第2話 公爵邸へ


 だから、可能な限りこの妹の頼みは聞かなければならない。

 また役立たずと言われるのは嫌だった。


「まあ……会うだけなら、でも、体調の良い時にしたいわ」

「もちろん! その程度の融通ならきくわよ。お母様に相談しなきゃ、これでパベル様の誕生会に行けるわ! あ、でもおばさまには内緒にしておかなきゃ」


 パベル様、とは今妹が熱を上げている地主の息子のことだ。恐ろしく顔が良く、羽振りも良いらしい。貴族ではないが、お金が有り余っているような家だ。当然女性たちも大勢狙っているが、その中でも貴族の父を持ち、群を抜くほどの美貌を持つカロリーナがほとんど彼を独占している。


 彼の方も美しく身分の高いカロリーナは結婚相手として申し分ないから優遇しているのだろう。


 私からすれば、公爵からの縁談には足元も及ばないが、妹にとってはそれは大切なことではないらしい。

 何より、彼女が本気で狙っているのはロセンド殿下なのだ。

 パベル氏は自分を飾る何かにしか考えていないのだろう。


 実際、ロセンド殿下とカロリーナが共に過ごすところを見たことがある。彼女が何を考え、求めているのか、私などにはわからない。


 それでも、この家ではカロリーナは絶対だった。


 そう、この妹の機嫌さえ損ねなければ静かに暮らせるのだ。 


「ありがとうお姉さま! 良かったわ」

「そうね、具合が悪くならないように気を付けるわ」

「そうしてね! メイドにも言っておくから。ああ、次はどんなドレスがいいかしら、きっと華やかな方がいいわよね」

「ええ、きっと」


 余計なことは言わない。

 私は色々わきあがる思いを飲み込んだ。


 そうして、勝手に話は進む。

 カロリーナはその日の夜すぐに両親に提案したのだ。

 しかし、そんなに簡単に相手を変えていいのだろうかと思っていたのだが、話は思ったより早く進んだ。

 進んでしまった。


 ワトリング子爵家としても、公爵家との縁談を蹴るのは手痛いことだ。だから、父には感謝された。それは久しぶりの事だった。

 母にも珍しく褒められた。

 珍しく姉らしいことをしたといってくれたくらいだ。

 正直に言えば少し気持ち悪いと思ってしまったのだが、たった一週間で、私はバルカザール公爵と会うことになってしまった。


 ここのところ暖かい日が続いていて体調も良かったから、今のうちにと両親が急いだらしい。どうやらカロリーナの散財が激しく、私の医療費を捻出するのが難しい状態だと執事がこぼしていたから、これ幸いと飛びついたのだ。

 何より相手は公爵。

 うまく縁談がまとまればワトリング子爵家としても鼻が高い。

 相手が社交界に滅多に顔を出さないせいで亡霊扱いの私であっても、だ。


 馬車に揺られながら、以前に会ったバルカザール公爵を思い返した。

 以前、体調の良い時に参加することの出来た夜会で、彼と一度だけ踊ったことがあるのだ。

 その時、バルカザール公爵は壁の花になってしまっている令嬢たちに交じり、ひとりで踊る男女を眺めていた。


 私はといえば、せっかく出られた夜会なのに、男性は皆カロリーナに群がっていてたったの一回も踊ることも出来ずにいたのだ。

 せめて少しは楽しい夜を過ごしたかったな、と思った時に壁の花と化している男性がいたので、つい声を掛けてしまった。

 なぜなら、周りの令嬢たちが言うほど彼の容姿に嫌悪感も感じていなかったし、何より暇そうだったので、無理を承知でダンスしてもらえないかと頼んだ。

 彼は最初こそひたすら驚いていて戸惑って、照れている様子だったのだが、礼儀正しく相手をしてくれた。


 その時の困惑した紫の目が綺麗で、今でも忘れられない夜だ。


 とても楽しかった。


 少し周りを見ればぎょっとしている面々がいたような気もするのだが、私からすれば丁寧に相手をしてもらえたことが嬉しくて、どうして皆この人を毛嫌いするのかが理解出来なかったくらいだった。

 今でもそれは変わらない。


「でも、あの方が望んだのはカロリーナなのよね」


 呟いて、突然に虚しさを覚えた。

 やはり美しいというのはそれだけで人間を惹きつけるのだと思い知らされる。それを再び突き付けられるのは苦しいけれど、あの家で生きるにはカロリーナに逆らうのは得策ではない。

 憂鬱な気分のまま、バルカザール公爵家へ向かう。

 もう一台の馬車には父と母もいる。

 何としてでもこの婚約をまとめたいらしい。私は考えるのを放棄した。


 やがて馬車はバルカザール公爵領へ入り、町や村、農地を経て、広大な庭園を有する公爵邸へ到着する。

 私はその威容に思わず目を奪われた。

 元は蜂蜜色の石を積み上げて建造された城だったところに、新しい様式を用いて増築された建物が併設しているようなのだが、ちぐはぐな感じが全くない。

 高名な建築家に依頼したという話を耳にしたというのは本当のようだ。


 ただ、古びた城館は変色しており、広大な庭園は手入れが行き届いていないのか荒れている様子で、どことなく不気味ささえ漂う。 


 私は少しの間その建物を眺めた。


「エルミラ、こちらへ来なさい」

「あ、はい」


 ぼうっと見とれていると、父に叱責されてそちらへ急ぐ。

 公爵邸の玄関ポーチを抜け、中へ入ると広大なホールが広がっている。すぐに使用人に出迎えられ、私は気まずくなりながら案内のまま進む。


 ここへは一度来たことがある。


 バルカザール公爵家の当主がオルランドに決まった時のお披露目会だった。実は彼は次男だ。本来ならば長男が継ぐはずだった爵位なのだが、彼の兄は軍に所属しており、運悪く戦死してしまったのだ。

 そのため彼が公爵を継ぐことになり、急遽お披露目会が開催されたらしい。

 彼の兄は勇壮な美男子で、女性にも大変人気があったから、ひどい老け顔の彼を見た令嬢たちが卒倒したり帰ってしまったりしたとか。


 その話を妹から聞いていたので当初はどれだけひどいかと思ったのだが、個人的には普通だなと思った。そんなことより、社交界デビュー以降ずっと誰にも相手をしてもらえなかった私のダンスの相手をしてくれたのが嬉しかったのだ。

 

 

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