第206話 生まれて初めての勝利




 五分後、


「はぁ……はぁ……」


 センは立っていた。

 目の前には、壁にもたれかかって気絶している気室。


「はは……なんだ、見た目だけかよ、お前……」


 思いっきり振り回した拳が、たまたま顎に当たった――だけだが、素人のブン回しを避けられなかったというのも事実。


 ――センは、


「こっちが勝つってパターンだと、蝉原も俺を無視できねぇじゃん……ちゃんと、俺を叩き潰してくれよ、バカが……」


 口の中の血をベっと吐き出しつつ、ボソっとそう言いながら、その場にへたりこんだ。

 決まり手の拳が入る前に、センは気室から5発ほど殴られた。

 掴まれて、壁にぶつけられて、膝もいれられて、頭突きも二発いれられた。


「痛ぇ……痛ぇ……アドレナリン切れた……はぁ……興奮状態って、あんまりもたないんだな……手ぇ、痛ぇ……一回しか殴ってないのに、こんな痛むの? ……ボクサーとか、拳、どうなってんだよ……あ、だからグルグルにバンテージとか巻くのか」


 まだ興奮が完全に収まっていないようで、いつもより早口気味にブツブツ言いながら、


「あー、どうっすかなぁ……これって、もしかして、俺も少年院にいくパターンのやつ? いや、それは流石にねぇか? てか、死んでねぇよな」



 センは、気室の様子を確かめる。

 普通に肩が動いていた。



「まあ、そう簡単に死なんわな……」


 ハハっと渇いた笑い声をあげると、切れた口角からジワっと血が溢れた。


「……ぁあ、痛ぇ……鉄くせぇ……これ、骨とか折れてんのかな……肋骨、すげぇ痛ぇんだけど……くそが、ったく……ああ、痛ぇ、痛ぇ! うぜぇ!」



 センは、体の痛みを嘆きながらも、



(けど……なんだろう……)


 深く息を吸うと、脳に直接届いたような気がした。

 目の前が、いつもより、少しだけ明るいような気がする。


(……『こっち』の方が……まだ、『なにくそ』って思えるな……)


 最初、センは一方的にボコられていた。


 抵抗しないつもりだった。

 逆らう気概を見せるだけのつもりだった。


 けれど、


 殴られて、掴まれて、頭突きされて、

 『不利』だと認識したとたん、

 『敗北』が脳裏をよぎった瞬間、



 ――グワっと全てが熱くなった――



 心臓の鼓動が……驚くほどはやくなった。


 勘違いではなく、気室の動きがスローモーションに見える一瞬があった。


 だからという訳ではないけれど、カっとした体が、理性の制止をシカトして、自分で想像するよりも、少しだけ鋭く動いた。


 殴ろうと思う前に、殴っていたんだ。



(ケンカ……初勝利……はっ……バカバカしい……)



 心の中で吐き捨てる。


 こんなもの、なんの意味もない。


 人を殴って、倒して、だからなんだってんだ。


 ここがリング上ならともかく、学校で同級生を一人殴り倒したって、得られるモノなんか何もない。


 わかっている。

 バカじゃない。

 だから、わかっている――のだけれど、


(嬉しいとか、気持いいとか……そういう、安い感情じゃなくて……いや、結局、その安い感情なのかね……わかんねぇや……なんせ、はじめての感覚なんでね……)


 心がジンとしている。

 拳は痛い。

 間違いなく痛い。


 けれど――


(こんなしょうもない殴り合いじゃなくて……ちゃんと、しっかりとした『戦闘』なら、喜びも悔しさも、もっと感じるのかね……)


 くだらない痛みと、何が何だか分からないままの勝利。


 それでも、確かに、心は熱くなった。


 わけのわからないモノが込み上げてきて、妙に叫びたくなる。


 理解不能。

 けれど、この熱さは事実で、だから――


(……格闘技……か。はは……大学に行ったら、そっち系のサークルでも入ってみようかね……)


 なんて事を考えていると、






「……へぇ。面白い状況だなぁ。ねぇ、ユズ、そう思わない?」

「べつにぃ」






 『エグザ○ルに進化する直前』と表現するのがベストな『爽やかにギラっとした細マッチョの男』が、ハデ目なJCを連れて、そこにいた。


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