第7話 逃跑

 死んでない?

 そのことに一瞬安心したけど……安心している場合じゃない。


 外れた?

 殺したくないとか、そんなこと思ったから?見掛け倒しで威力が無かった?何もわからない。


 3人は倒れていたけど、残りは銃を構えている。

 指揮官らしき男が手を振り下ろした。銃声。わずかな間をおいて白い煙が煙幕のようにわきあがる。


 走馬灯のように世界がゆっくり見えた。

 死ぬ?こんなところで?お父さんにもお母さんにも何も言えないまま、こんな訳の分からないところで?


 あたしがここで死んだら、お母さんたちは台湾まで探しに来てくれるかな?

 でもここって台湾?

 

 無駄だと分かっていても目を閉じた。せめて……痛みでのたうち回るのは嫌だ。傷だらけになって死ぬのも嫌だ。

 でも、痛みはいつまでもやってこなくて。

 目を開けると、女の人が身をすくめたあたしの目の前に手を広げて立っていた。


◆ 祁 祁 祁 ◆


 一瞬状況が理解できなかったけど……かばってくれたの?


老士せんせい!」


 大丈夫?と声をかけようとする前に、女の人の方が先に口を開いた


「先ほどはあれほどの機転を利かせたというのに。抗道刑吏に五行の道術を直接行使してどうするのですか」


 こっちを振り返らずに女の人に咎めるような口調で言う。

 なんでこの人は死んでないのか、何が何だかわからないけど、術が効かなかったのは分かる。ゆっくり感じていた時間が普通に戻った、というか、あたしが我に返った、というべきなのか。


 女の人の体越しに見ると、兵士たちが銃口から弾を込め直していた。半分が槍を構えてまっすぐこっちに駆けてくる。

 残りの符は二枚。一枚に触れてアイコンを選ぶ。土のアイコン。


升起城牆じょうへきよ・たて!」。


 詠唱が終わると同時に、イメージ通りに石の壁が地面から突き出した。

 敷き詰められた石畳の石と土埃が高く宙に舞って、道幅より広い石壁が左右の建物の軒をへし割って屹立する。

 銃声が壁の向こうから響くけど当然こっちまでは届かない。


做得好おみごとです


 女の人が言う。

 服には銃創がいくつも穿たれていて、顔にも黒い被弾の跡が開いているけど、血が流れていない。どういうことなんだろう。


 振り返ると、道のもう一方では10人足らずの兵士が倒れていた。

 血が地面に広がっている。少なくとも何人かは死んでいることくらいは分かった


「……殺したの?」

「何か問題でも?」


 何となく非難がましくなったけど、こともなげに女の人が言い返してくる。

 というか。一人であのわずかな時間で全滅させたの?


「ではこちらへ」


 あたしの手を取って女の人が路地へ入った。


◆ 祁 祁 祁 ◆


 狭い路地は暗くて木片の残骸がそこここに散らばっていて走り難い。でも、女の人はそれを軽やかに乗り越えて走っていく。

 高校まではハンドボール、今はアウトドアサークルでポルダリングとかをしていて、あたしも運動はそれなりにしているけど、とてもついていけない。


 こっちが呼びかけるよりはやく、時々女の人がこっちをうかがってスピードを落としてくれる。

 そういえば名前さえ聞いていない。


 路地はかび臭く、埃っぽく、腐敗臭のような饐えた匂いがする。

 ところどころ安普請な壁からとびだした棘の様なものが手に刺さってジャケットの一部が裂けた。せっかくの新品なのに。

 

 顔に張り付いた蜘蛛の巣を払いのける。

 汚れた水のたまった水たまりの水がはねて、靴に水がしみた。

 歩きやすいようにと思ってシックな感じのスニーカーできたけど、こんなところで幸いするとは思わなかった。


 でも、ただただ先を行く相手についていくだけってのはとてつもなく不安だ。

 そもそも今の状況自体が理解不能なんだけど。

 先が見えないジェットコースタに乗せられているみたいだ。その先がゴールならいいけど、断崖絶壁かもしれない


「どこに行くの?」

「ご安心ください、社會までお送りします」


 そもそもその社會とやらが何なのか。安心なんてできるわけない


「それってなんなのよ」


 その質問には答えず、女の人が振り向いて口を押えた。静かにしろってことだろう。

 あまりのことに忘れていたけど、さっきまで変な兵士に撃ち殺されかけていたし、石の壁を立てて一度は足を止めたけど、倒したわけじゃない。追われる可能性はある。


 この人はあたしを殺す気は少なくともないらしい。

 あいつらはあたしを殺す気満々だった。あいつらに追いつかれるか、この先よく分からないところについていくか……どっちもロクなもんじゃないけど、それでも後者の方が多少はマシそうだ。


 走って追いかけながらさっき起きたことを思い出す。

 石の壁を立てた。雷を落とした。

 信じられないけど、魔法を使えるようにしてくれたのは本当だった。でもこの状況はなんなんだろう。


 ジャケットのポケットに手を入れると、紙が一枚触れた。

 符の最後の一枚。これが最後のあたしの切り札で命綱。


 夢中で背中を追いかけていたけど、段々路地の周りの建物の普請が安物になっていて、あばら家のようなものが増えてきていた。

 壁が壊れてなんというか、廃墟じみた感じになってくる。


 女の人が姿勢を低くして周りをうかがいながら進む。

 進めば進むほどまわりの家は益々みすぼらしくなって、家に囲まれた路地と言うより木の壁の陰に隠れて移動しているって感じになってくる。


 そして、ふいに視界が開けた。


◆ 祁 祁 祁 ◆


 街はずれって感じで、目の前には整備されていない緑の草地が広がっていた。

 周りからは音は聞こえない。追われる感じもない。

 後ろを見ると、昔家だったんだろうって感じの、朽ちた木の柱や壁がまばらに並んだ、誰もいない廃墟だった。

 

 そしてそのさらに向こうには木の櫓の様な背の高い建物が見える。

 ただただ追いかけて来ただけだから時間感覚も距離感もまったくないけどそれなりに遠くまでは来たらしい。

 女の人が草地に立っていた馬を連れてこっちに来た。


「乗ってください」


 変わらない淡々とした口調で、まるで散歩でもするかのように言うけど。

 馬は見上げるように背が高い。鞍と手綱と鐙がついていて、この辺は日本で見たことがある馬だ。


 と思ったけど……良く見ると日本で見た馬とは違った。

 遠目だと馬に見えたけど近くに来ると分かった。


 馬の形はしているけど馬じゃない。

 目はガラス玉のような感じで、関節も普通の関節じゃなくて球が挟み込まれている。


 呼吸の音も聞こえないし、体温もにおいも感じない。

 まるで人形のようにその馬がたたずんでいた。


「乗ってください」

「乗れない」


 その子がもう一度言う。これが馬なのか何なのかは別としても。

 馬を見たことがあるっていうのはあくまでテレビとかドラマでって意味であって、間近に見るなんてことは初めてだ。


 それに促されても無理なもんは無理。

 そもそもあたしだけのってどうするんだって話だ。一人でどこへ行けと?


「騎乗の経験は?」

「ないわ」


 呆れたような顔をされそうだったけど、女の人は表情を変えなかった。


「慣れてください」


 そう言って、手を組んで差し出してくる。

 指が普通じゃないのが見て分かった。細い指は節が球のようなものでつながっていて、人形のように見える。

 ……この子も人間じゃないんだろうか


「これに足をかけて、乗ってください」


 指を見て固まっていたあたしに静かな、でも有無を言わなさい口調で言ってくる。

 言われた通りに片足を乗せると、さっきと同じく細身の姿にまったく似合わない力強い動作で体を上に持ち上げられた。


 バイクにのるみたいな感じで馬にまたがる。

 視線が想像よりはるかに高い。地面が遠く見える。馬のような何かはおとなしくしているけど、振り落とされることを思うと背中に寒いものを感じる。


老士せんせい、失礼します」


 そういうと女の人が軽やかにあたしの前に乗ってきた。

 手綱をとると馬が足を踏み鳴らす。体が揺れてまた背筋が寒くなった。


「腰に手を回してください」


 言われたままに細い体を抱き寄せるように捕まると、手触りのいい服越しに硬い体の感触が伝わってきた。

 体温も感じない。柱を抱いているような感じだ。


「駆けます。しっかりつかまっていてください」


 そういうと馬が駆け足をし始めて、一気にスピードが上がった。

 景色が後ろに流れていって、風が顔に吹き付ける。


「そういえば、いい?」

「なんでしょう?」


 振り向かないままに女の人が聞き返してくる。


「あなたの名前は?」

羚羊レイヨウです」

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