第31話 佐々波は想う。
「ぷはぁ……」
スキットルのフタをしめて、カバンに戻す無崎。
目を、こしこしと、こすりながら、
(ん、あー、こりゃ、ダメだな。眠気がまったく治まらない。ポカリじゃなくて、オロナ○ンCを入れてくればよかった。これ、また寝ちゃうな。さっきまでは、たまたま見つからなかったみたいだけど、寝ているのが山田先生にバレたら怒られちゃうな。山田先生、かなり怖い系の先生だから、目をつけられるのは避けたいなぁ。仕方ない……かなり恥ずかしいけど……)
無崎は、スマホを起動させ、メモ帳を開き、『どの授業をあと何回休めるか』を確認してから、ガタっと立ち上がる。
「「「ひぇっ」」」
無崎の行動は、いちいち心臓に悪い。
誰もが姿勢を正して目線を外す。
山田先生が、震えながら、
「ど、どうした、無崎……くん」
「ち……げろ……たぃ……ほ……ねむ……す(ちょっと、ゲロ出そうなくらい体調が悪いので、保健室で眠ってきます)」
かすれた声でそう言い残し、
そのまま、威圧感たっぷりの歩き方で教室を出ていった。
無崎の姿が完全に消えたところで、山田は疲れ切ったような顔で、
「ふぅぅぅ」
と息をつきながら、黒板にもたれかかった。
その周囲では、クラスメイトたちが、ザワザワと、
「な、なんて? 無崎、なんて言った?」
「逮捕とか眠るとかゲロとか」
「俺、聞こえたぞ。組の誰かが逮捕されそうだから、捕まって余計な事をゲロっちまう前に、そいつを永遠の眠りにつかせてくる……って感じだった」
「スマホを見ていたのは、組のヤツからのメールをチェックしていたのか」
「ま、また、あいつは、その手を血で染めるのか」
「すでに真っ赤だから、もはや、気にもなんねぇんだろうな」
「あ、そう言えば、無崎と小学校が同じとか言っていた華村って人、今日、きてないけど、もしかして……」
その発言に対し、女性陣のリーダーである亜里沙が、神妙な面持ちで、
「今朝、メールがきた。消えないと殺すって脅されたから夜逃げするってさ」
「ぇ、エグぅ……一度でも怒らせたら終わりってことかよ」
「マジで怒らせないように気をつけないとな……」
「もう、いっそ俺も転校しよぉかなぁ」
★
佐々波恋は思う。
自分に、生き甲斐と呼べるものは存在しない、と。
産まれた瞬間からつい最近まで、人生のほぼ100%を、『優れた諜報員となるため』に費やしてきた。
眠れない夜は、人を殺すための道具を抱いて、今まで壊してきたものを数えた。
幼稚園でビーズの数え方を教わるよりも早く、
裏の世界の偉いさんから、世界を転覆させる方法を学んだ。
人の騙し方を、国の壊し方を、幸福の終わらせ方を……そんなものだけを叩き込まれてきた。
(まともでいられる訳がない)
保健室のベッドに寝転び、天井を睨みつけている佐々波。
現在、彼女が遂行している任務は、創世学園に隠されているオーパーツ『野究カード』を調査する事。
ちなみに、誰の命令でもない。
あえていうなら己が依頼者。
この狂った人生から自分自身を解放するため、
創世学園に潜入し、野究カードの回収作業を始めた。
(すでにボクは、『ボクを解放できるだけの力』――あのふざけた両親はもちろん、これまで敵に回してきた『世界の暗部』全てに狙われても、楽に撃退できるだけの野究カードを手に入れた)
ピッチングマシンを有するハイランカー闘手の佐々波は、
すでに、単騎で世界相手に戦える。
もはや、誰も彼女を縛れない。
佐々波は自由になった。
下らない『業』から解脱し、
気楽な女子高生になって気づいた事は、
(……退屈……)
心が壊れている佐々波にとって、
『自由』に価値などなかった。
やりたい事などない。
望むモノなどない。
佐々波にとって、人生はモノクロ。
色彩を失った、灰色の世界。
まるで機械仕掛けの感情。
意識は無意味に数学的。
未来はどうにも五里霧中。
「無崎……」
ふいに口をついて出た言葉。
ハっとした顔になり、思わず口を閉じた。
自分で自分が信じられない。
(なんで、あのアホの名前なんか……)
朱色に染まる頬を自分ではたいて、
(ぁ、ぃや、まあ、別に、オモチャはヒマを潰すための道具……だから、あいつの事を考えても別にいいんだ。さ、さあ、今度は、あいつを使って、どうやって遊ぼうかなぁ)
佐々波は気づいていないが、無崎の事を考えている間だけ、世界に色がついていた。
酷く矛盾しているが、世界に色がついている事にも気づけないくらい、無崎を想っている時の佐々波は盲目的だった。
(ぁあ、くそ。なんで、こんな言い訳みたいな事を……ああ、ウザい。決めた。また、あいつの黒い噂を大量に流してやる。学校の裏サイトをクラックして、『無崎のヤクザ指数』が『天文学的領域に達している』という無実を全校生徒に拡散してやる)
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