第9話 社會

 走り続けて、そろそろ日が沈んできた。空が赤く染まる。変な世界だけど、夕焼けの景色は変わらないみたいだ。

 海のように広がっていた一面の草原に、浮かぶ島のように黒い石柱が見え始める。そして、不意に何かの幕を通り過ぎたような不思議な感触があった。


「ここまでこれば安全です、老士せんせい


 馬の脚が少し緩んだ。羚羊が声を掛けてくる。


「ご覧ください」


 馬はいつの間にか踏み固められた小道を歩いていて、進む先には所々が木に覆われた奇妙な形の岩の塔のようなものがいつのまにか立っていた。

 そして、岩の柱の向こう、羚羊が指さす先には小さな村がある。


 広々とした畑と田んぼ。馬や牛らしきものが歩いていて人影も見えた。

 その向こうには固まるように立つ青っぽい瓦葺の家々。

 そろそろ暗くなってきているから、明かりが灯り始めているのが分かった……でも、さっきまでは一面の平原だったと思うんだけど。


◆ 祁 祁 祁 ◆


 ゆっくりとした足取りで馬が畑や田んぼの間を縫う道を通って、そのまま村に入った。

 小さな家に囲まれた広場のようなところで馬が止まって、羚羊がひらりと馬を飛び降りる。


「こちらに足を」


 乗るときと同じように手を組んでくれて、それに足を乗せてどうにか馬から降りた。

 ずっと馬の上の高い位置で揺らされてきたから、いつも通りの視点の高さと、揺れない固い地面はとても落ち着く。


 周りを見回すと、木造りの灯篭がそこここに立っていて、広場の中央には中華街で見かけるような東屋のようなものがあった。

 暗くなってきたけど、赤っぽい布を掛けた灯篭の明かりが結構明るいし、家と家の間に渡された紐からつるされた提灯が頭上から照らしてくれている。

 なんとなく台北の夜市に来たような感じだ。


 広場には人はいないけど、明らかに視線を感じる。それにひそひそと何かをささやく声。 

 連れてこられたものの、此処がどこで、何のために来て、周りにいるのが誰なのか、全然分からないことは変わりない。

 なんというかとても居心地が悪い。


「お疲れのところ申し訳ありませんが……」


 改めてみると羚羊の体には無数の穴が開いていて、気付かなかったけど服のあちこちに切り傷がある。


「大丈夫?」

「機能に支障はありません。ご心配頂くなら、次はもう少し適切な判断をお願いします」


 表情を変えずにズバッと羚羊が言う。

 適切な判断って……あの撃たれたときのことを言っているんだろうか


 ……適切にって言ってもそれをあたしに求められても、いくらなんでも無理だと思う。

 むしろあそこで岩の壁を立てて追撃を断ち切れたことをほめてほしいくらいだ。


「では、こちらへ」


 ちょっと抗議する意味で無言になってみたけど。

 あまりその辺の空気を読まない感じの羚羊が広場に面した大きめの建物を指さした。 



◆ 祁 祁 祁 ◆



 門をくぐると、大きな2階建ての建物があった。

 くすんだ感じの赤色の柱にしっかりした石造りの壁。庇からは等間隔に灯篭が釣るされている。結構立派だ。


 羚羊が先に立って、彫刻を施された観音開きの戸を開ける。部屋の中も天井から明かりがつるされていて、それなりに明るい。

 広めの部屋には大きめのテーブルが置かれていて、テーブルの向こうには二人の人がいた。


「お連れしました」


 羚羊がいうと、男の人が満足げに頷く。

 手で合図を送ると、羚羊が頭を下げて部屋を出て行ってしまった。なんか取り残されて知らない人と同じ空間にいるっていうのはかなり心細い。


 その人がこっちを見る。年のころは50歳くらいだろうか。

 あごひげをはやして、白髪が混ざった長い髪をオールバックにしてうしろで縛っている。髭が似合う紳士って感じだけど、疲れたような表情が妙に印象的だった。


 ワンピースのような白い服に黒い帯を締めて、上には黒のガウンのようなものを羽織っている。

 白い服には太極模様っぽい丸い文様が染められていた。


「遠いところからよくぞ参られた、漂泊はぐれ道士殿。名前を聞かせていただけるか?」

「それよりこっちが聞きたいこといっぱいあるんです」


 質問に答えずに聞き返すのは不作法かと思ったけど、たぶん質問はあたしのほうがたくさんあると思う。


「構わんよ。なんでもお答えしよう。だが、名前を呼べぬのは聊か面倒なのでな、名前を教えてもらえぬか」


 その人が静かな口調で言う


「柳原……柳原伊澄です」

「はじめまして。柳原道士。私はこの道術社會の長を務めております。劉鍾離りゅう・しょうりと申します」


 穏やかな笑みを浮かべて鍾離さんが頭を下げてくれる。なんとなくこっちも下げた。部屋の空気が少し柔らかくなった気がした。

 鍾離さんが黙ってあたしを見る。なんでも聞いていい、と言ってたからあたしの質問を待っているんだろう。頭の中で渦巻く疑問を整理する。何から聞こうか。


「まず……どうしてあたしがあそこにいることがわかったんです?」

「この者があなたがあそこに表れることをうらないによって知らせてくれましてな。羚羊を遣わしたわけです」


 そういうと、鍾離さんの横に立っている人が頭を下げた。

 袂が長いゆったりしたローブのようなものを着ている。ところどころに幾何学模様の刺繍が入っているけど、なんとなく日本の和服を思わせる衣装だ。

 顔を目をモチーフにした布で覆っているから性別はちょっと分からない。


「この者の道術はうらないにより様々なことを予測するというものなのです」


 疑問が浮かんでいたのを察してくれたのか。鍾離さんが補足してくれる。

 そういえばあのお爺さんが、道術にはいろんな系統があるって言ってた気がする。未来予知的なものなんだろうか。

 

「次です。漂泊はぐれ道士ってなんですか?」


 さっきの兵士もそうだけど、漂泊はぐれと言う言葉を使っているってことは、それについての知識があるってことだ。

 ならあたしに何が起きたかもわかるはず。


「強い道術の行使や受け渡しがあった時に、遠方から時理を超えて人が現れることがあります。たいていの場合は、道士であり、それを漂泊はぐれ道士と呼びます」


 ということは……あの道術とやらを受け取ったことによって、あたしはここに飛ばされたってことなのか。

 泰国なんて国はあたしは聞いたことはないし、それ以前に羚羊みたいなのは地球にはいなかった。


 理を超えてっていうのは、つまり世界の壁を飛び越えてしまってあたしがこっちに来たってことなのか……認めたくないけど、そういうこととしか解釈できない。

 もしかしたら。あのお爺さんも、地球以外のどこかから、もしかしたらここから飛ばされたのかもしれない。


「あたしは……日本ってところから来ました。多分……こことは違う世界から。戻ることは出来ますか?」


 鍾離さんが一瞬の間を置いて、静かに首を振った。

 

「時理の壁を超えることはありますが、何処にいくのか、何処から来たのか、法則性はありません」


 静かな口調だけどはっきりとした否定。

 正直言ってそうじゃないかと思った。でも、もしかしたら、とも期待もした。でも……やっぱり無理なのか。あたしは日本に戻ることは出来ないんだろうか。


「……長旅でお疲れでしょう。部屋と食事を用意させますので……安らかにとはいかぬでしょうがお休みを……」


 項垂れたあたしに鍾離さんが声を掛けてきたところで、部屋の外でバタバタと足音がしてドアが開けられた

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