第4話 不同
かび臭いにおいが鼻に飛び込んできた。
目を開けると、さっきの部屋にいるのが分かった。
目の前には今まで突っ伏していたらしく小さな机、壁にはいろいろな文字が書かれた掛け軸のようなもの。
あの火傷のような痛みを思い出して思わず手を見るけど……白いいつもの手の甲だった。
指を動かしてみるけど、特に痛みもない。ちょっと安心する。
机の上にはお爺さんが符と呼んでいた、短冊のような紙が4枚並んでいる。
窓から差し込んでくる光は朝か昼か、少なくとも今は夜じゃないことは分かった。
あのあと意識を失ったんだろうか。
どうせ一人旅だから別に誰かに心配をかけるわけじゃないけど。でも、あのお爺さんには迷惑を掛けてしまった。
ていうか、魔法使いにしてくれるとか言ってたけど、結局あれは何だったんだろう。
お酒を飲んだって言ってもそんな深酒じゃない。頭が二日酔いで痛むとか、そんなこともないし。
そんなことを考えていたら、また激しい打撃音が耳に飛び込んできて我に返った。
顔を上げると目の前にはドアがあって、それが叩かれていた。ドンドンという音が部屋に響いて、木造りの粗末なドアが揺れている。
でも……昨日開けたあのドア……木だったっけ?
ドアとあたしと間には一人の人が立っていて背中が見えた。
チャイナ服のようなタイトな上着にフレアスカートのような長い裾がひろがった短めのパンツ。
華奢な体形、金色の簪で左右に跳ねるように結い上げた少し赤みがかった黒髪。
タイトな赤い上着は袖や裾が長くて、金の幾何学模様の刺繍が入っている。
黒髪と赤の上着と白いうなじのコントラストがとても綺麗に感じた……なんとなく女の人っぽい。
「後退しますか?迎撃しますか?命令をお願いします」
女の人の声だ。
どんどんと言う叩く音にも負けない大声だけど感情がこもっていない、なんとなくボーカロイドの声みたいな、抑揚のない不思議な感じ。
ていうか、いったいどういう状況なの、これは。
……この部屋の持ち主がドアを叩いているとかなんだろうか。どうやって謝ろう、カバンにポケット会話帳があったはずだけど、こんな状況で使える文なんて載ってただろうか。
考え込むより早く、甲高い爆発音が響いた。
◆ 祁 祁 祁 ◆
目の前で彫刻が施された木の扉の取っ手が吹き飛んだ。
取っ手がからからと音を立てて床を転がる。足元に転がってきたそれを、女の人が無造作に蹴り飛ばした。
ドアの方を改めてみると、ドア取っ手の部分に穴が空いて、灰色の煙が漂っている。
あっけに取られて見ていると、続いてもう一度爆発音が響いた。
この音を何処かで聞いたことが有る、と思ったけど、ようやく思い当たった。映画で聞いたことが有る音……銃声だ。
まさか警察?ドアが蹴り開けられて、女の人が一歩下がった。
警察?と思ったけど……開いたドアから入ってきたのは、明らかに警察官じゃなかった。
昔見た香港映画に出てくるような、黒地に白の文様が入った中華風の服装を着て、手甲や肩鎧を付けた男……だ、多分。
顔の上半分を鳥を思わせる赤い仮面で隠しているから分からないけど、多分男性。
それが五人どかどかと部屋に入ってくる。
独りだけ仮面が違う人があたしの前、というか、あたしの前にいる女の人の前に立った。
片手には短めの青龍刀みたいな刃物を持っているけど、先端から煙が漂っている。銃が仕込まれてるっぽい。
後ろから入ってきた4人があたしたちを取り囲むように扇状に立って槍のようなものを構える。
……槍かと思ったけど構えたときにそれが槍じゃないことが分かった。
これも……銃だ。
これも映画とかでよく見る、
「抗道刑吏だ。
真ん中の男が短めの銃の銃口から何かを入れながら険悪な口調で言った。
銃口をこっちに向けて、男があたしをじっと見つめてくる。仮面越しだからよくわからないけど、好意的じゃない視線が向けられていることはひしひしと感じた。
周囲を囲む4人もライフルのような長い銃をあたしに向けたままだ。
ただ事じゃないことは分かった
「しかし……妙な格好だな」
いぶかしげな口調で男の人が言う。今のあたしの格好はこの旅行用に新調した白のサマージャケットに黒のタイトなクロップド。そんなにおかしな格好じゃないと思う。
あたしから見れば、目の前のこの人たちの方が中華風のコスプレにしか見えない。
「
「確かにそうだな。
「いや、それはありえんだろう」
「
男達がなにやら言葉を交わしているけど何が何だかわからない。
「あの……これは映画の撮影とかですか?」
「投降せよ。床にうつぶせになれ」
「ちょっと待ってください。あたしは日本人ですよ。パスポートはホテルに……」
といったところで銃声がもう一発響いた。キンという風切り音と着弾音。振り返ると、後ろの壁に穴が開いていた。
灰色の煙が漂って、刺激臭が鼻を刺す。
「……床に伏せろ」
「
高圧的な口調と言うのがどんなものか分かった。今まで聞いたスパルタな部活の先輩の命令なんてもんじゃない。
状況はわからないけど、まともな状況じゃない。少なくとも話せばわかる、という空気じゃない。
「もう一度言う、投降せよ。戰鬥木偶にも伏せるように言え」
有無を言わせない口調で命令しつつ、男たちがあたしを囲むように位置取りする。
ピリピリした緊張感が伝わってくる。銃口には波打つような銃剣が取り付けられていて、その切っ先があたしを向いている。
銃口を向けられるなんて経験は今までないけど……今にもあれが火を噴きそうで背中が冷たくなる。
「
女の人がこっちを向かないままに言った。
槍を突き付けられて囲まれているっていうこの状況には似つかわしくない、落ち着いた口調。誰だか知らないけど……少なくとも敵じゃなさそうだ。
でも指示って言われても。
「10数える。投降しない場合は射殺する」
しびれを切らしたように男が言って片手をあげた。
4人から向けられる敵意が肌に刺さるくらいに強く感じる。部屋の温度が下がったような感覚。
「10!」
逃げようにも後ろには木の鎧戸みたいなので閉じられた窓。
そういえば昨日はガラス窓だったと思うけど……気のせいなのか勘違いなのか、分からない。
入り口は一つ。でもその入り口までにはまず女の人がいて、次に男たちが包囲している。逃げ道はない。
押されるように一歩下がって、机の上に置かれた符に触れた瞬間……視界に幕がかかったように暗くなった。
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