第8話 羚羊
どれだけの時間走ったのか分からない。馬は代り映えのしない一面の海原のような草原をかけ続けていく。
日が少しづつ沈んでいるから時間が流れていることくらいはわかるけど、同じ場所をループしているんじゃないか、と錯覚してしまうほどだ。
「ねえ、どこへ向かってるの?」
「
馬は上下に揺れて何度か舌を噛みそうになったから、確かにしゃべらない方がいいってことはわかってはいる。
蹄の音に交じって、前のほうから落ちついたというか、相変わらず抑揚のない返事が返ってくる。
上下に揺れる馬に乗り続けていると腰やら背中やらは痛いし緊張しているせいか、かなり疲れているけど。
羚羊と名乗ったこの人にはそんな気配はない。でも
「いい加減にして!」
流石にもう我慢の限界だった。
さっきは一刻も早く逃げないといけないって状況だった。だから悠長に話している暇はないってのも分かる。でも今は違う。
「不安なの!ここはどこなの!あなたは誰?どこへ行くの!説明して!」
力いっぱい羚羊の腰を抱きしめて耳元で叫んだ。馬が足並みを乱して、スピードが落ちる。
ふわりと羚羊が馬から降りた。迷惑そうとかそんな感じではない、さっきと変わらない無表情な目があたしを見上げている。
「お静かにされてください、
そういって羚羊が周りを見回す。
「追手がかかっている可能性があります。手短にお願いします」
そういうけど。
腰より少し上くらいまで草の生えた見通しのいい草原にはあたしたち以外の動くモノの姿は見えない。さあっと風の音がして、鳥が小さな鳴き声を上げながら頭上を飛び去って行った。
あたしが口を開くのを待っているかのように、羚羊があたしを見上げてきた。
「まず……ここは何処?」
「
「そうじゃないの、国は?台湾じゃないの?」
羚羊が少し首をかしげる。
「
「泰国って何?」
「泰国は泰国です」
表情を変えずに羚羊が答える。
泰国。聞いたことない。でも、はぐらかしているとか、嫌がらせをしている、とかじゃなくて、本当にそういう風にしか答えられないんだろう。
台湾じゃないことくらいは分かった、というか分かりたくなかったけど認めるしかなかった。
改めて見ると、羚羊の顔には黒い被弾痕があって……でも血の一滴も流れてはいない。
人間じゃないんだ。台湾でそんなことは絶対に起きるはずがない
「貴方は?」
「羚羊です」
「それはさっき聞いた。なんでここに居るの?」
「道術社會の長からあなたをお守りするように言われてまいりました」
っていうことは、あたしがあそこにいることを誰かが分かっていたってことだろうか?
「守る?あなたは私の味方?」
「はい。貴方をお守りしお連れするように言われています」
はっきりとした口調で羚羊が言う。
「あなたを信用していい理由は?道術社會とやらは?」
「失礼ながら信用していただくしかありません」
……そう言われても。
「我々があなたを害するつもりであればこの場であなたを突き殺せばいいだけです」
羚羊が恐ろしいことを、全く口調を変えずに言った。
今は節に分かれて腰に下げられた槍を思わず見てしまうけど。羚羊がそれを構えようとかそんな感じはない。
「
そもそも
当たり前でしょって顔で淡々と麗容が言う。嫌味な感じではなくて、ただ事実を諭すように述べているって感じだ
確かにそりゃそうではあるけど。感情を交えない口調はなんか上から諭されている感じでちょっと腹立つんだけど……でも、返す言葉もないのは事実だ。
口ごもったあたしを羚羊が見る
「お疑いが解けましたら先に進みたいと思います」
確かに。殺したければ、槍なんて使う必要もない。
あたしを馬から突き落とせばそれが一番早い。
不思議と嘘を言っている感じは全くしなかった。
少なくとも殺すとか害するつもりはないってことは感じる。
「いずれにせよ今は一刻も早く椿東から離れましょう。追手がかかる可能性があります」
そういうと、羚羊が軽やかに馬に飛び乗ってきた。
羚羊が手綱を引こうとして手を留める。鞍につるした竹の筒を渡してくれた。
「こちらをどうぞ」
飾り紐がつけられた竹の筒。上の節には栓がしてある。見て分かった。水筒だ。
栓を抜いて中に入った水を飲む。
冷たくはないけど、ほんのりの柑橘の香りがした。
一気に飲み干すと、竹のさわやかな香りが鼻を抜けて乾ききったのどに水が染みる。
こわばった体が少しほぐれて、気持ちも少しは落ち着いた
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