第6話 圍城

 昨日いたビルはどう考えても五階以上。

 でももしかしてこんな変な状況だし、別のところにいるんじゃ、なんて思ったけど……変な場所だけど部屋の場所は変わってなかったらしい。

 

 何もかもがやけにゆっくり見えた。

 飛び散る木片と白い擦りガラスの破片の向こうには遠くまで伸びる道。青い空。連なる建物の影。

 その向こうには仏塔のような建物。そしてはるか下の地面。


 やっぱり高い場所だ。

 そう認識したところで体が落ちるのが分かった。世界がまた普通に動き出す。

 落ちる、というか死ぬ。一瞬耳元で風が鳴る。


 目をつぶった瞬間、落下感が不意に止まった。

 目を開けると、ビルの間に張られたロープを女の手がつかんでいるのが見えた。トランポリンで跳ねあがるような感覚と失速感。

 一呼吸後に下から突き上げるような振動が来て、女の人が地面に降り立った。


你還好嗎おけがはありませんか老士せんせい


 抑揚のない口調でいいながら、女の人が力を緩めてくれた。

 足が地面について、そのまましりもちをつく。


 地面の硬さが足とお尻に伝わってくる。

 信じられないことだけど、どうやら死んではいないらしい。

 見上げると5階の窓が割れていて、さっきの男たちがあたしたちを見下ろしている。


 女の人があたしを見た。

 白い陶器のような肌と切れ長の黒い目。一房の黒髪が額にかかっている。


 人形のような口調だけど、顔も人形みたいだ。

 言葉に詰まったあたしをその人が怪訝そうに見つめ返してくる

 というかあの高さから、あたしを抱いて飛び降りてなんで無事なのか、なんて考えるのは後の方がよさそうだ。


 改めて周りを見回すと、黒い木の窓枠にレンガのような、古い洋館を思わせる赤い石造りの建物。

 あちこちに中華風の彫刻がされていて、なんともにぎやかな感じだ。


 見上げるとその建物の間には提灯を吊り下げた紐が、電線のように幾重にも渡されている。

 そのうちの一本をさっき掴んだんだろう。一本の紐が地面に垂れていて、つながれていた赤い提灯がそこら中に転がっていた。

 

 2車線道路より少し広いくらいの広さの地面はコンクリートじゃなくて、でこぼこした石畳で舗装されている。

 どう見ても台湾の路地裏じゃない。中華風の歴史映画でみたような感じだ。台湾映画村なんてあるんだろうか、なんて益体の無いことを考えてしまう。


「ここは何処なの?」


 女の人に聞くと、その人が表情を変えないままに首をかしげる。

 その後ろの一本道、その両側から槍の様な長いものを持った兵士らしき男たちが走ってくるのが見えた。


 後ろを振り向くと、そっちも左右の路地からも足音を立てて兵士たちが合流してきている。

 一息つけるかと思ったけどそんな甘くなかった。何が起きたのか、考える時間が欲しい。まるで川に押し流されているみたいだ


老士せんせい、あちらは私が切り開きます。向こうはお任せします」


 左右を見回すと、女の人が落ち着いた口調で言って腰に巻いた短めの棒をつなげたものを一振りした。

 節が軽い音を立てて、身長くらいの槍になる。

 

「待って!行かないで!」

「油断するな!知恵のまわる五行道士だ!射殺しろ!」


 女の人があたしの声を無視して、槍を構えて路地から出てきた兵士に向かって突撃した。

 同時に上から声が振ってくる。さっきの指揮官ぽいのが窓から体を乗り出しているのが見えた。


 兵士たちがコートの様なものを羽織ってフードをかぶる。そのまま無駄のない動きで道に壁のように横列を形成した。銃を構えているのが見える。

 ……撃ち殺される。誰も助けてくれない。自分で何とかするしかない。


 ポケットの符に触れた。視界が少し黒くなって、またさっきのようにアイコンが宙に浮かぶ。

 茶色の光を纏う木のアイコンを選んだ。なぜかそれが一番「強い」ものであることが分かっていた。これも渡された力なんだろうか。


 指揮官らしき男が剣を振り上げた。迷っている暇はない。


雷雨襲來あめのごとく・いかづちよ・ふれ!」


 さっきと同じ、熱いものが体を貫く感覚と、何か不思議な力が波紋のように広がる感覚。

 一瞬の後に白い光がきらめいた。目を焼くような輝きと腹に響くような低い轟音を立てて雷が落ちる。

 肌にしびれるような感覚が走って化繊のジャケットに小さい稲光が舞った。


 高く砂煙が舞い上がった。白い稲妻が周りの建物をはうように走る。

 木の彫刻が崩れて落ちて、提灯を下げた紐がバタバタと音を立てて振ってきた。


 もうもうとした砂ぼこりに時々名残のように蛇のような稲妻が走る。

 どう見ても誰かが生きている感じじゃなかった。


 ……人を殺してしまったんだろうか、でもこうするしかなかった。

 仕方ないじゃないか。あいつらが悪いんだ、あいつらはあたしを殺そうとしたじゃないか。


 あたしが何をしたっていうの。パスポートを出せないからって銃で撃っていいなんてことはないでしょ。

 そう思っていた。


 でも……木の破片と土埃が消えてたとき、その向こうには横列の兵士が銃を構えていた。



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