第62話 わかるさ。


 ピッチングマシンの強さは、搭乗している闘手の『運動神経』や『頭の回転速度』によって大きく変動する。

 なぜならば、操作が難しすぎるから。


 たとえば、スーパー○マリオを右に動かすだけなら、十字キーの右を一回押せばいい。

 ――それに対し、ダイアモンドバックの場合、51ヶ所ある関節すべてに命令を下す必要がある。

 一歩進むだけでも、51回分の操作を必要とする無茶な兵器。


 『だからこそ、これまではロキが最強だった』


 メジャーリーガーで、超特待生・序列一位の超天才であるロキこそが最強だった。


 たった数日で六法全書を頭の中に叩き込み、たった数か月で、基礎法学、刑事法学、社会法学等の、根本的な社会規範を己の血肉とし、二年とかからず、ありとあらゆる学問――物理学、統計学、生物学、経済学、経営学、社会学、果ては宇宙科学までもを完璧に理解してしまった超天才。


 ロキは天才であり、そして、その超越的なスペックの全てを『悪』にそそぐと宣言している超危険人物。


 だからこそ、誰もが恐れていた魔女。

 だがしかし、無崎は今、そんなロキを、雲の上から見下ろしている。


(わたくしでは……この魔王には……勝てないっっ……っ!)


 絶望という黒い雨で脳のギアが錆びる。

 絶対に勝てないと、魂が認めた。

 その屈辱が身を焦がす。


「退屈だな。ブレイキングウェポンだけではなくストレートブレードも縛るか」


(っっ、そ、そう言えば、この男、ここまでに、ブレイキングウェポンを一度も使っていな……っ、ばかな……くっ、信じられない……このわたくしが、ここまで……く、くぅぅ、こ、このぉ、クズ野郎!!)


 とうに限界ゲージをブチ破っている怒号。

 しかしまだボルテージは上がっていく。


 脳が高速回転を再開する。

 もう、どうなってもいい。


(考えろ……何でもいい……このクズを殺せる一手を……とにかく考えろ!)


 ブチ切れるほど頭を回転させる。

 しかし、どれだけ考えても、『同条件』では、目の前にいる『ケタ違いの超人』に一発カマす未来を想像する事さえ出来なかった。


「まったく……どいつもこいつも、私以外の人間は、例外なく性能が低すぎる。いくら行動を縛っても、全く難易度が上がらない」


 限界を超えた怒りの中でも、無崎の言葉は、ロキの耳に届いた。

 無崎朽矢は、影も見えぬ天上からロキを見下ろして一言。


「貴様ならば『死ぬ気で磨けば、あるいは』と思い、あのクズガキを仕掛けてみたが……結局、この程度が関の山。まったく、情けない」


「く、くそがぁあ! 己の享楽(きょうらく)のためだけにぃ! わたしの家族を! クズがぁぁ!!」


 千切れるほど空間を演算して、

 ブレイキングウェポンとストレートブレードを煌めかせる。


 長い体躯に搭載された無数の兵器。

 その全てを駆使した地獄の暴雨。


 だが、当たらない。

 カスりもしない。


 何をしても、無崎は、

 つまらなそうな顔で、溜息をつくだけ。


「くそ! くそ! くそぉおお! くそがぁあああああああああ!!」


「一つ一つの演算が一々甘い。だから、私には届かない。……一つ、聞かせろ。その程度の拙(つたな)い頭脳しか持たないのに、本気で私に勝てると思ったか?」


「クズ野郎ぉお! 黙って、わたしに殺されろぉおおお!」


「不可能だ。貴様程度が相手では、負ける方が難しい。チンパンジーと将棋をしている様を想像してみろ。それが私の現状だ。せめて、ルールくらいは覚えてもらいたいのだが、やれやれ」


 それまでは回避するばかりで、一度も攻撃していなかった無崎だったが、ロキの連続斬りを回避した直後のこと。

 ジャイロブレードを持っていない方の手で、

 ロキのDバックの首を、ガシッと掴み、

 その長い尾を払ってその場に転倒させた。


「くぁああ!!」


「貴様程度が相手ならば、武器を使う必要すらない」


 転倒しているDバックの腹部を右足で踏みつけ、


「最も理解出来ない点は、これだけの絶対的な差がありながら、まだ私に立ち向かっている事」


 無崎は、指で頭をトントンと叩きながら、


「いい加減、理解しろ。貴様と私では、ココの出来が決定的に違うのだ」


「分からないだろう! わたくしが、未(いま)だ立ち向かう理由! 貴様には到底理解できないだろう! 貴様のような、ただ頭脳が優れているだけの鬼畜には絶対に分かるはずがない! 貴様のようなクズには! 永遠に! この! わたくしの痛みなど!!」


 地面に伏したままだが、

 しかし、心は折れていないようで、


「全てを持(も)つ貴様にはわからない! 家族を失った、わたくしの絶望など!」


 そこで、無崎は、数秒だけ黙ってから、



「――わかるさ」



 静かに、穏やかに、


「私も……かつて、多くを失った」


 過去を思い出す。

 いや、本当は思い出せない。

 それが何より辛い。


 あまりにも時間が経ちすぎた。

 彼一人だけを残して種が滅びたのは、今から何億年も昔。


 宇宙に数多(あまた)存在する知的生命体の中でもトップクラスに賢い種族『イス人』――『彼ら、イスの大いなる種族』は、そんな『優秀な種の中』でも『特別優れていた彼』に、すべてを賭けると決めた。


 識別コード、ナンバー10-104。

 これは、彼が忘れてしまった彼の記号。


 ――アインシュタインは、間違いなく天才だが、自分の家の電話番号も覚えていなかったという。

 不必要なことに対して脳の要領を使う余裕はなかったということ。


 104は、自分の名前も、家族も、同族も、『全てどうでもいい』と、脳の片隅においやり、最後には、少しでも脳容量を上げるために『忘却のアリア・ギアス』までつかって、不必要なエピソード記憶の大半を完全放棄して、ただただずっと、時間の秘密とだけ向き合い続けた。

 

 数億年前は、それでいいと思っていた。

 だが、時がたった今、104は普通に後悔していた。

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