第3話 また会えましたね


 公爵は所作も綺麗だ。


 見た目は置いておくとしても目の色が綺麗なバイオレットブルー、しかも柔らかい声があまりにも耳に心地よくて、好感を抱いてはいたのだ。こんな人のもとへ行けたら良いと思っていたのに、もう台無しだ。


 なぜなら、彼が望んだのはカロリーナなのだ。

 しかし、カロリーナが彼の元へ嫁ぐことはない。

 別人が行けば誰でも怒るに決まっている。


 憂鬱な気分のまま馬車を降りた。


 今日は一応ちゃんとしたドレスを着てきている。普段は部屋着で過ごしてばかりなので、私のドレスは全てカロリーナがいらなくなったドレスだ。彼女は少しでも飽きればどんどん捨ててしまうので、母がもったいないからとお針子に頼んで私のサイズに手直しさせたものだった。


 正直、あまり似合っているとはいえない淡い緑色のドレスには豪華にレースがふんだんに使われている。落ち着かないにも程があるが、これも仕方がない。


 色々諦めながら両親とともに玄関ホールへ向かう。


 すでに使用人たちが待ち構えていた。

 ただ、想像より数が少ない気がする。

 ワトリング子爵家より少ないくらいだ。これほどの規模の公爵家の邸にしてはあまりに少なかった。


 どうしてだろうと思いながらも彼らの顔を見てみると、目が合う。何となく表情が明るいような気がして、不思議に思いつつ案内の執事についていく。以前来たときも思ったが、本当に歴史を感じる館だ。飾られた絵も素晴らしいし、調度品も派手ではないのによく見ると手の込んだ美しいものばかり。


 場違い感がひどすぎてめまいを起こしそうになる。

 しかし、今日は倒れる訳にはいかない。


 またあんな言葉を聞きたくない。


 ―――お前などカロリーナの半分の価値もないな。ただでさえ器量も良くないのに、せめて兄や妹の邪魔だけはするな。


 そんなことを呆れたように言われる。

 妹が生まれて、少しずつその美貌が際立つようになるにつれて言われることが増えた言葉。私はそれを聞くのが嫌で嫌で仕方なかった。


 私は自分の前を歩くふたりの背中を見て不安になる。


 しかし、そんなことを考えている間に応接間に着いてしまう。扉が開けられ、中から声がした。私たちは中へと入るように言われ、静かに従う。

 すると、すでに奥の方の椅子に掛けた公爵がいた。


「ああ、わざわざいらして頂いて、ありがとうございます」


 彼は低い、どこか甘さすら感じる穏やかな声で言った。


「いいえ、娘にとって大事な話ですから」

「そうですよ。ほら、早くこちらへ来なさい」


 言われるままに公爵の前に立つ。別人が来たと思われているのだと思い、顔を見ることが出来ない。


「そんなに緊張しなくてもいいんだ。突然で驚かせてしまったと思うが、いい加減私も身を固めないと周りがうるさくてね」

「ええ、そうでしょうね。公爵様ともなれば、独身のままではいられませんもの」


 母がほほほ、と笑い声を上げる。

 公爵はそれには答えず訊ねてきた。


「ところで、こうして来てくれたということは、この話を進めても良いということですか?」

「もちろんです。娘も乗り気で、まあ、ちょっと緊張しているようですが。済みません、この子はいつもこうで」

「そうですか。ああそうだ、何なら、今日はここへ泊っていけばいいでしょう。顔色が良くないようですから、このまま帰すのは心配ですしね」


 公爵はさも良い事を思いついたかのように突然そんな提案をしてきた。

 すると父は慌てて私を見る。

 

「すみません、この子はあまり体が強くなくて……ほら、お前も謝りなさい」

「あ、も、申し訳ありません」

「いいえ、出来ればこの後ふたりきりで話をしたいと思っていたので、そう提案したまでです。無理強いはしませんが」


 その言葉に、ついに私は彼の顔を見る。

 公爵は宝石のような菫色の瞳で、全てを見透かすように私を見ていた。

 視線の強さに心臓が跳ねる。しかし父はそんな私など一切気に掛けることもなく喜びの声をあげた。


「おお、そういう事でしたか。ならばお言葉に甘えさせて頂くとします」

「良かった。婚約の書類はもう用意してあるので、すぐにでも誓約を交わせます。よろしければサインを頂いても?」

「はい、もちろん! ええと……」


 父が視線を泳がせると、公爵家の執事らしき人物が紙を何枚か持ってきた。それをざっと見てから、父は私に確認もせずさっさと署名した。

 ペンの走る音を聞きながら、私は自分の人生の重大事案があまりにあっさりと済んでしまったことに何の反応も出来ずにいた。


 私はほとんど喋ってもいないのに、公爵と父の簡単なやり取りで婚約が決まってしまった。もちろん、婚約は結婚と違って解消するのにそこまで大変ではない。だが、様々な制約がかかることに違いは無い。

 まあ、ほとんど部屋にいる私にはあまり関係はないのかもしれないが。

 それでも、順調に時が過ぎれば結婚に至るのである。


 本当にいいのだろうかと思いながら公爵を見る。

 やはり彼は二十七歳とは思えないくらい老けた顔だが、こちらを見つめる顔は真摯そのものだった。

 やがて父が署名を終える。執事から父の署名がされた紙を受け取って内容を確認すると、公爵は言った。


「では、お二人を今夜の使っていただく部屋に案内しなさい」

「かしこまりました」

「それではエルミラ嬢、あなたはこちらへ」


 公爵は椅子から立ち上がると私に手を差し出してきた。白い汚れひとつない手袋に包まれた形の良い手が差し出されているのを私は呆然と見る。


「ほら、ぐずぐずしないで行きなさい。まったく、容量が悪いわね」


 母が小声で言いながら私の背を押した。

 私は慌てて公爵の近くまで行くと、差し出された手を取る。彼はそのまま私を応接間から連れ出すと、ゆっくりとした歩調で廊下を進み始めた。

 

 私はといえば、この後人違いを追求されるのではと考えて、耳に神経を集中させてしまう。少しして、公爵が言った。


「また会えましたね」

「え?」

「以前お会いした時に、必ずまた会いましょうと言ってくれましたよね」


 そういえば、言ったかもしれない。

 何しろ私などと踊ってくれる数少ない貴族男性なのだ。

 夜会や舞踏会で、また会えたら嬉しいと思ったので素直にそう言ったのである。


「まあ、こういう形にはなってしまいましたが」

「それは、驚きました」

「はは、僕も会いたかったのは本当なのですよ。ほら、僕ってこんな見た目なので誰も寄って来てくれないんですよ、男性ですら逃げていきます」


 にこにこしながら言う公爵。

 私は話を聞きながら、先ほどから渦巻いて消えない疑念を口にした。


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