28
私はアトラスの笑顔を見ながら溜め息をつくしかなかった。
「そんなむくれないでよ。どれも似合ってたよ」
「それいつも聞いてる」
「だって似合ってたからね。ほら、もうすぐ美味しいタルトが食べられるよ」
「そうね。ランレイのお勧めなら間違いないものね」
私が仕方なく微笑むと、安堵したようにアトラスは笑った。
カフェは私でも知っている、敷居の高すぎる高級店だった。
貴族や富豪、裕福な選ばれた者しか入店を許されず、私達のような下級貴族は予約しないと入れない。
それも半年先まで予約で詰まっていると聞いている。
それに比べ上級貴族は顔パスだから、アトラスといっしょだったから、直ぐに入れた。
店内は、白を基調とした内装が施され、観葉植物が飾られ、花瓶には色とりどりの花が生けられている。
奥に机と椅子があり、硝子張りになった壁の外には簡易的なテラス席もある。
とても落ち着いた雰囲気だ。
左側には大きなショーケースが置かれていて、煌びやかな菓子が並んでいた。
「どうする?ここで食べて帰る?持ち帰る?」
「どっちも」
「そういうと思った」
アトラスはくすりと笑うと手を握った。
「見に行こうか」
「うん」
ショーケースの中は当然宝石のように美しいお菓子が並んでいた。
その美しさと繊細さに目を奪われてしまう。
どれを食べてもきっと美味しいに違いないだろう。
白桃の種を綺麗にくり抜き、中に生クリームを詰め込んだもの。
定番のいちごたっぷりのったタルト。キラキラとタルト生地が輝いているからきっと、バターと蜂蜜がたっぷり塗ってあるのだ。
白、ピンク、紫、と三層になったレアチーズケーキ。その上にふんだんに果物が零れるくらいに乗っている。
他にも、オレンジピールのクッキー、ぶどうのマカロン、木苺のパイ、ラズベリーとブルーベリーのジャムが入ったシュークリームなど、数え切れないほどの種類があった。
「迷っちゃうね」
「そうだね。全部買って帰ろうか?」
「本当に?」
凄く惹かれる提案だ。
「どうする?」
「うーん、全部はやめようかな。だって、そんな事したら次にくる楽しみが減っちゃうよ。また、連れてきてくれるでしょ?」
私がそう言いアトラスを見ると、アトラスは蠱惑的とも言えるような妖艶な微笑みを浮かべた。
「強請るルミナは可愛いな」
私は思わず赤面した。
「こ、こんなとこで何言うのよ」
「本当だよ」
「早く選ぼうよ」
私は恥ずかしさを隠すために、ショーケースに顔を戻した。
胸が高鳴る。アトラスと繋ぐ手が妙に熱く感じ、その手から伝わる鼓動が速くなっていく。
それが私のものかアトラスのものか分からないが、アトラスだったら嬉しいと思う自分がいた。
私に対していつもよりも感情が高ぶる様子に、私だけが特別なのだ、と錯覚に囚われる。
なんだが知らない気持ちがせり上がってくる。
くすぐったいような、もどかしいような、不思議な気持ちだ。
「これは、カーヴァン令息ではありませんか」
2人で選んでいると、不意に背後から声をかけられ振り向くと50代程の夫婦が立っていた。
アトラスを呼んだということは知り合いなのだろう、と思い見ると、超絶不機嫌な表情でアトラスは2人を睨んでいた。
現に夫婦は、表情が強ばり蒼白だ。
「無粋ですね。今、私がどのような状況かご存知でお声を掛けられたのですよね?」
アトラスは言葉は冷たく、苛立っていた。
「あなたは先々を読む事が出来ず周りを見れない。だから、今回の事業計画書が幾度も差し戻しになっているんですよ」
叩きつけるような冷淡な態度と口調でアトラスはそう言い放つと、お2人とも言葉を詰まらせた。
身なりからして上級貴族の方だ。
歳もかなり上だけど、この話を聞く限りカーヴァン家の事業に関わり、アトラスも関わっているという事だろう。
嫡男だから納得するが、この物言いはいただけない。
アトラスが冷たい視線を送ると、萎縮してしまい、顔色がますます悪くなる。
「アトラス、私、気にしてないよ。話を聞いて上げて」
要は私との時間を邪魔されて八つ当たりしているのだ。
私が優しくそう言うと、アトラスは私を見て微笑んだ。
それはまるで、先程までの態度が嘘かのように、優しい微笑みだった。
その様子にお2人とも驚きアトラスを珍獣かのように何度も瞬きして食い入るように見た。
そんなに驚く事だろうか、と首を傾げる。
「もし、宜しければご挨拶させて下さいませ」
媚を売るように、私を見ながら男性が言った。
アトラスの機嫌が私で変わったものだから、私に取り入りたいのかもしれない。
「ルミナは、どうなの?」
アトラスは私の方を向き、意見を求めてきた。
ここで拒否する理由もないし、何よりもこの毛を逆立てた猫のような状態のアトラスをどうにかしたい。
「勿論構いませんよ。では、私から」
「いいえ、私からでございます」
慌てて割り込むように男性が口を挟むが、絶対に私が先に名乗るべきだと思う。
貴族社会において、立場が低い者が先に名乗り、その名を聞いてから、相手は名乗るかどうか決める。
「お初にお目にかかります。私はイフ・マムと申します。隣にいるのが妻のマーナでございます」
綺麗な背筋のまま、深深と2人は頭を下げた。
その所作は洗練されていて、とても美しい。
洗練された身のこなしは、まさに上流階級の貴族だ。
その名前を聞いて、アトラスを見た。
ほらほらやっぱり上級貴族だよ。
マム、と言えば侯爵様だ。それもカーヴァン家とは親戚だ。
頭を上げ今か今かと、私の挨拶を待っているが、この流れで私の挨拶はしずらい。
「私が代わりにしようか?」
私に優しく問うアトラスの提案に少し考えたが、首を振った。
それは失礼だ。これから先また顔を合わせることもあるかもしれない。
「初めまして。私はルミナ・オルファと申します」
「オルファ、ですか?」
考えるように呟いたその言葉に、吹雪のような凍てつく風が吹き荒れるような雰囲気が流れた。
そして、全身に突き刺さるような鋭い眼差しでアトラスはマム夫妻を睨んだ。
「貴族の名、全てを把握されていないとは、随分と物覚えが悪いのですね。私よりも早く世に産まれた割には、どうも無駄に長生きをしているだけのようですが、そんなに長生きしたところで何になるのでしょうねぇ?」
辛辣な言葉に、夫婦の身体が震えている。
「子爵です」
これ以上は見てられない。
「私の恋人です」
私の言葉に被せるようにして、アトラスが言った途端、2人は血の気が引きよろけた。
運悪くアトラスに声を掛けたのが、恋人と楽しく過ごしている時で、運悪く知らない名前が、アトラスの恋人だった。
なんだか、可哀想になってきた。
「アトラス、私さっき言ったよね少し話を聞いて上げてよ。親戚の方との事業の話しなら尚更大事な話でしょ」
私がそう言うと、アトラスは不満げな顔をした。
「この方々は事業計画書の提出が明後日だから焦っているんだ。事業の内容にしても、予算にしても、あまりに杜撰な内容なのに、ご自分で解決しようせず他人の頭脳を頼ろうとする下賎な考えしかないのだ」
うわぁ、辛辣だわ。もう少し柔らかく言ってよ。
「そ、それは理解しております。そこをもう少し助言を戴きたいのです」
声は震えてはいたが、食い下がることが無い様子に本当に困っているのだと思った。
「だから、聞いて上げて、と言ってるでしょ。私は、ゆっくりケーキを選んでいるから大丈夫」
「ルミナがそう言うなら」
アトラスは渋々承諾すると、3人は少し離れた場所で話し合いを始めた。
お2人は感謝の目で私に会釈してくれた。
その様子を横目に、私はケーキを選び続けた。
婚約破棄された後は、何故かもう1人の幼なじみに恋人の手ほどきをされてます @hime3
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