第67話 自由になれた気がした。


「忘れるな、ロキ。貴様と私の時間は重なっている。幸か不幸かは知らんが……その奇跡は事実だ」


 また、ロキの目から涙が流れた。

 理由なんて分からない。

 分かる訳がない。


 泣き続けているロキから視線をそらし、

 イス無崎は天を仰いだ。


(無崎。……貴様には、本当に感謝をしている。貴様の精神に宿れたおかげで、同じ痛みを背負っている者に出会い、この私が驚くほどの奇怪で珍妙な刺激を受けられ、研究に費やせる時間も得た)


 『彼』は、広がる蒼穹(そうきゅう)や、流れる雲を見つめたまま、


(私は、いつか、必ず、時間の秘密を解き明かす。その時は、こんな婉曲(えんきょく)な形ではなく、貴様に、直接、感謝の言葉を伝えよう。時間の壁を超え、今の貴様に会いにこよう)


 心の中でそう呟いた直後、

 イス無崎は、覚醒の兆しに触れる。


(ぅむ。そろそろ私の時間も終わる。無崎、あとは貴様の好きにするがいい。ここからは――貴様の時間だ)


 その言葉を最後に、

 無崎の意識は切り替わった。

 超越者ではなく、ただの凡庸でヘタレなオタクに戻る。




「……ぇ? ……ぁ……ぁ……」




 頭の中で渦巻く、

 ロキを苦しめた地獄の記憶。


 ソレを垣間見た無崎は、


(ロキさんの記憶……ぇ、なんで、どうして、俺はどうして、この人の記憶を……ぃ、いや、どうでもいい、俺の事なんて……そんな事より……ぁ、あの話、全部本当だったのか……こ、こんなの……酷すぎる……)


 自然と涙が出てきた。

 心が苦しい。

 痛い。

 しめ付けられる。


「あ……ぁ……」


 何も考えられなかった。

 無崎は、耐えられなくなって、ロキを抱きしめた。


 ボロボロと泣きながら、


「ひ、酷いよな……」


 いつものかすれた吃音(きつおん)とは違い、ハッキリと聞きとれる声を発した。


 心を刺す痛みが、精神的吃音を抑え込んだ瞬間。

 小さな奇跡の一つ。


 成長なんかじゃない。

 今だけの、この瞬間だけの、

 ちょっとした認知のズレのようなもの。

 だが、口は開く。

 聞きとれる言葉を口にできる。


 だからだろうか?

 自然と、ポロポロと、言葉を発してしまう。


「あんまりだよな……辛かったよな……ぁ、あんなの、酷すぎるよな……」


 涙が止まらない。

 心が砕けてしまいそうだった。


「頑張ったよな……苦しかったよな……あんなの……あんなのさぁ、ひでぇよぉ……つぅか、なんだよ、あの判事……ふざっけんな……死ねよ……くそったれ……殺してやる……俺が殺してやる、あんなクソ野郎……うぅ、うぅうう……あぁ……ロキ……ごめん……いっぱい……酷いこと言って……ごめん……ごめんなさい……」


 知らなかったから。

 とは、言えなかった。


 そこまでのクズにはなりたくなかった。

 知らなかったかどうかなど、どうでもいい。

 自分が最低な事を言ったのは、ただの事実。


 ボロボロと涙を流している無崎に、

 ロキは、


「最初に、ダイアモンドバックの拳があなたに当たった理由……ようやくわかりました。正直、不思議に思っていましたの。あなたほどの方なら、あの程度の攻撃、楽に避けられたのに。……謝罪のつもりだったのですね。わたくしのために、あえてそうしたとはいえ、厳しい事を言った自分が許せなくて……」


「違う……そんなんじゃない……そんなんじゃないんだ……違う……」


 ボロボロと涙を流す無崎を見て、ロキは奥歯をかみしめた。

 うまく言葉が出てこない。

 何を口にするのが正解なのか分からない。

 無崎に出会ってから、ずっとそう。

 かき乱されてばかり。


(不器用な人……どんな時でも、自分の優しさを素直に表には出せないのね……)


 ボロボロと、みっともなく泣く無崎の腕の中で、

 ロキは、彼のことが、心が裂けそうなほど愛おしくなった。

 だから、当然のように、また、涙がこみ上げてくる。


「ぁ、ありがとう……無崎さん……うっ……ぅう……ぁ、ありがっ……うぅ……」


 自分を抱きしめてくれて、そして、おぼれるほど涙を流してくれる男を、ロキは、だから、力いっぱい、強く、強く、強く抱きしめる。


 いつも心のどこかが感じていた痛みが緩和していく。


 酷く安っぽい言葉だけれど、

 彼女は、確かに、救われたと思った。


 ――自由になれた気がした――






(――ダメだ)






 すべてに、綺麗なオチがつきそうだった、

 その時、無崎は、

 そんな、『おざなりのオチ(イス無崎の妥協)』を否定する。


(……『自由になれた気がしただけ』じゃダメだ)


 涙を流したまま、無崎は、

 とんでもないワガママをふりかざす。


(こんな結末は認めない。こんな胸糞悪い終わりなんかいらない。こんなんじゃ、誰も救われないじゃないか)


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