺麗なんですよね」
そう言うと、公爵は困ったように言葉に詰まった。
何となく耳が赤いから照れているらしい。そんな風にしていれば、やはりまだ若い男性なのだと思えてくる。
「そんなこと、言われたのは初めてだ」
「え? そうなんですか?」
意外だ。
公爵ともなれば、そのくらい誰かが言っているだろうと勝手に思っていた。
「そもそも、こんなに皺だらけの顔をじっくり見る人間はいないよ」
「おっしゃるほどひどくないと思うのですが。それに、一番醜悪なのは誰かを貶めようとしている時の人の顔だと思うので」
つい思っていることを口に出した。
それからあっと口に手を当てる。こういうことを言うと、いつもお前は考え方がおかしい、変な奴だと言われてしまう。使用人たちでさえ、口にはしないがそう思っているのが伝わってくるのだ。
もしかしたら公爵にもそう思われたかもしれない。私はどうしようと後悔しながら彼の顔を見ようとして、それより先に頬に触れられて言葉に詰まる。
「あ、あの……変なこと言ってしまいました。済みません」
「謝るようなことは言われていないよ。そうか、君はそういう人か」
「ご、ごめんなさい」
すぐに謝罪を口にすれば、公爵の顔が悲しそうに歪む。それがあまりに辛そうに見えて、私は自分より頭一つは高い公爵の顔に指先を伸ばした。避けられるかと思ったが、公爵は動かなかった。指先が、皺のある頬に触れる。
「でも、本当に公爵様の目は綺麗だと思っています。信じて下さい」
そう言うと、公爵はふっと笑った。
「わかった。信じるよ」
「良かったです」
「さて、あちらへ行こうか、君に見せたいものがある」
「はい、公爵様」
そう答えると、彼は少し首を傾げてから言った。
「オルランドと呼んで欲しいな。僕たちはもう婚約したのだから」
「え、でも」
「私もエルミラと呼ぶから」
そんな風に言われては断れない。私は躊躇いながらその名を口にする。
「わ、わかりました。ええと、その、お、オルランド様」
「う~ん、まだ堅苦しいけれど、まあいいか」
公爵、オルランドは少し残念そうだったものの、敬称なしで呼ぶのはさすがにまだ無理だった。そもそも、何回か夜会で話をしたくらいなのだ。
それから、オルランドは私を連れて邸の中を案内してくれた。
しばらく経つともう夜になっていて、父と母も加わって晩餐となる。並べられた食事は豪華で、肉も魚もデザートもあったが緊張で味は良くわからなかった。
その日は客間に案内されて休むことになった。
自室以外で休むのはかなり久しぶりだ。
案内された部屋へ入ると、とても広くて調度も良いものが並んでいる。これはとても良い部屋だとわかった。恐らくは賓客用なのだろう。
「あの、こんないい部屋を使わせてもらっても良いのですか?」
「お嬢様は旦那様の婚約者です。客間で一番良い部屋を案内するようにといいつかっております」
「そ、そうなの」
きびきびと答えてくれるメイドはまだ若い。私よりは年上だろうが、それでも綺麗な身なりをしていて、受け答えも溌剌としている。
濃い茶色の髪と明るい褐色の目をした造作の整った背の高い女性で、流石は公爵家のメイドだなぁと思っていると、部屋に入るように促された。
「私はマリセル・ブレネスと申します。ここにおられる間は私がルシア様のお世話を担当させて頂きます」
「そ、そう。よろしくお願いね」
「はい」
マリセルはそう返事するとすぐに着替えさせてくれる。動きに無駄がなさすぎて私はなされるままだ。
「これ、もしかしてお一人で着られていたのですか?」
「え? まあ、誰も手伝えるひとがいないの」
「……そうですか」
マリセルは何か言いたげな様子で脱がせたドレスをじっと見つめているものの、それ以上何かを訊ねてくることは無く、退室していった。
私は部屋にひとりきりになり、すぐに寝台へ行く。
「うわぁ、凄いわねこのベッド」
いつも自分が寝ているベッドを思い返した。一応、体調を崩しがちな娘を哀れんだのか、ベッドにはお金を掛けてもらったのに、何だかふかふか具合も掛かっている布地の豪奢さも、触り心地も別物だ。
私はそっと乗ってみて、ここで眠っていいということにゆっくりと喜びがこみあげてくる。
今こんな寝具に包まれていられることが信じられない。
あのわずかな邂逅が始まりだ。
ずっと胸に秘めていた小さな望みを、彼に、オルランドにぶつけた。受け入れてもらえるとは思わなかった。
それでも、他の人たちより大き目な仮面をかぶり、壁際で、花瓶の豪奢な花に隠れるように佇んでいた様子を見て、彼ならわたしの願いを聞いてくれるかもと思っただけだった。
実際、彼は私のお願いを聞いてくれた。
仮面ではどうやっても隠し切れない深い皺を見ても、私はなぜか何も思わなかった。夜会で、舞踏会で踊れることが嬉しくてそんなことはどうでも良かった。
そんな私なのに、カロリーナではなく私を婚約者にするという。
「どうしてなのかな」
呟いて、私はこれまでのことを思い返した。
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