幕間 ロミオとジュリエットと愉快な仲間たち

 11月上旬某日。

乾いて冷たい風の吹くそんな日に――白川高校の文化祭は開催された。

「……はぁ。」

 そしてこの俺、間縞まじま伊織いおりは、酷く憂鬱な気持ちで体育館に向かっていた。時刻は早朝7時。文化祭の開始時刻は9時だ。……いや、頭おかしいんじゃないか。何でこんな早くに呼び出されなくちゃならないんだ。舞台係なんかやることねぇよ。

「……まぁ、天野あまのも居ないし、良いか。」

「誰が居ないから良いって?」

不意に後ろで声がした。まぁもう、案の定というか、予想はしていたが、ますます憂鬱さに磨きがかかる。溜め息を無理やり吞み込んでから後ろを振り返ると、やはりそこにはいつも通りの――性格の悪い笑みを浮かべる天野あまの凛子りこが居た。いつも通り、とは言ったが、珍しく高い位置で髪を括っており、心なしか化粧もされていて、小さく綺麗なイヤリングが耳についていた。恐らくは劇を総括する奴らからの指示だろう。

「体調不良じゃなかったのか?」

「それがねぇ……。土壇場になって演劇部の人が匙投げちゃってさ。私にはできないって言って。結局私がジュリエットだよ。やだやだ。」

 言った事には責任持って貰いたいよ本当、と笑いながら言う天野。正確には目が笑っていないので、まぁそれなりに怒っているのだろう。

「最初からそう素直に来てれば良いのにな。」

「うるさいなぁ。ちゃんと行こうと思っただけでも褒めてよね。」

 天野はつかつかと俺の方に歩いてきて隣に立った。俺はそれを見計らって歩き始める。制服の上に羽織ったジャージのポケットに手を突っ込みながら、俺はふと天野に聞いた。

「つーか、お前台詞とか大丈夫なのか?」

「まぁね。何とか覚えてるよ。」

 実はコイツ、主役の癖に全くと言って良いほど練習に参加しなかった。舞台係の俺の方が真面目に練習に行っていたぐらいだ。

「立ち位置とか、タイミングとかは、しましま君が送ってくれた資料で大体分かってるし。何とかなるでしょう。」

 ……それは、ならなくてもどうでも良いって事だよな、天野。俺は堪らず、溜め息を付いた。

「クラスの連中、賞とか狙ってるらしいし。衣装係も偉い気合いの入り方してるんだぜ?池名いけなさんも熱量半端じゃないし、歌坂うたさかは言わずもがなだし。」

「へぇ、柚巳ゆずみちゃんはさて置き、歌坂君までしっかりやってたのか。関心だよ。」

 練習の時、ずっとロミオの1人芝居だった歌坂が浮かばれない……。途中からは天野の台詞さえ1人で言っていたぐらいだ。まぁ裏を返せば、天野と2人で主役を飾れるという不純な動機だけで頑張っているわけだが。

「そういえば。」

 天野が唐突に声を出した。俺は目線だけを天野にやる。

「しましま君、舞台が終わったら店の方を回ったりする?」

「いや、俺はクラス屋台も担当だから回れねぇよ。」

 システムとしてこの文化祭は、1クラスで2つのグループに分かれている。1つを舞台組、もう1つを屋台組として分かれ、各々の役割を分担して働くという感じだ。具体的に言えば、舞台組は「ロミオとジュリエット」、屋台組は「脱出ゲーム」を行うことになっている。基本的には舞台組は舞台組だけで1役なのだが、屋台組の人出が足らないので、仕事量の少なめだった俺が、舞台演目終了後の屋台組に回されることになったのだ。

……めんどくせぇ。マジでめんどくせぇ。何もしたくない。帰りたい。

「あぁそうだったね。可哀想に。」

「うるせぇな。お前も手伝いに来いよ。」

「いやぁほら。やっぱり主役だから。そういうところは優遇されて然るべきだよ。」

「腹立つな……。まぁ、そういう訳だから、馬鹿ふた……じゃなくて。」

「柚巳ちゃんと、歌坂君?」

「そうだ。3人で好きに回って来いよ。俺は適当に終わらせて直帰する。」

「えぇ、もったいない。」

 天野は少し目を細めて、括った髪の毛束を指で弄んだ。俺は軽く首を振ってから答える。

「まぁ楽しんで来い。行事不適合者は帰って寝るのみだ。」

「捻くれてるね、本当。」

「お前にだけは言われたくない。」


 時刻は飛んで、午後12時25分。

――舞台・ロミオとジュリエットの終幕時刻丁度だ。

そこそこな大拍手と共に、俺は緞帳を下ろすボタンを長押しする。舞台袖からは、列になって繋いだ手を挙げ、笑顔で観客たちを見る出演者たちがキラキラと光って見える。ちなみにこれ、舞台係も出なくてはいけないのだが、あまりにも出たくなさ過ぎて、最後の緞帳を下ろす役割を他の舞台係から強奪したのだった。そうこうしているうちに緞帳が閉まり切った。ぞろぞろと出演者たちが舞台袖へと流れ、外へ出る。口々に感想を言いながら体育館を後にする。隣接する武道場にて着替えを済ませて、きっとこれから打ち上げがてら屋台を回るのだろう。

 結論から言うと、舞台は大成功だった。俺はエンドロールを頭の中で浮かべる。

ロミオ役、歌坂うたさか瑞月みずき

ジュリエット役、天野凛子。

修道女役、池名柚巳。

そして舞台係B、俺。

 俺は少しだけ目を閉じて溜め息をつく。劇が終わって5分以上が経過しているのだが、――柄にも無く心臓がずっとバクバクしているのだ。

――『どうして……。どうして私の毒を残しておいてくれなかったの……?』

天野が演じるジュリエットの最期の台詞だ。仮死状態のジュリエットを見て絶望したロミオが毒をあおって死んでしまった後に、目を覚ましたジュリエットはこの後、拳銃で自殺。2人は永遠に眠りにつくわけだ。何とも物悲しいハッピーエンドだろう。

 歌坂の演技は見事なものだった。やはり練習回数が比例して上手な事には変わりなかった。池名さんもやはり、割り振られた役を全力で演じており、ロミオとジュリエットの悲恋を応援する様は上手かった。他の演者も力が入っていて、舞台は本当に大成功だったのだ。

「お疲れ、しましま君。」

 立ちすくんでいた俺の肩に天野の手が触れた。思わずビクリと跳ねあがる。

「あ……天野か。お疲れ。」

「大丈夫?」

ラストシーンで解いた焦げ茶色の長い髪。赤いフリルの付いたワンピース。流石にさっきまでジュリエットだっただけのことはある。綺麗だ。

「……凄かったな、お前。」

「へっへ、でしょ?」

にっこりと見慣れた笑顔を浮かべる天野。俺はひたすらに狼狽する。

「まぁ……本当、お疲れ。」

「うん、ありがと。」

 天野凛子、という人間は――やはり完璧なんだと実感する。

実感と言うよりは、痛感に近いかもしれないが。その事実がまた俺の精神を抉る。

「……なぁ、ジュリエット。」

「え、何どうした。」

「……お前、ロミオが自殺してなかったらどうしてたんだ?」

本当にコイツがジュリエットならばきっと、駆け落ちすると言うだろうが。コイツはジュリエットじゃない。その証拠に、天野はニヤリと笑って言った。

「愛する人が死んだのに随分と余裕そうに生きてるんだねぇって言って、殺すかな。」

 そう――たった今俺の目の前に居るコイツは、天才でも、完璧でもない。

ただの狂人なのだ。


「はーい、いらっしゃいませー。脱出ゲームやってますよー。」

 俺は棒読み口調で客引きを行う。時刻はそろそろ14時を回ろうとしている。手伝えとは言われたものの、大して客が来なかったために暇でしょうがないのだ。俺は教室の前で椅子に座り、軽く足を組んで、通り過ぎて行く人の波に目を向ける。どうやら、他クラスが出している屋台に『メイド喫茶』『お化け屋敷』『豪華景品ゲーム市』があるらしく、そこに全部吸われているらしい。そりゃあ客も来ないわけだ。

「……何してんのかな、アイツ。」

 俺の脳裏に天野の笑顔が浮かんだ。……あー、何か駄目だな。怖い。

「――あれ、間縞?」

「ん?……って、弓塚ゆみづかじゃん。」

 ぼんやりと考えに耽っていた間に、俺の正面には弓塚シノが立っていた。コイツは俺のネッ友であり、天野の腐れ縁である。要は友達だ。

「来てたんだな、珍しい。」

「まぁな。駒……違う、天野がジュリエットだって聞いて面白そうだったから。」

「まだ駒って呼んでんのか……。」

 白いワイシャツと黒いパンツ、その上に黒いパーカーを羽織って、長くて癖のある黒髪を1本の3つ編みに結った弓塚の姿を、頭の先からつま先まで眺めてから、俺は少し首を傾げた。

「……お前、1人?」

「あぁ。ぼっちだぜ?」

「すげぇな……。度胸に関心。」

「そりゃどうも。」

 やっぱりコイツとの会話は弾むな……。思考が似てるってのもあるんだろうが。

「ひどいなぁー、ツカちゃん。僕も居るのに。」

「……ツカちゃんって呼ぶの止めて貰えませんか。謝るんで。」

「……おい、弓塚。なんちゅうもん連れて来てんだ。」

 ひょっこりと、弓塚の背後から顔を覗かせたのは、榎波えなみりつという俺のバイト先の店主だった。俺は思い切り顔を顰める。

「いや悪い。前にここ来た時、偶然入った本屋がこの人の所でな。また道に迷って辿り着いたから、道案内頼んだんだ。つーかこの人、……お前が前言ってたバイト先の人だろ?」

「……こんのクソ方向音痴が。はぁ、まぁ、何もされてねぇか?」

「ねぇちょっと、伊織君ひどい。僕案内してあげたんだけど。」

「はいはい。どうもどうも。」

「雑……。」

 律さんは少し項垂れた様に俺をじっと見たが、直ぐに辺りを見回した。

「凛子ちゃんは?今日は一緒じゃないの?」

「あー、はい。俺店番なんで。」

「そうなのか、てっきり天野もここら辺に居るかと思ったんだが。」

「なんなんそのニコイチ判定。」

 そんなに一緒に居るもんだと思われてるのか、俺と天野は。……なんか嫌なんだけど。怖い怖い。

「まぁ適当に屋台回ってるんじゃないか?連絡取ってみれば良いんじゃ。」

「あー、まぁそうだな。……とりあえず、また天野と合流したら来る。」

「いや、来なくていい。つか来んな。どうせ抜けれねぇし。」

 それから少し弓塚と、時々律さんと喋って、2人は人混みの中に入って行った。勇猛果敢で良い事よ。

「……暇だな。」

 とは言ってもやはり、脱出ゲームが不人気であることには変わりないので、俺はまた視線を正面に向けて、廊下を行き交う人々を見つめる。2、3人のグループが多く、みんな似たり寄ったりな笑顔で仲間と話しながら、俺の前を通り過ぎていく。

――眩しい。目が潰れそうだ。

「あ、しましま君。」

 俺の前で1人だけ、立ち止まった人影があった。それはやっぱりというか、まぁ、天野以外の誰でも無かった。だが……。

「……何してんだお前。」

「凄いでしょこれ。」

 こいつはどういう訳か、フリフリのメイド服を着ていたのだ。髪は高めのツインテールに括っていて、ついでに言うと頭に猫耳が生えている。メイド服も、白と黒のよくあるやつだが、スカート丈があり得ないぐらい短い。膝上……というか、太腿の半分ぐらいまでしかない。その下からはニーハイの黒い靴下が覗いている。

「……大丈夫か、お前。」

 メイド服とは恐らく、しっかりしたオーソドックスなものだと、シックで丈の長い、奉仕に支障のない装いだったはずなのだが、やはり現代のネタ的にアレンジされたそれは馬鹿みたいに丈が短いし、こんなんで家事をやられては堪ったものではないという感じである。……つーかこれ、こんな際どくて大丈夫なんだろうか。

「何がさ。変かな、これ。」

「……いやまぁ、似合ってはいるが、変でもある……な。」

 俺が言いたい、というか問いたいのはそういう事ではない。――なぜ、急にメイド服なんだ。さっきまでジュリエットだっただろお前。何だ、次はメイドなのか?

「実はね、メイド喫茶やってるクラスの人に助っ人頼まれてさ。客寄せパンダ的な感じだね。」

「……なんてこった。」

 俺は今一度、天野の全身をじーっと見る。ツインテール、猫耳、白いフリルに黒いミニスカ、ニーハイの黒靴下、ロリィタ調の厚底パンプス。――メイドだな、どっからどう見ても。

「…………はぁぁぁぁぁ。」

 俺は久々に物凄い深い溜め息をついて顔を下に向けた。椅子の上で三角座りをしながら、膝に顔を埋めて、喉の奥から絞り出すように呻く。天野は恐らく面食らっているだろう。

「え、何、どうしたの?」

「……どうもしてねぇよ。平常だ。」

 浴衣もそうだし、普段のラフな格好でもそうなのだが、何で美人って何を着ても似合ってしまうのだろうか。天野は特段、服などのお洒落に気を使う方では無いのだが、それでもドンピシャに似合ってしまうものを着ると、それはそれはもうモデルの様だ。怖い。美人って怖い。そして綺麗。メイド服クッソ似合ってる。もう怖い。

「……で、お前、客寄せパンダは終わったのか?」

「うん、まぁね。柚巳ちゃんがメイドにさせられて、それが結構可愛かったからさ。多分そっちに人が行ってるんじゃないかな。」

「……ということはお前、俺の所に来るまで、ずっとその格好で?」

「そりゃあそうだね。着替えはメイド喫茶の準備教室にあるんだけど、今お店が人でごった返してて入れなくって。」

 こんなやりとりをしている間にも、俺と天野のことを面白そうに見つめるギャラリーが出来上がっていく。俺は観衆の視線に焼かれながらも天野と話し続ける。

「あー……分かった、とりあえず、着替えろ。」

「だから着替えが取れないんだってば。」

「俺の貸すから。とりあえずここ入るぞ。」

「え、あ。うん。」

 俺はもう限界が来ていたため、天野の手首を掴んだ。それから即行で脱出ゲームが行われている教室に入る。受付案内の担当が目を丸くしていたが、できるだけ見ない様にして控えのスペースに天野を引きずり込む。

「ちょ、しましま君、そんな焦んないでよ。怖いんだけど。」

「焦らないわけ無いだろこんなの。」

「へ、え?」

後ろ手に控えスペースの扉を閉めて、俺はその扉に背を預ける様に屈みこんでしまった。全身から力が抜けていく。顔がまだ熱く、赤くなっているのが分かる。

「どっ、どうした、しましま君。」

「……どうしたもこうしたもねぇよ……。」

 珍しく天野が驚いているのも無理はない。今の俺は――耳まで赤くなり、涙目になって、両手で顔を覆いながら屈みこんでいるのだ。心臓がバックバク言っているのが余計に情けなさ過ぎて立ち上がれない。

「……っだぁ、もう。」

 天野のメイド服に混乱し、観衆の目に思考を掻き乱され、情報過多で処理が追い付かず、もともとがコミュ障ぼっちである俺は、とうとうパンクしてしまったらしい。

「しましま君?」

天野が俺の顔を覗き込む。俺は勢いで顔を背ける。が、天野の両手が俺の顔に伸びてきた。

「大丈夫?顔赤いけど……。」

 俺の喉から掠れた音が出た。それからしっかり声にして、絞り出すように話す。

「……大丈夫じゃあ、無い。」


 結局文化祭はその後、大したハプニングも無く終了した。――と言いたいところなのだが、扉に額をびったりくっつけながら顔のほてりを全力で押さえているうちに、天野は着替え終わっていた。……俺はコイツが心底心配になった。

「いやだから、普通に考えてだ。同じ空間に俺という男が居るのに着替えるか?」

「良くない?しましま君は私の事1ミリも見てなかったし、直ぐ着替え終わったし。」

「良くない。倫理的に絶対。」

「はぁー。しましま君ってば、変な所で真面目だよね……。」

「うるさい。……で、どこで集まるんだ?」

「ここの廊下前。そろそろみんな来てるんじゃないかな。」

 気づかぬうちに天野がいつもの面々に招集を掛けていたらしく、俺は天野の背を追いながら少し溜め息をつく。 ――いつの間にか俺は、あの愉快な人たちの事を「いつもの面々」と呼んでしまうぐらいになったらしい。

「……天野。」

「んー?」

控えスペースの、開かれた扉の向こう側で天野が振り向く。さっきまでのツインテールは解かれていて、いつもの焦げ茶色のストレートヘアが靡いた。俺のジャージが少し大きくて、ぶかぶかして見える。

「……。」

「ん、大丈夫?」

「―――――。」

「……ふっ、あははははっ!何それっ、面白い!」

屈託もてらいもない、明るく輝いた笑顔を浮かべる天野。だがまぁ例にもよって、その目は鈍く光っていた。俺はそれを見て、少し口角を上げる。

「さて、行こっか。」

「だな。」

 こうして文化祭は幕を閉じ――いやもしかしたら、今始まったばかりなのかもしれない。

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