初雪と下らないやり取りについて

 えっと……私は退屈を、それはもう大事に思っています。

何てったって、私と退屈は切っても切れない関係があって、それはもうほとんどイコールと言ってしまっても差し支えないものなんです。

かと言って、退屈なのが好きかと聞かれると、嫌いじゃないという曖昧な返事しかできません。

じっとしていることは苦じゃありませんが、やっぱり楽しくはありません。

そういう状況のことを、退屈と呼ぶんでしょう。きっと。

ならば私は退屈です。

暗くて、気持ちの悪い、退屈な人間です。

一緒に居て心が晴れやかになるなんてことそうそう無いと思います。

ですが私は。――私の周りには、退屈ではない人たちが沢山居るんです。

面白くて、明るくて、一緒に居て笑ってしまう様な人たちが沢山居るんです。

退屈で、退屈に、退屈な自分を、日常を生きてきたはずの私はもう、そろそろ、自分のイレギュラーさに気づいてしまうんじゃないかと、不安でなりません。

非退屈の人たちに混ざった、退屈な私が。

いつまでこの退屈でない、賑やかな日常に体を浸かっていられるのか。

その日が来るまで、私は退屈で居ようと思います。

あるいは、退屈ではないフリをしようと思います。


 池名いけな柚巳ゆずみ

8月22日生まれ。血液型A型。

スリーサイズは……、っと、こんなんはどうでも良かったですね。

名前さえお伝えすれば良いんですかね。この程度にしておきます。

「……さむ。」

 所と話は変わりますが、私は今、白川高校の学生寮の、とある部屋の前に立っています。

「……はぁ……。」

 そう、何を隠そう、自分の部屋――ではなく。

「ごっ……、ごめんくださいっ。」

 クラスメイトであり、友人に当たる、間縞まじま伊織いおり君の家の前に立っているんです。

「はーい……。って、池名さん?」

「は、はい、池名ですすみません。」

 しまった、やっぱりおかしかったかな。そう思うが早いか、間縞君が部屋のチェーンを中から開けて顔を覗かせました。うーん、今日も顔が良く整ってらっしゃる。

「いや、別にいいけど。……どうかした?」

「あの、実はですね。」

 わたくし池名柚巳、家の鍵を無くしてしまったらしいんです。


 遡ること、そうですね……、3時間前。

私は今日、冬季補修を受けに学校を訪れていました。眼鏡に黒髪という真面目そうなキャラだからといって、その実成績が良いわけではありません。逆に言えば、チャラそうな歌坂うたさか君の方が頭が良かったりします。不条理極まれり。

 まぁそういうわけで私は、白川高校の図書室を訪れました。司書不在のこの図書室は、よく自習室としても使われるんです。本好きとして、または図書委員としては、少し複雑な心境ですが。

「あれ、柚巳ちゃんじゃん。」

 重い足取りで出向いた補習会場には、なぜだかよく分かりませんが、私服姿の天野あまの凛子りこさんが居ました。黒いパーカーに黒いチノパンで、図書室の本棚の奥の窓際に浅く座って、こちらにひらひら手を振っていました。

 ……学年首位のくせに。酷いよ凛子さん。

「いやいやぁ。私はただ本借りに来ただけだよ。」

 凛子さんはそう言ってニヤニヤ笑いました。ちなみに、嘘ついてる時の顔をして笑っています。

「まぁねー。しま……間縞くんの家に行こうかなと。」

 しま……、なんて言いかけたんでしょう。でもまぁ、私はその言葉に、どこか腑に落ちました。この人は、間縞君の話をしたり、間縞君と一緒に居たりするとよくこの顔をします。——性格の悪そうな、嘘をついている様な、そんな笑顔です。

「そうなんだね、仲良いね。本当。」

 実は私は、凛子さんのそんな顔が大好きだったりします。これは秘密ですが。

「でも気が変わっちゃったよ。柚巳ちゃん、補習はいつ終わる?」

「え、あぁ……。あと20分ぐらいかな。」

「そっかそっかー。じゃあデートしようよ。」

「へ、あ、うん。しよう。」

 この人は、誰かと2人で遊ぶことをデートと言います。私も私で、毎回毎回その言葉の響きにたじろいでしまいます。それから私はふと思いついて言いました。

「あの、凛子さん。私、少し教室に寄ってから帰るから、先に学生寮に行ってて貰えないかな。」

「あえ、良いの?」

「うん。鍵も渡しておくから、先に入っておいてくれて構わないよ。」

 ……察しのいい方なら分かるでしょう。そう、ここから話は冒頭に戻ります。


「……で、部屋に戻ってみたら、鍵を持ってるはずの天野が居なかったと。」

「はい。2時間ほど待ってみたんですけど。」

「……なんだって。」

 まぁ、凛子さんが気分屋なのはよくあることですし、買い物にでも行ったのかなと思っていたのですが、さすがに遅くって、寒かったので、やむを得ず間縞君の部屋に避難です。

「何してんだあいつ……。電話取らねぇし。」

 生憎私は部屋に携帯を置いたままにしていたので、間縞君に連絡を取って貰うことにしました。どうやら本格的に音信不通らしいです。または行方不明、でしょうか。

「困ったなぁ……。」

 部屋に入れないということは、制服から着替えることができないは愚か、最悪今日は間縞君の部屋に泊めてもらうことになりかねません。それは、それだけは避けたいのです。

 推しカプ崩壊の危機。しかも原因が己。

「死にたい……。」

「ん、どうした、大丈夫?」

「はい、平気です。」

 推しの一部と2人きりだということでもう既に慌てふためいていて、夏祭りの時には使えていたタメ口がもう使えなくなってしまいました。カチカチの敬語です。気まずいったらありゃしない。

「と、ところで間縞君。——凛子さんがふらっと行きそうな所って、どこか無いですか。」

「あいつがふらっと……?んん……。」

 間縞君は少し考えながらぶつぶつ呟きます。

「縁か……、いやならりつさんが……。」

 散々他にも呟いていましたが、それは私には聞き取れませんでした。横顔が美しすぎて話が入ってきませんでした。すると、珍しい人から連絡がありました。ふと目に入った間縞君の携帯の画面に、その人の名前が——歌坂うたさか瑞月みずきという名前が表示されていました。

「あれ、歌坂君から電話が。」

「歌坂から?」

間縞君が電話に出ます。優しいことにスピーカーにしてくれました。

——『あ、もしもしマジマ?ちょっとこっち来てくんない?まずくってさぁー。』

「用件を言え、まずいのはこっちだ。」

——『なんかあったん?まぁ話は後で聞くからさ、ちょっと来てよ。ほんとにまずいんだって。』

「だから何がだって。」

——『……聞いて驚くなよ?』

「あぁ?」

——『……天野さんが、ナンパに遭ってる。それも悪質なヤツ!』

「……なるほどな。いや、つかそれお前でどうにかしろよ。」

——『俺が助太刀しようとしたらさ、天野さんめちゃくちゃ睨んできた。俺のこと。』

「それは災難だな。まぁ早いとこ天野奪還してこいよ、ロミオ。」

——『え、あ、そ——。』

 歌坂君が何か言いかけたタイミングで、間縞君は電話を切りました。どうやら凛子さん、こんな片田舎でしつこいナンパに遭ったらしいです。それも2時間以上。可哀想な話だなーと思いますが、1番は歌坂君に同情です。

「間縞君、行かないんですか?」

「え、あー、んー……。」

 行くか行かないか、というよりは、行かない言い訳を考えているような感じでした。が、少し考えてから深い溜め息をついて立ち上がりました。

「行く、行ってくるよ。」

「私も行きます!」

あしまった。つい。

「あ、あぁうん。おっけ、行こう。」

 ちょっと引いてました、間縞君。


 やってきたのは駅前のロータリー。私は間縞君の後ろをついていく感じで歩きます。少し先に、街の見取り図があるのですが、そこにもたれるようにして凛子さんが立っていました。そしてそれを囲むように、見たことのない男の人達が居ました。結構屈強な。どうやら、この辺の人では無いようです。

「マジで絡まれてんじゃねぇか。」

 まさかネタだと思ってたんですか、間縞君。

「と、とりあえず、行ってあげたほうが。」

「……はぁ。うん。行ってくるよ。」

 憂鬱そうな顔で、間縞君は凛子はさんの方へと歩いていきました。私はそれを遠くから見守ります。

「……ふぅ。」

 そういえば私、いついかなる時もこういう役回りだなぁ、と不意に思います。いつも遠巻きで、外野で、蚊帳の外な役回りです。別にそれが嫌なわけでも嫌いなわけでも無いのですが、たまに思います。

 私が中心ってことは、起こりうるんだろうか、と。――そんなこと無くたって良いのに考えてしまう自分が嫌です。

「池名さん、池名さん。」

「わっ、歌坂君。」

 急に後ろから声をかけられて驚き、振り向きます。そこには歌坂君が居ました。ニコニコ笑いながら私を見て、それから凛子さんの方をちらりと見ました。それから首を傾げます。

「珍しいね、マジマと2人で居るなんて。」

「あ、実は……。」

 かくかくしかじか。歌坂君は大きく頷きながら私の話を聞き終えると言いました。

「そうなんだ、大変だったねそりゃ。」

「まぁ、そうですね。」

 歌坂君は良い人です。私にも優しくしてくれる、お手本の様な『王子様』って奴です。まぁなので、歌坂君と凛子さんのカプも、嫌いな訳では無いんです。何せ歌坂君は凛子さんが大好きですからね。凛子さんを上手くそそのかせば成立するはずなのですが、――上手くそそのかせない、というのが天野凛子という人です。恐らくば、死んでも歌坂君とはお付き合いしないのでしょう。

 ……歌坂君は辛く思わないのでしょうか。想い人に、自分よりも仲の良い男子がいるだなんて。当て馬にもほどがありますが。

「ん?全然?」

「……本気ですか?」

けろっとした顔で歌坂君は言いました。私は驚いて尋ねます。

「いやだってさぁ。」

 天野さんが幸せそうにしてるならそれで良いんだよ。

「別にさ、必ず俺が幸せにしたい、って訳じゃないんだ。勿論したいのはそうなんだけど。俺じゃなくて、他の人が幸せにできるんだったら――。」

 そう言って、歌坂君は目線を移しました。凛子さんの腕を掴んで、己の方に引き寄せている間縞君の方に移しました。……なんてこと、私が見てないうちに推しカプがいちゃいちゃしてる……。

「俺はそれを遠くから見てるので良いんだ。」

 ふと、隣に目を向けます。そこには――見たことのない顔をする歌坂君が居ました。私は思わず目を見開きました。なんとまぁ……哀愁漂うと言いますか、物寂しい表情でした。

「……それで良いんですか、ほんとに。」

「うん。良いんだ。」

 ……何だかなぁ。この人には幸せになって貰いたい。そう私は心の底から思いました。間縞君と凛子さんがどういう訳だか、恋人繋ぎしながらこちらに歩いてきています。多分、ナンパしてきた男の人達の目を最後まで誤魔化すための動作なのでしょう。いつもなら騒ぎ立てるような美味しい状況ですが、今の私は複雑な心境でした。

「……歌坂君。」

「ん?」

ちゃんと考えると、私は本当にどうかしています。でもこの時の私は本気でそれを口走っていたのです。退屈の具現化である私が、言えるような事では到底ありませんでした。でも、言いました。

「――もし、あなたが必ず幸せにできるっていう人が居たら、その人を幸せにしてくれますか?」

「……それは、池名さんのこと?」

「え、あ、いや、べ、別に私じゃ無くても――。」

「んー、でも俺、池名さんだったら幸せにしたいかな。」

「……へ?」

「決めた、俺――、池名さんのこと幸せにする。」

「は、え、はい?」

ニコニコと屈託の無い笑顔を向けられながら、私は呆気にとられました。何言ってんだこの人。それから思い出します。――この人、馬鹿でした。

「池名さんともっと仲良くなって、友達として幸せにする。絶対。約束。」

「は、はぁ……。」

 何年かぶりに指切りげんまんをして、私は少しだけ微笑みました。そうですそうです、この人こういう人です。馬鹿なんです。

「あ、雪降ってきた。」

「ほんとですね……。寒くなりそう。」

 ちょうど良く、間縞君たちが合流しました。私は、凄い勢いで手を振り払いあう2人を見て、思わず笑います。歌坂君は相変わらず、何も気にした様子もなく、ニコニコと笑って居ます。私はそれを気にしない様に取り繕いました。

 私は退屈な人間ですが、どうやら、私を取り巻く環境は、まだまだ退屈になる予感はありません。いったいいつまで続くんでしょう。

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スファレライトと雲の空 卯月ななし @Uduki-nanashi

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