第15話 交渉。
上品の全身が冷や汗に包まれる。
一瞬で血の気が引いた。
ずっと眠っていた『生存本能の最奥部』が飛び起きて、
ノドを嗄(か)らさんばかりに悲鳴を上げている。
(ま、間違いない……あの悪魔は私を殺しにきた)
恐怖に体が震える。
絶望に支配される。
(こ、殺されて……たまるか!!)
防衛本能に火がつくと同時!
上品は地面を蹴る!
なりふり構わず、黒き刀身が煌(きら)めく『147ギロのムービングストレートブレード』を強く握りしめて、無崎の首をはねようと踏み込んだ。
刀身が正中線に沿って二つに分かれて、その間を、バチバチとした電流が走る。
――殺れる!
そう思ったが、
しかし、
キュィイン!
っと、ギガロ粒子の弾ける音がして、
その直後、
「ここにボクがいるのに、センセーの首に刃が届くとでも?」
ニタニタと笑っている佐々波の声が耳をつく。
短剣一本で上品の刀を受けとめた佐々波。
佐々波御用達のプロ級武装野究カード『141ギロのツーシームブレード』。
鮮やかな深紅の小刀。
歪な形状をしている狂気のナイフ。
防御力に優れた、ギガロ・バリアの耐久値が高いストレートブレード。
その奥にいる無崎は、いきなり斬りかかられていながら、しかし、わずかも動ずる事なく、どこまでも不敵かつ不遜(ふそん)に、上品を嘲謔(ちょうぎゃく)したままでいた。
凛とした仁王立ちで、この空間の王として完璧に君臨している。
――と、はた目には見えているのだが、
実際のところ、無崎の心中では、
(ぇ、えぇえええええ? な、何、なに、なに?! どういうこと? なんで、上品さんは、俺に切りかかってきたの? はぁあああああ?!)
あまりの超展開ぶりに、歪んだ笑顔のまま固まってしまっているだけなのだが、はた目には『不敵に大局を見通しているよう』にしか見えない。
その『不動を超越した豪儀(ごうぎ)極まりない佇(たたず)まい』に中(あ)てられた上品は、
(か、勝てへん。勝てる訳がない!)
力量差に愕然(がくぜん)とする。
彼我の実力差を一瞬で理解し、肉体の芯が凍えた。
反射的なバックステップで、
わずかに距離を取りつつ、
(どうにかして逃げへんと、確実に殺される。Mマシンは諦めるしかない)
上品は、悔しそうにギリギリと奥歯をかみしめてから、
「ぃ、いきなり切りかかっといて、何を言うとんのやぁ思うやろうけど……交渉させてくれへんか? 話を聞いてほしいんや」
上品の提案に、佐々波は、虫をいたぶるような笑みを浮かべて、
「ふぅん。提案っすか。内容によっては聞いてあげなくもないっすよ。で、なんすか?」
「ここは見逃してくれへんか? 代わりに、甲子園級……いや、プロ級の野究カードを5……10枚ほど献上するから」
「くく。破格の条件じゃないっすか。殺しちゃったら、所有している野究カードが消滅しちゃうから、その提案、ボクとしては、是非とも受けたいところっすねぇ」
「じゃ、じゃあ――」
「けど、まあ、いつだって、『最終決断』を下すのは、ボクじゃないんでねぇ」
そこで、佐々波は、チラっと無崎を見て、
「どうするっすか、センセー?」
((ど、どうするもクソも、何が何だか分からないんだけど? ねぇ、佐々波、上品さんは、どうして俺に切りかかってきたんだ? 俺、なんもしてないよね?
「うーん、そうっすねぇ」
((直後に、『きりかかってきた事を謝っている』っていうのが、さらに訳わかんない。上品さんって、もしかして情緒不安定系女子? ま、まあ、なんにせよ、現場が散らかりすぎて、俺では、もはや、どうしようもないから、お前に全部任せる。人間関係が良い感じにまとまるよう、後は全て頼んだよ、佐々波!
「イエス・ユア・マジェスティ! (了解しました、偉大なる我が王!)」
まるで、皇帝の側近。
あるいは、敬虔(けいけん)な神の使徒。
右手を胸にあて、エレガントに頭を下げながらの宣言。
――それを見て、無崎は、
(? な、なにやってんだ、こいつ。……ほんと、常時、よく分からんやつだなぁ。……まあいいや。佐々波のちょっとした奇行は、今に始まったことじゃないし。……そういえば、小学生の時も、ちょいちょい、よく分からん事をやっていたよなぁ)
と、テキトーに流した。
佐々波の奇行の全てを流し、テキトーに許してきたがゆえに、無崎の現状がある。
『佐々波(名状しがたい姉や母のようなもの)』に、
『あとのことすべて』を任せた無崎は、
『税金問題を前にした小学生』ぐらいの勢いで、
思考を完璧に放棄して、ボーっとしはじめる。
――そんな、佐々波と無崎の様子を目の当たりにした上品は、
(やっぱり佐々波は無崎の手下みたいやな。それも、無理やり従わせとんのやなく、心底からの忠誠を誓わせとる。ぁ、あの放逸的(ほういつてき)で猫より気ままなトリックスターの佐々波を、あそこまで従順な配下にできるだけの圧倒的な支配力……想像するだけでも、おぞましい……)
無崎に対する警戒心が限界なく膨らんでいく。
底知れない恐怖に顔を歪ませている上品の元に、
佐々波がツカツカと、足取り軽く近づいてきた。
上品は、反射的に黒刀を構える。
そんな彼女に、佐々波は、余裕を崩さず、
ニタニタ顔を強めて、
「センセーの御言葉を伝えるっす。――無意味な抵抗はやめておけ。貴様の話を聞いてやる。申してみぃ」
と、アホなAIよりも酷い翻訳をかましてみせた。
原文が一ミリも残っていないので、翻訳という言葉を使うべきではない気がするが。
とにもかくにも、佐々波は、
場を荒らすために、全力で、
無崎の『虚像』を翻訳していく。
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