第2部

秋雨と捻くれ者の休日について

 私は退屈をこよなく愛している。それはもう心の底から。

だってほら、退屈が濃ければ濃いほど、その先おこる非日常的な事がより面白く感じられるだろうから。

まぁ要は、裏を返してしまえば私が愛しているのは非日常ってことだろう。

非日常。退屈な日々がぱっと色づく、一瞬の出来事。

というのは極めて重要だろう。だって――どんな魅力的な非日常であっても、持続してしまえば日常へと姿を変えてしまうでしょ?

だからまぁ、その点で言うとシノちゃんと居た時は退屈しなかったけど、退屈だったってことになるはず……、って少し話が逸れたかな。

その点で言うと今の私の日常は紙一重だなぁ。

退屈は全くと言って良いほどしていない、けど。それが持続すると退屈になる自分が居ることも事実だろうし。

けどとりあえず断言できるのは、私の日常の終わりこそが非日常だってことかな。

私の今の日常が綺麗さっぱり無くなってしまった時、それこそがとっておきの非日常になり替わる。

……その時の私は一体何を思うのかな。

さてさて、長くなっちゃったけど。これは私と――間縞まじま伊織いおりという捻くれ者の話。

楽しい楽しい、日常と非日常の境目の話。


 その日は雨だった。

「……あーあ、せっかくのお休みが。」

 11月暮れ。この辺りでは珍しく、秋雨が延々しとしと降っている日だった。湿気が酷く、私は外の冷たくてじっとりした変な空気から逃げるために、アパートの窓を閉めた。

柚巳ゆずみちゃんとデートしようと思ったのに。残念無念。」

 申し遅れたけど、私は天野あまの凛子りこという。初見で「りこ」って呼んでくれる人は少なくて、大体「りんこ」と呼ばれる、自慢の憎たらしい名前だ。

「ん……。」

 とりあえず、ローテーブルに放っていた携帯を手に取り、しましま君――間縞伊織とのトーク画面を開いて、短くメッセを送った。

『家行っていい?』

返信は無い。そりゃそうだ。あんまりマメな人じゃ無いもの。30分ぐらいのラグは覚悟の上だ。私はまた携帯をローテーブルに放って、リビングにおいてある大きいビーズクッションにダイブする。

「はぁー。」

 私は1人暮らしで、新築の3階建てアパートに住んでいる。そこの303号室が私の根城だ。日当たりも良好で、学校からもほど遠くなく、駅も徒歩圏内、そして家賃が安価。なぜここまで好条件なのかと言うと、単純な話――ここ、事故物件なのだ。人が1人死んでいる。らしい。私は見ていないから分からない。

「……ふふ。」

 少し前、夏の事。私は夜の学校にしましま君を連れて侵入したということがあった。しましま君は、あれに呼ばれたことを私がビビったからだと思ったらしいが、そういう訳ではない。単純に道連れにしようと思って呼んだだけなのだ。バレた時の道連れに。最悪擦り付け用にと思って。別にお化けが怖い訳では無いのだ。怖かったら事故物件になんて住んでいない。

「あ、映画観よっかな。」

 私はパソコンを立ち上げて配信アプリを起動する。そこから適当に面白そうなアクション映画を見つけたので、それにカーソルを合わせて押した。ビーズクッションに体を預けて、クッションを膝の上で抱き、パソコンをローテーブルの上に置いて体勢を整える。そこから2時間半、水も飲まずに同じ姿勢で、私の視線はモニターを泳いだ。

「……無理だな。」

 という訳にはいかず、私は序盤30分でパソコンの画面を閉じてしまった。実を言うと、私は映画やドラマが大の苦手だ。露骨な伏線の張り方が安っぽくて、直ぐに事の結末を察してしまって面白くないのだ。例えばー……。

映画を観ていて、『あ、この人死ぬな』とか。『あ、この人犯人だな』とか。フラグ的なものが視覚的に入ってくるせいで露骨過ぎて分かりやすい。そのせいで安易に映像メディアが楽しめないのだ。

「ま、これは100パー私が悪いけどね。」

 旧友が――私に屈辱的なあだ名を付けてくれた友人が重度の映画オタクだったのだ。そのせいで私も映画を大量に観ることがあり、それが持続したおかげで、脳みそがフラグ探知機になってしまったわけだ。そりゃあ向いてないって話だ。

「んー……。」

 とりあえず大きく伸びをして、私は携帯電話をまた手に取った。ロックを解除して、ホーム画面にて少し迷った後、私の指は通話アプリに触れた。

「さぁて……、どこだぁ……?」

ぶつぶつと独り言を囁きながら画面をスクロールしていき、1人だけ異様に変わった名前で登録された旧友――言い方を変えるならば、親友の名前を目だけで探す。

「お、あった、あった。」

 『ピアス野郎』という表示が目に入って、私はスクロールを止めた。指をそのままその表示の上に移動させて押す。コール音が5、6回鳴ってから、私は溜め息と共に電話を切った。あの野郎、まだ寝てるみたい。もう時刻は昼前を回ろうとしているが、休みとあらば1日中寝てそうな奴だもんなぁ。まぁ、その内叩き起こされるでしょ。

「しゃあない、出掛けようかな。」

 私は立ち上がってリビングを離れ、寝室に入る。寝室に置かれた姿見に自分の姿が映り、それを横目で見ながら考える。

「……これで出歩くのは拙い、かな……?」

膝上の短いホットパンツに黒いキャミソール。その上から紺色のチャック付きパーカーを羽織っているだけの、ザ部屋着。というか、季節的に露出がきつい気がする。寒いし。

「めんどくさぁ……。」

 別に誰に会う訳でもないのに着替えないといけないのが面倒臭くて堪らない。だけどまぁ、もしかしたら会う可能性だってあるだろうと、自分で自分を納得させながらタンスを開いて、適当に洋服を取り出してベッドに投げた。ちなみに、スキニータイプの黒いジーンズと、長袖のワイシャツという装いを見繕った。

「うぁぁ……寒いな。」

 パーカーを1枚脱ぐだけでこうも変わるか、と季節に苛つきながらも手短に着替えを終えて、ワイシャツの上からパーカーを羽織ってからリビングに戻った。ローテーブルの下に放っていた外出用の鞄を引っ張り出し、中に財布が入っていることを確認して、そこに携帯を放り込んだ。テーブルの上に鞄を置いてから洗面所に向かう。

「さぁて……。どうしようか。」

 洗面所の鏡には、いつも通りの私が映っているのだけど、髪を下ろしっぱなしにしていたせいで若干ボサボサして見えるのだ。腰まで伸びた、焦げ茶色のストレートヘア。こんなズボラの手には余る、長ったらしい髪をどうするか、少し洗面所の鏡を凝視しながら考える。よし、今日は久しぶりに編んでみるか。

「髪切ろうかな……。」

 中学の時からずっとこの長さだしなぁ、と思いつつ櫛で丁寧に梳く。別に、この長さが好きな訳では無いのだ。ショートでも似合うだろうという、諦めに近い自負もある。がしかし、何となく、切ってしまうと『天野凛子』としてのアイデンティティーなるものが消えてしまいそうな気もする……。なんて考えながら、髪を全部左側に流しながら毛束を1つにまとめて3つに分けて、ひたすら編む。

「よっし、かーんせい。」

 ゆるく編んだ3つ編みを左肩に垂らしてから前髪を整えて、忘れていたのでついでに歯も磨いてから洗面所を後にした。

「っしゃ……、行こか。」

 ローテーブルの上から鞄を取って、玄関へと向かう。特段行先は決まっていないので、とりあえず散歩をしてから『縁』にでも遊びに行こう、と頭の中で計画を立ててから扉に手を掛ける。もう片方の手には傘を忘れず握っている。

「行ってきまーす。」

 1人暮らしは独り言が増える。けどまぁ、これだけは独り言じゃない。

『――いってらっしゃい』

そしてまぁ、部屋の奥から聞こえるこの返事も、今日も今日とて幻聴じゃ無いらしく。私は事故物件に1人暮らししているんだなぁ、と出掛けるたびに痛感するのだった。……もうこれも、私の退屈な日常の一部になってしまったみたいだけど。


「ごめんくださーい、――って、あれ。」

 小雨の中、傘を差しながらフラフラ歩いて、結局私は短時間で『古書店縁』に辿り着いた。重たい扉を開ると珍しい事に、来客用のソファーに3人の顔見知りが向かい合わせで座っていた。

「おぉ。やぁ凛子ちゃん、珍しいね。」

「え、天野?」

「わぁ、天野さん!お久しぶりです!」

古書店縁、店主の榎波えなみりつ。しましま君。そして何故かロリっ娘……じゃ無かった、奥寺おくでらまこと。その3人が、ソファーに仲良く座ってトランプをしていたのだから面食らう。榎波さん――改めりっさんが、片膝を立ててソファーに座りながら私にひらりと手を振った。

「来てくれて嬉しいけど、今日は縁はお休みだよ。」

「天野さんもやりませんか、ポーカー。」

「ポーカー?……驚いたなまことちゃん、君そんな危ない遊び知ってるんだね。」

「おい天野……、お前はポーカーを何だと思ってんだ。」

「え?賭け事でしょ?」

「違うわドアホ。」

「かけごと、ってなんですか?」

「んーとねぇ……、一瞬のスリルと人生を天秤にかけて、どっちかをドブに捨てる、って感じかなぁ。」

「……んっと、えっと?」

「律さんアンタ……自分で何言ってるか分かってますか……。」

 私は、空いていたしましま君の隣に座ってラウンドを終わらせてもらう。

「じゃあ、ショウダウン。」

「スリーカードぉ。」「わんぺあです……。」「フォーカード。」

 このラウンドの勝者はしましま君だった。りっさがニマニマと笑いながら手札を捨て札の中に投げ入れてから言う。

「いやぁ、弱いねまことちゃん。」

「うぅ……お2人が強すぎるんですよぉ……。」

 半泣き状態のまことちゃんを横目に、大人げなくニマニマ笑い続けるりっさん。私は各々の手札が混ぜられた捨て札の山をかき集めて手早くシャッフルし、4人分配り分けた。

「凛子ちゃんってさぁ、こういうの強そうだよねー。」

「そうですか?……まぁ、しまし……間縞君には負けたくないですけど。」

 あっぶねぇ、素でしましま君って言いそうになった。浅い溜め息をついてから、ポーカーと言うゲームをするのが久しぶりで、手札を見てからルールを思い出す。それから3人の表情をぐるりと眺めてから手札を交換する。

「そ、それじゃ、ショウダウンで良いですか?」

「ちょっと待ってねぇ……。」

 最後にりっさんが手札を変えて、4人の札が揃う。

「せーのっ――」


「天野、お前それイカサマだろ。」

「何がさ。負けたから悔しいんでしょう?」

「いや、俺が捨てた手札を何でお前が持ってんだよ。」

「さぁ?混ざっちゃったとか?」

全体戦から20分ほどして、私はしましま君とサシでの対決をしていた。こやつ、なかなかに心理戦における強さと運があり、私の冗談ブラフが通じづらいのが癪だ。

「怖いねぇー、まことちゃん。こういう高校生にはなっちゃ駄目だよ?」

「ふは、高校生以前に、こういう大人になっちゃ駄目だめだからね、まことちゃん。」

 りっさん特有の、くすんだ緑色をした私よりも長い髪の隙間から覗く切れ長の右目がもっと細くなる。口角が弓の様に吊り上がっている所から察するに、やっぱりこの人は性格が悪い。

「騙し打ちなんて、僕じゃあ怖くてできないなぁ。」

 何言ってるんだろう。全体戦で1番インチキしていたのは誰だっけ?――バレてないと思うなよ、これだから詰めが甘いぜ大人は。

「同感です……。」

 絵に描いた様な困り顔で、私としましま君を交互に見るまことちゃん。あぁー、やっぱり私はこの子が嫌いだな、と思うが、顔に出さい様にいつもの笑顔を浮かべる。

「君もいずれはこういうのを覚えて行かないとね。覚えるともっとポーカーが面白くなるよ?」

「え、そうなんですかっ。」

「天野……。まことさんを弄ぶなよ……。」

 純粋無垢で、可愛らしく、庇護欲そそられる、『女の子』を謳歌している――とでも言うんだろうか。どうにもその甘ったるさに苛立ちそうになる。

「まぁほらさぁ、社会勉強ってやつでしょう。」

「物は言いようだねー凛子ちゃん。」

「あらら、お褒めにあずかり光栄です。」

 りっさんの目が私を見据える。多分この人には、私の腹の内ががっつりバレているんだろうなと思い、にこりと笑顔を作ってみた。しましま君が何かを気にするように私を横目で見たが、気づかない振りをして目を伏せる。すると、まことちゃんがぱっと立ち上がった。

「……あ、そろそろ瑞月みずきくんの所に行かなくちゃ。」

「おや、そんな時間?楽しかったよー、まことちゃん。また来てね。」

「はいっ、もちろん!――天野さん、マジマさん、また。」

「うん、また。」

「じゃあね。まことちゃん。」

 そんなこんなでまことちゃんは瑞月くん――歌坂うたさか瑞月とのデートに赴くために退場した。この時、心の底からほっとしたのは内緒だ。

「さぁて、2人はどうする?続戦?」

「もう良いですよ……。コイツのイカサマに勝てる気もしませんし。」

「だからぁ、イカサマじゃ無いって言ってるよね?」

イカサマも賭け事に必要不可欠。ひいては、賭け事の一部と言っても過言じゃない。

「じゃあそうだねぇ、今日はもう店仕舞いとしようかな。僕も夜に出かけなくちゃでね。」

「え、意外。何があるんですか?」

「んふふ、デート。」

「「……え?」」

「なんちゃって。野暮用だよ。野暮用。……ねぇ、2人共さぁ、そんな露骨に驚かれると悲しくなるんだけど。」

「いや……。律さんにデートするようなお相手が……。」

「失礼だなぁ、伊織君。……つっても、君のお姉さまとデートなんだけどね。」

「あぁ……、ご愁傷様です。聞かなかったことにします。」

「お姉さま?」

りっさんとしましま君の下らないやりとりの中で、聞き慣れない単語が入って来たので思わず聞き返す。するとりっさんが嬉しそうに言った。

「実はねぇ、伊織君のお姉さんと僕、高校の時の同級生なんだよね。」

「え、すご。」

 確か――間縞まじまひびき、と言っただろうか。少し前にしましま君が言っていた様な、言っていなかった様な。是非お目にかかりたいものだ。

「そういうわけだから、今日はもう閉店でーす。はい帰った帰った。」

「分かりましたよ。じゃあ、失礼します。」

「またその内来ますねー。」

 こうして、私としましま君は縁を退店し、私が持ってきていた傘を無理やりしましま君に持たせて2人で入りながらコンビニを目指していた。

「――じゃあ、まずまことちゃんが君の家に押しかけて来て、そのまま縁に行ったら、りっさんが相手をしてくれた、と。」

「まぁ、そういう感じだな。まことさんは今晩、歌坂とお泊りデートらしい。」

「へぇ、割とやる事やってるんだね、あのロリっ娘。」

「……おい。」

 そんな下らなくてどうでも良いやり取りをしながら、私はにこりと微笑んだ。やっぱりしましま君との会話には飽きが無い。

「まぁ、さっきのゲームは私の全勝だったからね。約束通り、スイーツ奢りで。」

「イカサマで全勝、だろうが。お前が奢れよ。」

「えぇ、嫌だよ。君が私に奢るんだよ。チョコレートクレープ。」

「またちょっと高い奴を……。覚えてろよ。」

「へいへい。」

 そんなこんなで、私の退屈で面白可笑しい日常と休日はもう少し続き、――雨はまだまだ止まないらしい。

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