奥寺まことの弁舌

 10月。本格的に秋めいてきて、朝夕が結構涼しくなってきた。来月には、世の中の高校生が命を懸けるであろう「文化祭」というクソ行事……じゃない間違えた、一大イベントがあるため、俺――間縞まじま伊織いおりが通う白川高校の生徒たちも結構に勢いがあった。まぁ正確に言うと、一部の行事猛者は殺気立っていたのだが。

「……あー、かったりぃー。文化祭とかやる意味無いでしょ、やりたい奴だけやっとけよって感じだよねー本当。」

「せめてキャラの原型位は留めとけよ……。」

 下校途中の通学路を、俺の隣でぶつくさ文句垂れ流しながら歩くのは、やっぱりというかなんというか、天野あまの凛子りこ以外の誰でも無かった。今月からコイツはよくジャージを羽織るようになった。本格的な衣替えのタイミングは学校側で決まっておらず、その気になれば明日から冬服を着ることだって可能なのだが、此奴はブレザーのサイズを間違えたとか何とかで、頑なに衣替えをしようとしないのだった。

「だってさぁしましま君、思わない?別に誰が本気になってる訳でもない出し物の練習をさぁ、1か月も前から、しかも放課後を潰してまでやるんだよ?理不尽以外の何でもないよこんなの。文化祭なんてクソだよ。」

 ニコニコとした朗らかな笑顔のまま、天野はいつもの倍ぐらい饒舌に愚痴っている。学校の校門から1歩外に出た瞬間これだ。天野は手持ち鞄の紐に腕を通し、さながらリュックの様に背負って、両手をジャージのポケットに突っ込んで、縁石の上をフラフラ歩いている。俺はその隣を、鬱々とした気持ちでダラダラ歩いている。

柚巳ゆずみちゃんには裏切られたなぁ、あの子あんなに演技上手だとは思ってなかったよ本当。」

 俺と天野、池名いけなさんと歌坂うたさか瑞月みずきという馬鹿が所属しているクラスは、文化祭で劇をやることになっている。これの主役級の役に、面白半分で天野が池名さんを推薦して、案外池名さんが上手かったという出来事が2日ほど前に起きたのだ。話を全く持って聞いていなかった俺は、何の劇をやるかすら把握していないのだが。

「つっても――お前、ヒロインだろ?練習ちゃんと行かなくて良いのかよ。」

「あーあれね、実はもう破綻してんの。」

「……おい、何したんだよお前。」

 天野は5月からずっと同じ長さを保ち続けている髪を1つに束ねながら、楽しそうに笑って俺を見た。

「なんか、役決めの時にね。演劇部の人だったかな……。その人がヒロインやりたがってたんだけど、多数決で私になっちゃって。でも面倒くさいから、私が本番ブッチして、その人にピンチヒッターでやってもらう、って感じで口裏合わせた。」

「何してんだ。」

「安心してよ、ちゃーんと体調崩すからさ。仮病とか野暮なことはしないよ。その子も今から全力で練習するって言ってたし、出来としては万々歳だね絶対。」

「……お前、歌坂に事情ちゃんと言ったか?」

「え?言う理由無くない?」

歌坂瑞月という愛すべき馬鹿は、この天野クズの相手役になりたいという理由だけで主役になったのだ。可哀想に、見事に裏切られている。

「まぁ仕方ないじゃん、体調不良なんだから。」

「とことんクズじゃねぇかお前……。」

 ちなみに俺は舞台係だ。照明、音響とかを弄る担当。

「あーあ、しましま君に主役張らせたかった。」

「1回死んでみるか、天野。」

 行事猛者がキレるどころの話じゃ無い。殺される。まして相手がコイツになるという事は、余計な敵が若干1名増えてしまう。……そして若干1名が飛んで跳ねて喜ぶ。

「今どきロミオとジュリエットだよ?誰がやったって大して映えないよ。」

 結構失礼なことを言われた。が、まぁ事実なので仕方ない。俺は溜め息をつきながら頭を掻いた。それと同時に、初めて自分のクラスがロミオとジュリエットをやろうとしていたことを知った。

「お前がジュリエットねぇ……。」

 ロミジュリの話がどういうのだったかよく覚えていないが、確かジュリエットってお淑やかで賢明で聡明な女性だったような気がする。――うん、主役降りて正解。

「……しましま君、私だって本気でやれば演じられなくは無いんだよ?」

「俺何も言ってねぇよ……?」

「いや今絶対、私がジュリエットやらなくて正解、とか思ったでしょ。どつくよ。」

「……すんませんした。」

 絶対痛い。やられたくない。俺がとっさにした防御姿勢に、天野は満足そうな顔をした。俺はそれを横目で見ながら少し安心する。

――本気でやれば演じられなくは無い、という天野の言葉がふと脳裏をよぎって、俺は笑いがこみ上げてきた。何を言ってんだろう、と思ったのだ。

「……いつも演じてる癖に。」

 つい声に出してしまったが、天野には聞こえていなかった。俺は少し先を歩く天野に小走りで追いついて、ちゃんと隣に並んだ。


「……。」

 帰り道での天野との下らないやり取りを終えて、俺は学生寮に帰ってきていた。ぼろっちい金属製の階段を上がって、2階の1番奥(要は角部屋って奴だ)にある自分の部屋へと向かおうとした時だった。

「……ん?え?」

――見たことの無い少女が、俺の部屋の前に居た。扉に背を預けて、いじけた様に体育座りをして。俺の頭の中で「厄介」という2文字が渦巻いた。それからゆっくり後ずさって、階段を下りる。

「……どういうことだ。」

 2階の角部屋、あれは確かに俺の部屋だ。だがしかし、俺はあんな女の子知り合いに居ない上に、見た事も無い。座っていても分かるほど小柄で、茶髪を耳の下でツインテールにした、膝丈スカート姿の幼気な女の子。中学生、か小学校高学年かという感じだった。

「いや……人違いだろ。」

 部屋を間違えたとか、そんなところだろうきっと。というかそうでなければ……何となく拙い気がする。何がおかしくて知らない少女に家の前で待機されなくてはいけないんだ。怖いだろ。俺はひとまず気を落ち着かせながら階段を上がる。あわよくば少女が居なくなっていないかなと思ったのだが、やはり少女はそこで体育座りをしたままだった。

「……あの、そこ俺の部屋なんですけど。」

 年下にするには少しばかり大人げの無い第一声だったが仕方ない。俺は少女の直ぐ傍に立って、少女を見下ろす感じで話しかけた。少女は俺の声に反応して顔をこちらに向けた。あどけなさが全面に出た、整った、可愛らしくも表情の無い顔がこちらを向く。……何だろう、造形的には可愛いのに、可愛げが無い。

「……きくん。」

「え?」

少女の薄い唇がそっと動いて、何か言った。俺は反射で聞き返す。

「……瑞月くん、知りませんか?」

「……え?」


「……えぇっと……、これ、どうしたの?」

 所変わって、俺はその少女と共に池名さんの部屋に来ていた。池名さんは相変わらずの浴衣姿で俺とその少女を快く部屋に上げてくれたのだが、あからさまに戸惑っていた。突然の来訪に驚き、少し片づけるからと5分ほど待たされたのだが、結局部屋の中央に置かれたローテーブルの上にはトランプがバラバラになって散らばっていた。……何をしていたのかは不明だが。

「いや……俺もよく分かんなくて。流石に俺の部屋で2人だけってのも倫理感に欠けるかなと。」

「……間縞君って、そういうところ真面目だね。」

 少し困り顔で笑う池名さん。俺は首を傾げつつ、横目で少女を見た。少女も少女でキョロキョロと困った様に池名さんの部屋を見回している。

「とりあえず、歌坂の事探してるみたいだからさ。アイツ部活終わったらここ寄るって言ってたし、それまで部屋で待機しとかなきゃで。」

「なるほど、それは確かに長時間だし……犯罪の匂いが。」

 最近気づいた事なのだが、この池名柚巳という人物もなかなかの曲者だった。

「っと……あの、さ。」

 俺は躊躇しながらも隣に座る少女に話しかけた。

「っ、ひゃいっ。」

 ……可愛い。え待ってマジで、女子って、女の子ってこんな可愛かったっけ。

「……ロリとうと。」

 俺の正面に座る池名さんがぼそりと何か言ったが気にしないことにする。あと俺は断じてロリに目覚めたわけじゃないという事を理解して貰いたい。

……いやほらさぁ、いつもあのクズか、このカプ厨か、クソ姉貴しか女子の選択肢が無い俺にとってみれば、ここまできゅるんきゅるんした可愛らしい存在はもう、目の保養以外の何物でもないということなのだ。だからこそ少しでも犯罪の匂いがしそうな、『初対面の男子高校生と部屋で2人きり』というシチュを避けて池名さんの部屋に居るのだ。……偉くね俺。

「俺は間縞。間縞伊織って言うんだけど……君の名前は?」

「あ……えと、奥寺おくでらまこと、です。」

「奥寺……さん、ね。分かった、ありがとう。――歌坂はあと1時間半ぐらいでここに来るらしいから、それまでここに居て貰う事になるんだけど……。」

「全然だいじょぶ、です。ありがとうございます。」

 っぶねぇ、柄にも無く『ちゃん付け』しようとした自分が居た。奥寺さんは少し緊張した、照れたような微笑みながら言う。

「あ、あと……。」

「ん、どうかした?」

「まことで……まことで良いです。」

「……。わ、かった。まことさんって、呼ぶね。」

 なんだこれ、命日か俺。

「――っぅぅぅぅぅ……ったぁぁ……。」

 少し遠くで池名さんが騒いでいる。ほんっと見境ないのな、この人。

「あぁ、その人は池名さん。……多分、柚巳さんって呼んであげたら喜ぶよ。」

「へ……?そうなんですか?……柚巳、さん?」

「――かはっ。」

 そんなセルフの効果音と共に、池名さんは動かなくなった。途端、奥寺さんは驚いて俺に助けを乞うような視線を向ける。

――まことが たすけを もとめている。

  ▶たすける   むしする

……なんだなんだ、調子が狂うぞ。俺は溜め息をつきながら、池名さんの部屋の中心に据えられたローテーブルに目をやる。来た時からずっとバラバラになったトランプがそのまま置かれているのだ。それから俺は結論を叩きだした。無理やり。

「ねぇおくで……まこと、さん。」

「……?」

無言で俺を見上げてくるまことさん。俺はローテーブル上で散乱しているトランプをかき集めて3枚ほど手に取り、扇状に持って少し口角を上げた。まことさんは首を可愛く傾げる。

「ポーカーってやったことある?」


 奥寺まこと。かすみ中学校在籍の1年生。

趣味は針仕事とカラオケ。

柔軟運動が得意で、脚が縦にも横にも180°開くことが出来るらしい。

人付き合いは苦手ではあるが、打ち解けた人とはとことん仲良くできるとか。

――勢いで持ちかけたポーカーをしながら、俺はまことさんの情報をここまで引き出せていた。

「えと、それで、最近は××先生の漫画にハマっていて。」

「あ、それ俺も知ってるよ。面白いよね。」

 慣れない年下とのコミュニケーションにまごつきながらも、俺は楽しそうに色々な事を話すまことさんを和やかな気持ちで見つめていた。というのも、奇跡的にまことさんがポーカー経験者であり、1回戦で負けた罰ゲームとして『2回戦の間、自分について話す』というものを科したのだ。俺もまことさんについて知れるし、丁度良いかなと思ってのことだ。俺は手札を2枚チェンジしながらまことさんの話に相槌を打つ。

「んー、あとは……あ、そうだ。」

 奥寺さんは3枚カードをチェンジした。俺は変えた手札をざっと見て、適当にまた2枚チェンジする。奥寺さんは引いたカードを見て、嫌そうな顔をしてから話し出した。

「まことは、瑞月くんを探しているんです。」

「ん……。そういえば、まことさんは歌坂とどういう関係なの?」

「ふっふっふ、まことは瑞月くんのお嫁さんです!」

「……ごめん、耳がおかしくなったかも。」

「まことは、瑞月くんのお嫁さんなんですー!」

お嫁さん?え、お嫁さん?許嫁とかそういうこと?あの馬鹿の?……この天使が?

「なのに瑞月くん、最近好きな人が出来たらしくって。ちょっと冷たくって。」

「好きな人……。」

 うわぁ……、胸糞悪い……。天野だよなぁそれ……。

「マジマさん、ショウダウンですっ。」

「ん、はい、せーの。」

「フルハウス。」「すりーかーど!」

「俺の勝ち。」

「ぐぬぬ……。もっかいです!もっかい!」

「ははっ、分かったよ。」

 俺はさっき気を失った勢いでそのまま寝てしまったらしく、テーブルの向こう側でうつ伏せになったままの池名さんに目線をやった。相変わらずピクリとも動かないが、きっと生きている、大丈夫だ。――そう思った時、扉がノックされた。

「柚巳ちゃーん、遊びに来たー。」

 聞いたことのある、というか毎日聞きすぎている憎らしい声が扉の向こうからした。俺は思わずトランプを切る手を止める。

「……マジマさん?大丈夫ですか?」

「ん?あぁ、うん。大丈夫。」

 ……じゃない。絶対大丈夫じゃない。拙すぎる。

「ゆーずーみーちゃーん?居るよねー?」

借金取りかと思うような声音と勢いで扉をバンバン叩く天野。……コイツ図々し過ぎねぇかマジで。

「まことさん、ちょっと待っててね。」

「へ、はい。」

 俺は立ち上がって玄関の方に行くと、ゆっくり扉の鍵を開けて、ゆっくり開こうとして――思い切り扉の間に手を差し込まれ、馬鹿みたいな力でこじ開けられた。

「おやぁ?どうしてしましま君がここに居るのかなぁ?」

「天野っ……、ちょっと取り込んでるんだ……、帰れ……っ。」

 いや……いやいや力強すぎるだろ。結局片手でこじ開けられてしまった。扉の向こうには黒いパーカーと丈の短いパンツを履いた、偉くラフな格好の天野が立っている。パーカーのポケットに片手を突っ込んだまま、もう片方の手で俺の全力を受け止めてこじ開けたらしい。……恐ろしい。

「で?何が取り込んでいるのかな?」

天野はニコニコしながら靴脱ぎに入り込んで、今にも部屋に上がり込まんとしている。俺は焦りながら早口で状況を説明した。

 歌坂瑞月の知り合い――もとい許嫁が俺の部屋に尋ねて来たこと。

 歌坂が来るまで、池名さんの部屋を借りて待つことにしたこと。

 その許嫁が、歌坂の好きな人……すなわち天野の事を偵察しに来たこと。

「……ふぅん。」

 天野は珍しく真顔で、というか面倒くさそうに溜め息をついてから部屋に上がり込んだ。肝心の部屋主がぶっ倒れているのを横目に一瞥してから、ローテーブルとその向こうに座るまことさんを見下すように立ったかと思うと、玄関に取り残された俺の方を振り返って鼻で笑った。

「随分とまぁ、可愛らしい子だね。君の判断は賢明だったってとこかな。」

「やかましい。どつくぞ。」

 まことさんは面食らった顔で天野を凝視している。それから俺の方を見てまた助けを乞う。その様子を見透かした様にまた天野が笑って、俺を体で隠すようにまことさんの正面に座った。

「やぁ、初めまして。私は天野。」

「あま、の……さん?」

「そうそう。天野凛子と言うよ。宜しくね、まことちゃん。」

「よろしく、おねがいします……?」

「あぁ、まことさん、ソイツは俺の知り合いだから。変に思わないで。変だけど。」

「あ、そう、なんですね。」

「知り合いねぇ、つれないなぁーしましま君。」

 天野はニヤリと笑って俺の方を睨むように見た。それから後ろに立つ俺の方に近寄って来ると、――唐突に俺の腕に自分の腕を絡めてきた。

「……!?!?!?」

「恋人、と紹介してくれたって良いのになぁ。ねぇ?」

「……は?」

「へ、え、え、そうなんですか!」

天野は無言の圧力で俺に頷けと言ってくる。気づいたら頷いていた。それを満足そうに見て、腕を絡めたまま、まことさんの正面に座った。俺も引きずられ気味に隣に座る。というか座らせられる。

「へぇ、歌坂くんはこーんな可愛い許嫁ちゃんが居たのかぁ。良いね、羨ましい。」

「か、可愛いだなんて……。そんなこと、ないです。」

「いやぁ、可愛いよ。しかしまぁ、歌坂くんは頂けないなー。」

「へ?」

「こんなに可愛い許嫁が居るってのに、他に好きな子が出来たなんて駄目な奴だ。」

 何言ってんだコイツ。つらつらと。なんか台本でも用意してそれを読んでんのか。つかお前、自分のことだよそれ。大丈夫なのか?

「まぁ、安心しなさいまことちゃん。歌坂くんには、私から諦める様言うからね。」

「え、ほんとですか!」

「あぁ、本当だよ。私は嘘を付いたことが無いからね。」

 それが嘘だろ馬鹿野郎。俺はもう顔に出ていたかもしれない。

「よろしくおねがいします!天野さん!」

……奥寺まことという人物は、結構な純粋無垢のようだ。


 結局そのあと、ほどなくして歌坂が部活を終えて池名さんの部屋に来た。池名さんは本格的に眠ったらしく、その後目を覚ましたりはしなかった。

「あー!瑞月くん!」

「おぉー、まことー、来てくれたんだ?」

「うん!会いたかったよ!」

歌坂から事情を説明してもらうと、まことさんも歌坂も小さかった頃にした約束を本気でまことさんがそう言っているだけのことらしく、ちゃんとした許嫁では無いのだそう。関係性としては、幼馴染というのが正しいとか何とか。

「つか……天野さんも来てたんだね!部活終わりに会えるとか疲れ吹きとぶっ――」

吹き飛んだのは歌坂の方だった。綺麗なアッパーカット。俺は反射的にまことさんの目を後ろから手で覆った。

「見ちゃ駄目だよー。」

「え、へ、何が……?」

「もうちょっとだからねー。」

 背中を強打する様に着地した歌坂の耳に天野がコソリと耳打ちした。

「君ももう少し、幼気な少女の夢を叶えてあげることだよ。」

「え、は?」

混乱する歌坂に、天野は手短に事情を話した。まことさんを傷つけない様に、己が歌坂に惚れられていることを悟られないよう、天野と俺が恋人関係だというでっち上げをしたと話した辺りで歌坂の表情が凍り付いていたが。

「そうでもしないと、多分私はまことちゃんに殺されてしまうよ。」

 だよなぁ……。この子何気に嫉妬深いよなぁ……。と、俺は天野と歌坂のやり取りを見つつ考える。

「この子がいる間はせめて、私とは距離を置いてもらうよ。流石に飛び火は御免だからね。」

「……でも。」

「でもじゃないよ。……まぁ、そうだね。」

 天野はそう言って、歌坂の耳にぐっと顔を近づけて何かを呟いた。

「……!マジすか!」

「大マジ。」

 ニヤニヤした性格の悪い笑顔の天野。対してキラッキラのニッコニコの歌坂。……悪寒がする。

「じゃあ、私とマジマ君はお暇することにするよ。」

「え。」

 うわぁ……巻き込まれた……。俺がまことさんの顔から手を離すが早いか、天野に手首を掴まれて玄関近くまで引っ張られた。

「まことちゃん、近いうちまたお目にかかるよ。――歌坂くんは、まぁそういうことだから。」

 私の事は諦めた事にしなさい、と口パクで天野が言ったのが視界に入った。歌坂は複雑そうな顔をしたが、にっこりと笑って頷いた。それから俺と天野は池名さんに挨拶もせず部屋を後にしたのだ。

「……全く。君って人は歩けば厄介事寄せて来るね、本当。」

「それはお前だろ天野。」

 気を取り直して自室に戻ろうとするが、結局天野も上がり込んできて、俺はジャケットだけハンガーに掛けてベッドに座った。天野はさっさとゲーム機を起動させている。

「奥寺まことねぇ……。面白いね、彼女。」

「そうか?」

可愛いの間違いじゃねぇの、と言いかけてやめる。俺がただのヤバい奴だ。

「まぁあの様子じゃ、歌坂くんは本気にしていない上に忘れかけているんだろうけどさ。私よりよっぽどいいでしょ、あの子の方が。」

 というか、天野が歌坂に惚れられているとまことさんが知ったら、どうなるんだろう。ふとよぎった俺の雑念を知ってか知らずか、天野はニヤリと笑った。

「ふふ。最悪、歌坂くんが言い寄り続けたら、君を盾にするよ。宜しく頼もう。」

「宜しくねぇよ。……つかお前、歌坂に何言ったんだ?」

天野はピタリとゲーム機を操作する手を止めて、俺の方に顔を向けると目を細めて溜め息をついた。

「あぁ……それねぇ。」

「……怖ぇな。」

「いや別に、単純なことだよ。――キスしたげるって言っただけ。」

「へぇ、キスね……。……って、は?」

思わぬ単語に面食らう俺。その様子を見た天野はニコニコと笑いながら、ゲーム機に視線を戻した。

「可哀想だから君にはその内……おすすめのギャルゲーでも教えてあげるよ。」

「1回死んで来い。そして2度と戻って来るな。」

 そんなわけで、俺と天野は一瞬だけ恋人関係に陥り、即行で元通りの関係に戻ったのだ。腐れ縁とも、仲良しとも言い難い、このズルズルした関係を。

――世間一般では友人関係と呼ぶらしいが、俺はまだそれを受け入れられていない。

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